花の蜜は何より甘く

FEEL

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「どうして、どうしてよ蓬っ。私が好きなんでしょう。守ってくれるんでしょうっ」
「うん。うん。守るよ。たった一人の肉親だもん。絶対に幸せにしてみせる」
「だったら……っ、この腕を離しなさいっ!」

 香の表情にみるみる変貌していく。控えめに入れていた力、今では必死そのもので、息を乱しながら腕を振りほどこうと体を引いていた。それでも、決して離しはしない。私も負けじと腕の力を強めた。

「この……! いい加減に、しろっ!」
「痛っ!」

 香の怒声と共に、掴んでいた腕に鋭い痛みが走る。火傷をしたような痛みに目をやると、ぽたぽたと血液が落ちていた。
 香の手には果物ナイフのような刃物が握られていた。刃先には血が付着していて、腕の傷はナイフで切り付けられたものだと思った。

「離せっ馬鹿女っ! 警察警察ってうぜぇんだよ!」
「か、香……?」

 唸り声のような叫びに私は思わず面食らった。穏やかだった形相は鬼のように変形していて、先ほどまでの姉と同じ人物とは思えなかった。

「守るって約束したじゃんか! どうしてこんな困らせることばっかするんだよ!」
「こ、これが私なりの守り方なんだよ……。よく考えたら、やっぱり二人で逃げ続けることなんて出来ない。それなら罪を償って自由になる方がいいに決まってるっ! だから、警察に……っ」
「嫌だっていってるだろ! 解釈違いなんだよ!」
「あっ!」

 香が勢いよく引っ張ると、血液で濡れた腕がすり抜けた。息を乱した香は私を睨みつけ、刃先をこちらに向けていた。

「罪を償うとか、そういう当たり前の常識はいらないんだよ……そんなものじゃこれっぽっちも安心できない。私が欲しいのは王子様だけだ」
「……王子様?」
「そう。私がどんなに窮地に陥っても、颯爽と駆けつけて悪者を倒してくれる。そんな王子様……! それだけが私の癒し、それだけが私の希望! 王子様がいないと、こんな悪者だらけの世の中を生きていける気がしないのよ!」

 口早に語った香は頬を赤らめ、恍惚とした表情をしていた。明らかに常軌を逸した香の姿に、私は口ごもるしかなかった。

「――だからね、私は王子様を待っているの。何度も何度も、助けにきてくれるように、危険なことをいっぱいしたわぁ……そのたびに伸一さんが、私の王子様が助けてくれたぁ……」
「き、危険なこと……?」
「そぉ……夜のお仕事に手をだしたり、危ない人間からお金を盗んだり……私に遊ばれた人たちは、事実を知ると血相を変えて私を追いかけてきたわぁ……その度に伸一さんが助けてくれる。その瞬間、私は愛されてるって、生を実感できるのよぉ……! 死体を遺棄したのだって、いつか死体に気付いた人間が私たちを捕まえにくるのを待つため。その瞬間、私は最上の幸せをぉ……感じれるはずだったのに! お前が邪魔をした!」

 ナイフを突きつけた腕を伸ばして、香がこちらを睨む。

「わ、わたし……が?」
「そうだよっ! 全部知ってるんだ! あんたが伸一さんを追い詰めて、警察に捕まえさせたんだろ! 標的が彼じゃなくて私だったら……私は最高に幸せを感じられたのに……あんたが、あんたが愚図なせいでぇ……!」
「な、なに言ってるのよ……」
「シラを切る気? 本当にどこまでも思い通りに動かない女だね……もういい、本当はもっと楽しませてもらうつもりだったけど、もういらない」

 言いながら、香はこちらに歩いてきた。片手で握っていたナイフを両手に持ち替え、突き出すように固定してこちらに向かってくる。香の錯乱具合に委縮していた私は、反応できないまま香が近づいてくるのを見ている事しかできなかった。
 目の前が真っ暗になり、瞬間。私の体に衝撃が走った。

「……え?」

 目を開けると、私は地面に倒れこんでいた。慌てて体を確認するが、刺された形跡はない。それに、ぶつかってきたはずの香も見当たらなかった。

「大丈夫か?」

 低い男の声が聞こえた。聞きなれた声に目を向けると、私の前に武藤が立っていた。刃物を持った両腕が武藤によってがっちりと固定されていて、香は身動きが出来ずにいた。

「武藤さん……なんで?」
「衣笠さんの様子がおかしかったから後をつけていたんだ。ぷらぷらして何してるのかと思ったが、この公園に来た時点でピンときたよ、衣笠香と出会うつもりだって」
「この、でかぶつぅぅ……! はなせ、はなせええええぇぇぇぇぇぇ!」
「こう言っちゃなんだが……あんたの姉さん、ちょっとはしたないな」

 軽口を叩きながら、武藤は香の背後に足を運んで、ちょんと、彼女の体を肩で押した。後ろに重心が移動した香は、バランスを取ろうと足を動かすが、武藤の足が邪魔をして動くことが出来ず、流れるように地面に倒れこんだ。
 香りと一緒に倒れこんだ武藤は、目にもとまらぬ速さで彼女の腕を捻り上げ、ナイフを奪い取る。

「傷害の現行犯だ。色々と聞きたい事もあるからな。簡単に帰れると思うなよ」

 香を押さえつけながら武藤が言うと、ほどなくサイレンの音が近づいてきた。
 立ち上がって香を見ると、彼女の瞳からは涙があふれ出て、嗚咽を上げていた。

「どうして、どうしてよぉ……なんで蓬が助けられてるのぉ……」
「お姉ちゃん……」

 痛みを感じる腕を抑えながら、警察が来るまでの間、豹変した姉の姿をずっと眺めていた。
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