花の蜜は何より甘く

FEEL

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 香と公園で出会ってから二日が経った。朝目覚めた私は寝返りをうってから時計を見た。時間は八時。病院のルーティンだと少し遅めの起床だった。机を見ると、既に朝食が配膳されていた。どうせだったら、ついでに起こしてくれればいいのに。
 体を起こして、ベッドと連結されている机を引き寄せてから、いただきますと手を合わせて朝食を頂いた。献立は欠片のように小さなジャガイモが入った味噌汁。ほうれん草のおひたし。白米。焼き魚。魚の横には野菜の千切り。その上になぜかコーンが山になって乗っていた。素材の味が強調されている朝食を綺麗に平らげてから、ごちそうさまと手を合わせる。
 ベッドから出た私は動きやすい服装に着替えた。今日は香との約束の日だ。
 着替えが終わった後、私は山口の病室に向かった。山口も既に起床していて、一生懸命スマホを睨んでいる。もはや見慣れた光景だった。

「山口さん、おはようございます」
「あ、衣笠さん。こんちわっす」

 こちらに一瞬だけ目を配った山口は、すぐさまスマホに視線を戻す。別段話すこともない私は、ベッドの横に置かれてあるパイプ椅子に腰かけた。

「またゲームですか?」
「あー、はい」
「好きですねぇ。私はあんまりゲームってやらないんですけど、そんなに楽しいものですか?」
「楽しいっすよー。衣笠さんも何かやってみますか? あ、農園経営するシミュレーションゲームとかありますよ」
「経営ってことは雇用者への給与を計算したり、簿記の記入や卸先に挨拶周りとかする感じですか?」
「……そのゲーム、面白いと思います?」
「いや、全然」
「ですよね。もっとこう、メルヘンというか、楽しいところだけを抜き出した感じですよ。ほら」

 山口に差し出されたスマホ画面には、デフォルメされた農夫が牛や鶏等の家畜たちと一緒に踊っている画面が映し出されていた。

「こういうポップなキャラクターを使って、小さい家畜を育てたり、作物を育てたりして農場をでかくするゲームです」
「なるほど……確かに可愛いですね。でも家畜ってことは、こんな可愛い牛たちを精肉にしたりすんでしょう? そういうのはちょっと苦手だなぁ」
「精肉なんて仕様ないっすよ……てか、苦手なのにそういう考え方が出来る衣笠さんが怖いっす」

 山口は私から身を引きつつ、スマホを戻した。なんだか失礼な扱いを受けている気がするが、山口の態度を見るに、私にゲームは向いていないようだ。

「そういや、この間は大冒険したみたいっすね」
「え、あぁ。病院を抜け出した話?」
「そうです。武藤さんカンカンでしたよ。大丈夫でした?」
「うん。特に何も言われなかったよ」
「そーですか。良かったっすね」

 スマホに視線を向けたまま山口は言った。武藤がそんなに怒っていたとは、そうは見えなかった。考え事をしていたせいかな?
 会話が止まり、暫く山口の様子を眺めてから、私は席を立った。病室に戻ったあと、スマホを取り出してアドレス帳から叔父の番号を入力した。電話に出た叔父はとても元気そうだった。
 他愛無い話をしてから、近いうちに大阪を出ることを告げると声の調子が変わり、嬉しそうに「待っとるで」と言ってくれた。帰る場所があるというのはとてもいいことなんだと思った私は、感謝を告げて電話を切った。
 そのまま、アドレス帳をスクロールして江崎にも電話を掛けた。電話に出た江崎も相変わらずの調子で、店に置いてある花の成長記録を延々と聞かされてしまった。

「はぁ……」

 電話を切ってから、息を吐きだす。少しだけ休憩をしてから、財布やスマホなど、必要最低限の荷物をポケットに詰め込んだ。今の時間は午前十一時。約束の時間まで、まだまだ時間はある。だけど、私は身支度を整えて病室を出た。
 時間まで病室にいたら武藤に会う可能性が上がってしまう。今彼に出会ってしまうと、私は洗いざらい話してしまう気がしていた。そうなれば当然、武藤は香を捕まえてしまう。その展開は避けたくて、早めに病室を出ていくことにした。
 外出届を申請すると、医師がこちらをジトリと睨んでから、許可を出した。医師の視線には、ちゃんと時間通りにもどってこいよ。という意思を感じられた。勿論、帰ってくるつもりはない。ごめんね。
 病院を出てから、目的の時間になるまで時間を潰そうと街に出た。
そういえば、大阪に来てから初めての買い物だ。
 駅前に移動すると、賑わっているだけあって、色々な店があった。
 適当な雑貨屋に入ると、カップルがいちゃいちゃと手を繋ぎ、商品を見て話をしている。隙間をすり抜けて商品を眺めていると、綺麗な装飾が施されたペアのカップがあった。
 同じ装飾で色だけが違うマグカップ。どことなく私と香を思わせるカップから目を離せずに、商品を手に取ってレジに持っていく。
 ――落ち着いたら、片方を香にプレゼントしよう。包装してもらったマグカップを眺めてから、店を出た。
 ぶらぶらと街を散策して数時間。街に照明が灯り始めて、夜の街が顔を出し始めた。適当なタクシーを止めて中に入る。時間を確認すると丁度いい時間だった。
 行き先を告げると、不愛想な運転手は小さい声で「はい」とだけ呟き、車を発進させる。流れる夜景を見つめながら、私は香のことを考えていた。



 少し早くに公園に着いた私は、ベンチに座って香が来るのを待っていた。時間は八時を回っていたが、まだ香はやってこない。正確に時間を決めていなかったのだから仕様がないか。
 ……香は、森田が死んだことを知っているのだろうか。
 知っていたとして、香は何を思っているのだろうか。香にとって、森田はどんな存在だったのかが気になっていた。大切な存在だったのならば、きっと彼女は悲しくて、苦しくて、辛いと思っているのだろう。そう思っていると、いて欲しいと願った。
 そうじゃないのなら、森田の代わりとなる私の存在は――。
 考えていると、ふわりと嗅ぎなれた花の香りがした。ジャスミンの香りだ。顔を上げると、香が立っていた。

「早いのね」

 近づきながら、香は言った。

「もう、準備は大丈夫?」
「うん、済ませて来たよ」
「そう、それじゃあ――」

 私の手を引こうとする香の腕を捕まえた。
 香は訝しい目を向けて振りほどこうとするが、彼女の細腕では力が足りなかった。諦めた香は小さく息を漏らした。

「……なに?」
「お姉ちゃん、警察に行こう」
「……どうしたの、蓬? 私のことが嫌いになった?」

 香の言葉に、何度もかぶりを振る。

「好きだよ。久しぶりに会って、ずっと一緒にいたいと思った。昔みたいに、幸せに」
「だったら警察なんて必要ないでしょ、ほら、この手を離して」
「だからこそだよ。ずっと一緒にいるために、警察に行ってすべてを話すんだよ」

 香は間違いなく一連の事件の中心にいる。彼女自身がそれを認めているのだから間違いはない。
 だから私は、彼女を連れて逃げるのではなく、罪を償わせることにした。罪といっても、正確には何をしでかしたのかはわかってはいない。だから、それも踏まえてすべてを話してもらう。
 そうすることで、初めて香は救われるのだ。わがままだと理解しているが、その引導だけは、どうしても私の手で渡したかった。

「いい加減にしてちょうだい」

 私が本気だと感じたのか、香の力が強くなった。香の細い体が揺れるたびに、悪いことをしているような気持になったが、掴んだ腕を解くことはしなかった。
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