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ホムンクルスの進む道

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 喜怒哀楽、傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。
 私はその多くを欠落している。
 人間の感情というものは、一体何なのでしょうか。

「これだから人間を研究することはやめられないのでしょうね」

 エルペイン帝国とバロッド王国との三十年に及ぶ戦争に参加し、バロッド王国の兵を殺し尽くしても私の感情が全く揺さぶられることは微塵もなかった。
 殺し足りないのか、それとも殺す方法に難があったのか。

「何難しい顔をしてるのさ、ロイド。また人間について考えてたんだろ。いくら調べても意味ないって」

 使い魔のルルがいつもの如く、上から目線で講釈を垂れる。
 黒猫の姿だが中身は立派な悪魔そのものの彼は、少なくとも私に欠落しているいくつかの感情は持ち合わせているのでしょう。   

「ククククッ、意味など必要ないのですよ。これこそが私が生きる目的であり、私を作りだした灰の魔法使い、エヴェリーナ・カルミからの試練でもあるのですから」

「ボクは会ったこともないし、口出しする立場じゃないけどさ、灰の魔法使いがそんな試練を考えてたとは思えないんだよね」

「それを言ってしまっては、私の生き方そのものが形無しですよ。要はただのお題目であり、実際がどうであったかは重要ではないのです。言わせないでください」

「ボクには理解できない心境だね。そんな面倒なことをしなくても、ロイドはロイドらしくいればいいだけだと思うけど」

 それでこそ使い魔です。
 悪魔であるルルに共感されてしまっては、私の行動、思考そのものが人間から離れてしまう。
 この無駄な行いこそ、人間へ近づくために必要なことだと私は思っているのですから。

「あ、そう言えば郵便受けに封筒が届いてたんだった」

 しなやかな体をくねらせて一通の封筒を銜えてくるルルを見ていると、本当の猫にしか見えませんね。
 これを指摘するとルルが不機嫌になるので口に出すのは禁句ですが。

「この封筒……ほんのり湿っていますね」

 途中、水に濡れたということでしょうか、ルルの涎でないことを祈るばかりです。
 案の定、茶色い封筒の宛名の半分ほどが滲んでいることから、雨に当たったことで間違いないでしょう。
 蝋の封緘は薔薇の刻印ですか……確か軍で使用されているものだったはず。

「軍からとはまた久しい。よくこの場所を見つけられましたね。肝心の便箋が濡れていないようで何よりです」



『親愛なるロイド・バーン殿へ

 時の流れは速く、あの壮絶な三十年戦争の終結から既に三年が経過した。
 わずか三年の間に、かつての大佐であった私も、今や少将の地位に就くことができた。 これもすべて、君のような英雄がいたからに他ならない。
 遅ればせながらだが、心からの感謝を伝えたい。

 君が、あの戦争の英雄でありながら姿を消したこと、軍も私も何もできなかったことが、 この三年間私の心に重くのしかかっていた。
 だが、その重荷を取り除くことができるかもしれない機会を得た。

 君は今、何をしているのだろうか。
  人間とは何か、自分とは何者か、その答えを求め続けているのだろうか。
 まだ答えを見つけられずにいるであろう君に、かつて話した答えに繋がる道を示すため、二週間後にお会いしようと思う。
 再会を心より願っている。

                                     敬具

                           アレクシス・ヴィレンより』



「ヴィレン大佐、いや今はヴィレン少将でしたか。懐かしい名ですね」

 彼は確か今年五十八歳。
 私より三十八歳も年上のため、彼と呼ぶのは失礼に当たるかもしれませんね。
 そんなことより、あの時の話とは一体何のことでしょうか。

「三年前というと、ボクが召喚される前だね」

「ルル、今日は何日ですか」

「三月十五日だったかな?」

 消えかかっている消印は三月一日ですか。
 確か雨だったのが三日前ですから、この手紙はそれ以前より郵便受けに放置されていたということでしょう。

「ルル、郵便受けは毎日確認するように習慣づけてください」

「毎日って、そんなに頻繁にする必要ないと思うけど。ほどんど空だし。入ってても変な宗教の勧誘とかばっかだよ」

「それでも確認してください。少将がやってくるとあるのは今日ですよ。これでは何も準備ができないではないですか」

「そんなの魔法でちゃちゃっとやればいいじゃん」

 手間暇をかけて準備する、それこそが相手への敬意の表れだというのに……と、そんなことを使い魔に説いたところで理解はできないでしょう。
 私自身、最近読んだ本で知るまで理解できなかったくらいですし。
  
「ねね、ロイド! 何か見たことない車が来たよ」

 窓の外を興奮した様子で眺めるルルを見ていると、もう少しこの世界を見せたほうがいいのかと考えさせられますね。
 軍用車程度であそこまで目を輝かせられるのは、知識が欠如していることに他なりません。
 まるで私の教育がなっていないようではありませんか。

「あれは装甲が厚いだけで、軍用車というものです。 いちいち興奮しないでもらえると助かります」

「誰も興奮なんてしてないし。ボクを猫なんて姿にしたから、好奇心旺盛になってるだけだって」

「そうであってほしいものですね。好きな姿にいつでもなれるのですからなってもいいのですよ」

「基本はこの姿が楽なの」

 本当に何も用意していない状態で来られたのは参りましたね。
 仕方がありません、魔法でどうにか取り繕いましょう。


 ――――パチンッ――――


 指を鳴らすだけで亜空間を開放しておけるようにしておいたのは正解でしたね。
 中から白いテーブルクロスを取り出し、ワインとグラス、それにワインに合うチーズをを並べておけば、ひとまず問題はないでしょう。

「アレクシス・ヴィレンだ。手紙は受け取ってもらえているだろうか」

 ノックと同時に聞こえてくる懐かしい声。
 幾分、当時よりも落ち着きが増している気もしますね。

「ええ、お入りください」

 三年前と変わらぬ軍服姿。
 それでも老いには勝てないのか、髭に占める白髪が明らかに増えてしまいましたか。
 星が一つになり、色が薄くなった階級章が少将としての風格を増しているようにも見えますね。

「少将におなりになられたとか。おめでとうございます。階級章が眩しいですね」

「おべっかを使うのはやめてくれ、君らしくもない。それに全ては君のおかげなのだから。それとも、そういう話術を手に入れたことをひけらかしているのかい?」

「ククククッ、私も成長しているのですよ」

「笑う仕草を見せるなら、もう少し楽しそうに笑わないといけないな。それではまだまだ物真似にすぎんよ」

「それは手厳しい。笑うべきタイミングは理解したのですが、楽しいという感情については未だ理解できていないということでしょうか」

 私がホムンクルスだと知っている唯一の人間。
 私を作り出した最後の魔法使い、灰の魔法使いことエヴェリーナ・カルミの命の恩人であり、生まれたての私に一般教養を学ぶ大切さを教えてくれた恩人でもある。
 それからも何度か顔を合わせていた。
 人間の世界では、こういう人物を父と呼んでもいいのでしょうが、如何せん彼とは知人という感情以外のものを抱いたこともなければ、抱きたいと思ったこともないのが困りものです。

「手紙にあった『かつて話した答え』とやらの記憶が曖昧なのですが、ワインでも飲みながら伺いましょう。ブラニュー産の五十二年ものですよ」

「ほぅ五十二年ものとは、これはまた貴重なワインを用意してくれたものだな。私がワインに煩いと覚えていてくれたとは」

 目の色を変えてここまで喜ぶとは、本当にワイン好きのようですね。
 ワイン好きなどという話をした記憶すらないのですが、まあ好都合なのでスルーしておくとしましょう。

「それで、私に持ってきた話というのはなんでしょう?」

「まずはワインを飲んでからだ。目の前に五十二年ものを置かれたままでは話が喉を通ってこんのでな」

「これは失礼しました」

 ワインを用意したのは間違いでしたか。
 まあ蓋を開ける程度ならば魔力を使えば一瞬ですが。


 ――――ポンッ――――


 一切道具を使わず開けたのがそんなに珍しいのでしょうか。
 この程度で感心されても困るのですが。

「今のも魔法かね。私は不器用なのでね、たまに開栓にも手間取って何分もかかってしまうことを考えると、その魔法は是が非でも覚えたいくらいだよ」

「これは魔法ではありませんよ。圧縮した魔力を内側から解き放っただけのことです」

 脚(ステム)の長い ワイングラスに注ぐなり、芳醇な匂いが立ち昇る。
 真紅を通り越した血のように深い赤に視線を奪われている姿を見る限り、ワインには心を惹きつける魔力でも秘められているのでしょうか。
 何かあったときのために買っておいて正解でした。

「この果実を濃縮したような複雑な甘い香り……グラスを滴る様子も熟練の兵を思わせるほど強い――――味のほうも、想像通り見事で歴史を感じさせてくれる」

「喜んでいただけたようで何よりです。私はアルコールに耐性があるようで、酔うことすらできませんから」

 それがホムンクルス特有のものなのか、それともエヴェリーナ・カルミがそういう体にしたのかはわからないのですが。
 どちらにしても、飲み物一つでここまで感動できることは人間が人間たる所以なのかもしれません。

「では、肝心の話を伺いましょうか。そのチーズはそのワインとの相性もいいそうですよ」

「そうなのか、それでは頂戴しながら話すとしよう」

 パクパクとチーズを口に放り込み、至福の表情を見せるところをみると、この辺境地にやってくるまでろくなものを口にしていなかったのかもしれませんね。

「ロイド、君は人の感情というものに興味があるが、それを理解できないままいるだろう。あの当時君自身が絶対的に足りないと言っていたものを覚えているかね」

「覚えていませんね。私に足りないものは数多くありますから、特定のものが絶対的に足りないということはないかと思いますが」

「愛だよ。君が何気なく言っていた話の中に出てきていたものだ。そして私がそれに答えたものが家族だ」

 そのような会話をしたような気もしますが、愛というものは私に最も縁が無いものでしょう。
 現に今、私が求めているものに愛という感情は含まれてはいません。
 そんな私に家族などと説いたとすれば、そんな記憶は些末なものとして消してしまったのかもしれないですね。

「それで、その家族を持って用意してくださったのです?」

「そう焦るな。家族という形は一つではないのだ。ロイドよ、私は君が家族を作ることで追い求めている感情を見つけられる、と確信している。そこでだ、君にとっておきの仕事を持ってきたのだよ」

 今の話と仕事がどう繋がるのかはわかりませんし、何より私に仕事を依頼するということがどういうことか忘れたのでしょうか……。

「内容によっては引き受けませんし、依頼料も弾んでもらいますよ」

「それなら心配いらん。今の君に最も必要とするコミュニケーション力を養えるうえに、この依頼を出してきたのは、ブラックストン家なのでな」

「ブラックストン家?」

「軍の武器弾薬、装備一色を一手に担う財閥、それこそがブラックストン家だ。そのブラックストン家の当主、エドガー・ブラックストンから直々に要請があったのだ。屋敷の全てを任せられる執事を探してくれとな。それもあらゆる敵から娘を守れるほどの逸材をとの条件つきだ」

 それで私というわけですか。
 どうにも体の良い理由をつけて私に仕事をさせたいだけのように思えてなりませんね。

「私は執事などしたことはありませんよ。他を当たっていただくほうが賢明かと思われますが」

「そうはいかんのだ。長年仕えてきた執事が、ブラックストン氏の一人娘を誘拐するという暴挙に出てな、ブラックストン氏は人間不信に陥っている。実力はさることながら、信用においても実績を重視する条件までつけたしてきたのだ。君を知る上層部とも話をしてみたが、信用と絶対的な信頼を預けられる者となれば、やはり君しかいないという結論にしか至らなかったのだ」

「信用と信頼ですか……それはありがたいことですがね。ですが、残念ながら私は表舞台に出ることを好みません」

 これは大戦を終わらせた私のことを、軍の一部の者しか知らないという事実を見てもわかると思うのですが。
 その者たちでさえ、私を未だ人間だと思っているというのに、表舞台に出すぎるとホムンクルスだと露呈してしまう恐れがあるというもの。

「大丈夫だ。ブラックストン氏には君が何者かは教えていない。それにこれは君にとってもチャンスなのだよ。何事もやりすぎてしまう君が人間として大勢の前で振る舞える唯一のチャンスと言ってもいい。ブラックストン氏は長年仕えたメイドも全てクビにしてしまってね、全てを刷新し、一からスタートを切りたいらしいのだ。こんな機会は千載一遇の好機と言ってもいい」

 確かに昔は限度というものをわかっていなかったため、今は現存しない魔法使いだと露呈するようなことを随分してしまいました。
 大戦で私がやったことは、公には帝国側の最新兵器によるものと発表していましたが、それすら民の何割が信用したのか……。
 最初から実力を出していいと軍のお墨付きならば、ある程度はやっても大丈夫なのでしょう。

「何を迷う必要があるのだ。君が知りたい感情は全て、愛という人間独自の感情を経由するほうが効率よく理解できるんだぞ。そのためには家族という形が君には必要なのだ」

「一つ質問ですが、どうして執事をすることと、家族というものが結びついているのですか? 家族というものは両性の下に形成されるものという認識なのですが」

「それは違うぞ、ロイド。執事であろうと家族という形を取ることはできる。メイドを管理し、共に同じ時を過ごすことで絆を作ることでな。それは君にとってかけがえのないものとなるはずだ。そうなったとき、君は絆という家族を通し、さまざまな感情を手に入れているはずだ」

「上手く誘導されている気はしますが、まあいいでしょう。そこまでおっしゃるなら、引き受けてみるのもいいかもしれませんね。得るものがあれば良し、なければ職を辞すという選択をすればいいだけですから」

 何事も経験であり、魔法の実験と大した違いはないでしょう。
 ダメならダメで切り捨てても遅くはない。
 そう考えれば、この機会を自ら捨て去るのは愚の骨頂というもの。

「そうかそうか、君なら引き受けてくれると思っていた。では、執事服はこちらで用意したものを着てもらうとして、いつからここを離れられるのかね? ブラックストン氏からは、なるべく早くと言われているのだが」

「十日もいただければ出発は可能ですよ」

「ならば、十日後に出発すると伝えておこう。これがブラックストン氏の屋敷への経路と君が受け持つメイドのリストだ。特徴だけでも掴んでおくといいだろう」

 少将は残っていたチーズを全部口に放り込み、ワインを口に含むやいなや、椅子から立ち上がってしまった。
 昔から忙しない人だったが、どうやら三年経っても変わっていないらしい。

「もう少し昔話でもしたかったのだが、少将になって前より忙しくなってしまってな。次の仕事に取り掛からねばならん」

「それは以前からだと思いますが。ククククッ、あなたは相変わらず働くことが生きがいのようですね。私には理解できませんが」

「祖国のために身命を賭す、これほど素晴らしいものはない。君も心というものを理解したとき、私の気持ちが理解できるだろう」

 それだけ言って背を向けた少将の背中が、これ以上ないほど小さく見える。
 これが哀愁を漂わせているというのでしょうか。
 確か、大戦で奥方と娘を亡くしておられたはず。
 私も大切なものを失ったとき、少将の背中のような空気を放つのでしょうか……。
 
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