勘違い集団の地獄巡り

kuri

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一章・王の誕生

奇跡の女

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 倒れた女性は身形からして明らかに高貴な身分をしている。
 迂闊に関わり合いになってしまっては己にとっては面倒な事態に発展するのは自明の理であり、この世界に当て嵌めれば見捨てて外に放置する事も十分に有り得た。
 外は寒さの厳しい季節ではない。このまま放置したとしても体調を崩すことも無いだろう。
 森の付近に捨ててしまえば動物が捕食する可能性は非常に高い。捨て置くとすれば何処か別の場所を選択すべきであるが、彼はこの時間の暗闇の危険さをよく知っている。
 このまま外に出て適当に捨て置くにしても、運んでいる間に不慮の事故を起こす事も考えられるのだ。
 致し方ないと彼は倒れた女性を抱え、自身の木製のベッドにまで運ぶ。汚れていても身綺麗な彼女の身体を水で濡らせた麻布である程度拭き、怪我をしている箇所はないかと調べる。
 傷らしい傷は見えず、服の内側から血が滲んでいることもない。頬も痩せていない様子から飢餓に苦しんだとも考えられず、となると目の前の女性は単純に疲労で倒れたか何かしらの病気に掛かっている。
 
 単純に疲労であれば寝ていれば何れ目覚めるだろう。だがもしも病気に侵されている場合、彼には何の手も出せない。精々出来るとしたら彼女を抱えて街に連れて行く程度。その時にひと悶着起きるのは確実である。
 彼が考えるのは最悪の未来と彼女に対する疑問だ。
 彼女が貴族であるのは誰が見ても解る。しかし、そんな貴族が一人で此処に来るとは考えられない。
 複数の護衛と共に移動は馬車を使う筈なのだ。お腹が空けば持ってきている保存用の食料を使って腹を満たせば良い訳であり、襲われても護衛の騎士が殆どの場合において撃破可能である。
 可能性として考えられるとすれば、大量の盗賊に襲われた。有名な殺し屋によって護衛が全員殺された。
 辛うじてその護衛が時間を稼いだ事によって彼女が逃げ切り、結果として此処に辿り着いたとすれば気絶してしまっても筋は通る。
 だがしかし、それが真実であれば彼の家の近くも危険極まりない。

「……警戒をするべきか」

 納屋に収めていた鳴子を用意すべきかと頭を悩ませ、一先ず小窓から見える範囲で外の様子を窺う。
 暗闇に支配された空間は人間の視力ではまったく見えない。松明に火を灯さなければ解らず、見ているだけでも時間の無駄でしかないだろう。
 もしも盗賊が近付いていれば複数の松明が見える筈である。そうでなければ移動も儘ならず、何かを準備する事も出来ない。
 つまり少なくとも何かが近付いている様子は無いことになる。
 完全に安心出来る訳では無いが、一先ずは過剰に警戒する必要は無い。ならば残る懸念は、彼女の性格だ。
 この世界の中で表から見える性格は常に疑うべきである。良い性格をしていると思われる人間が実は裏で子供を殺害するような残忍な性格だった事も珍しくはない。
 貴族の場合は成金趣味か、自身より下の者を激しく差別する事が多い。
 傲慢を基本軸とした性格は他者に対して優しさなど微塵も見せないのだ。それを両親から受け継いでいたとすれば、先ずまともな性格をしているとは思えないだろう。
 
 寝れない夜がやってくる。
 それを確信してしまうだけに彼は溜息を吐く。彼女が起き出すまではベッドも使えず、ならば残しておいた細々とした作業を続ける他に無い。
 蝋燭を無駄に消耗させてしまうが、命と引き換えだとすれば安いものだ。
 こうして彼は朝まで溜めていた作業に集中することになる。起き続ける事は彼にとって苦しいのだが、そこは自身に気合を入れて無理矢理突破した。
 時折彼女の様子を窺い、徐々に暗闇だった空が白み始める。
 欠伸を何回も行った彼は目を擦りながら朝の食事の用意を進め、一応は彼女用の皿も準備しておく。
 勿論相手は高貴な身分の持ち主である。彼の用意した食事など一切食べないであろうが、それを想定に含めておくのは彼なりの優しさだ。
 
 水に複数の野菜を入れて煮込んだだけの野菜スープは、相変わらず匂いも良いものではない。
 生の味をそのままと言わんばかり。されどそんな野菜スープでも飢えている者にとっては御馳走も同然。彼はあまりその部分を考えないが、最底辺の奴隷からすれば野菜スープだけでも天上の食事である。
 ――故にであろうか。そんな匂いを部屋の中で充満させたからこそ、ベッドで寝ていた女性はゆっくりと瞼を開いた。
 彼女の視界に映るのは木製の天井。決して貴族の家ではなく、また街にあるような一般的な煉瓦造りの家とも違う。

「――ここは」

 思わず呟いた女性の声に、彼は機敏に反応する。
 野菜をかき混ぜていた手を止め、彼は二つの皿にスープを入れた。御盆のような薄い木の板に二つの皿とスプーンを置き、彼女に向かって歩を進める。
 果たして、彼女は直ぐに彼に気付いた。同時に彼女の中で浮かび上がった感情は、恐怖である。
 何せ体格の大きい男が急にやってきたのだ。現状を知らない彼女では彼の印象を見た目から想像する他に無く、どれだけ控えめに見ても優しさとは皆無の姿をしていた。
 貫頭衣を纏い、身長は彼女の知るあらゆる男性を超えている。茶髪の髪は首の辺りにまで伸び、目も同様に茶色だ。相手の反応に警戒して真顔になっていた所為でその迫力は二十代とは思えない程であり、どれだけ顔が良くても他者にも警戒をさせてしまうだろう。
 彼女も警戒しているが、手に持っている物に目を見開く。

「……あの、それは」

「これか?お前のような者には不味いだけかもしれないが、一応朝食だ。別に捨てても構わんよ」

 湯気を上げる食事。それを見て、彼女は酷く驚いた顔をしていた。
 彼も彼女の反応に疑問を覚えたが、それでも食事だけは渡しておく。そのまま数歩離れた位置にある机の椅子に座り、彼は食事を始めた。
 彼女は驚きながらも、自身の手の中にある食事に目を落とす。
 スプーンに指を伸ばしてそっと掬った野菜は非常に色鮮やかであり、新鮮さに満ち溢れていた。
 毒が入っているかもしれない。そんな事を脳裏に過らせ、しかしそれを凌駕する程の空腹に突如として襲われた彼女は迷わずに口に運んだ。
 感じるのはやはり野菜の生の味である。それは決して美味しいとは言えず、嘗ての彼女の生活から考えれば即座に捨ててもおかしくはない。
 
「美味、しい……」

 ――だがしかし、このスープには温かみがあった。優しさがあった。
 身体の芯まで暖めてくれる生命のスープ。生を護るその味は、如何なる技法でも再現は出来ない。
 自然と手は動く。焦っていないように見せながら夢中で食べ進め、一つ一つが喉を通る度に感嘆の息が零れる。
 今この時代で、こんな味は最早存在してはいないだろう。少なくとも、貴族社会の中ではこの味は既に絶滅している。
 このスープには間違いなく愛があった。それを彼女は知り、故に瞳に涙を浮かべる。
 彼はそんな彼女の様子に驚いていたものの、一人の世界を展開している彼女の邪魔をしないようにと無言で何時もの野菜スープを口に運ぶ。
 もしやあまりに不味くて涙を浮かべたのだろうか。先ほどの発言も無理をしてのものであれば、彼女は貴族の中では珍しく優しい部類に入るだろう。
 そのまま互いに無言で食事が進み、ついには鍋に入っていた分も含めて野菜スープは全て消えた。
 
 後に残るのは無言の空間だけ。
 互いに最初の一歩を踏めずに居たのだが、彼の方が致し方ないと口を開いた。

「どうやら朝食を食べられるだけの元気はあるみたいだな。……俺の名前はマリン。この家で農夫をしている」

「あ……御飯有難うございます。私の名前はエリン・ゼパート。ゼパート公爵を知っているでしょうか?」

 そして始まった自己紹介は、彼女の最初の一言によって驚きに包まれていった。
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