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「なんだか気に入らないって顔をしているな」
森田の行動に不満を感じていると、武藤が言った。どうやら表情にも出てしまっていたようだ。
「べつに。ただ、もっと上手い方法はなかったものなのかなって考えていただけです。これだとまるでロマンス映画の逃避行みたいじゃないですか」
結ばれない男女が己の不運を嘆いて今の環境から逃げだし幸せになろうとする。物語の世界では大多数が憧れるドラマチックな展開だが、現実では泥沼だ。実際物語の中でも、美化されているだけで誰かから追跡され、血なまぐさい出来事が起きたり。身を隠せたはいいものの、満足な暮らしが出来ずに破綻してしまうものだ。
「まるで、というよりもロマンス映画の主人公そのものだと思ってたんじゃないか。森田は」
「どういうことです?」
「取り調べの最中。森田は頻繁に衣笠香の名前を出していた。あの態度は相当入れ込んでいるぞ。施設から連れ出す時も善意というよりかは恋慕に近い感情だったんじゃないか」
「恋慕って……その時姉さんは九歳ですよ」
「でも森田も大学生だったんだろ。十歳前後の差なんてワイドショーでしょっちゅう報道されてるじゃないか」
それとこれとは話が違う気がするのだが。反論しようとしたが、明らかに真面目に聞いていない武藤を見て止めておいた。こういう相手と議論しても、話は進まないものだ。
「それで、森田はどうしてるんですか」
「あぁ。少し話が逸れていたな。十五年間の動向を全部話した後は拘置所で大人しくしているよ」
「そうですか。 面会とかって出来るものなんですか?」
「出来るし、簡単な差し入れなら大丈夫だ。少し話でもするか?」
「いえ。頭の傷が完璧に治ってからで大丈夫です。それよりも姉さんはどうしてますか?」
姉にとっては人生の基盤になる森田が逮捕されたのだ。今頃慌てているだろう。捜査に協力していた手前、姉のことを考えると少しの罪悪感が胸に湧いてくる。だが、武藤の口から全く予想外の言葉を聞かされた。
「衣笠香は、行方を眩ました」
「……え?」
施設を抜け出た話をもう一度聞かされているのかと思って聞き返してみたが、さっきと違って武藤の表情は険しいもので、冗談でも間違いでもないのだと思った。
「森田の殺害現場に居合わせた彼女は重要参考人の一人だ。確保するために彼女の家を張り込んでいるが、未だに見つかったという連絡はない。考えたくはないが、森田が捕まったのを聞きつけて逃げたんだろうな」
重要参考人? 逃げた?
武藤が何を言っているのか、理解が追いつかなかった。ただ、神妙な表情で語る武藤は、冗談を言ってはいないということだけは理解できていた。
「……森田は何も知らなかったんですか?」
「あぁ。彼女がいなくなったことを説明したが「そうですか」と言っただけでな。有益な情報は得られなかった」
つまり、姉はすぐさま捕まるようなことはない訳だ。私はとりあえず安堵した。
しかし、こちらとしても姉の行き先はわからない。どうしていなくなってしまったのか、武藤がいうように本当に逃げてしまったのだろうか。考えてもわかるわけはないが、それでも考えずにはいられなかった。このままだと姉は発見したと同時に捕まってしまう。そんな最悪な展開だけは避けたかった。
姉の行き先に頭を悩ませていると、武藤が椅子から立ち上がった。
「俺は山口のところに行ってくる。――くれぐれも先走ったことはするなよ」
人差し指を突き付けて、武藤は念押しをしてきた。
「別になにもしませんよ。私の生態は周りの空気に溶け込む、保守的なものなんです」
「保守的な人間は殺人犯と二人きりで会話したりしねぇよ。いいから大人しくしてろ」
吐き捨てるように言った武藤は病室を出た。態度から察するに、一人で姉を探しにいかないか警戒されているようだ。非常に心外だ。ベッドから降りた私は扉から頭だけを出して廊下を覗き込んだ。廊下に武藤の姿がないのを確認してから扉を閉じて、私服に着替えた。
――私が釘を刺されたくらいで大人しくしていると思われているだなんて、非常に心外だ。なんのために日本の南端からここまで来たと思っているのか。急いで着替えた私は忍者のように足音を消して、一時外出届を出した。
勿論、姉の行方なんて見当がつかない。しかし、動かずにはいられなかった。私はまだ、妹として何も話をしていない。
姉が私を置いて、一人で強盗を確認しにいったことに、私はまだお礼を言っていない。
姉が辛い思いをして、話せなくなった時、私は何もしてあげていない。
姉がいなくなったとき、一人で泣いたいたことを、私はまだ愚痴っていない。
姉が大きくなったのを見て、なんて綺麗な人なんだと、私はまだ褒めていない。
叔父の事、悲しかったこと、楽しかったこと。私は自分の片割れに全然伝えられていないんだ。もう叶わないとすら思っていた、姉と話す機会をここまで来て逃す訳にはいかない。
病院を出て辺りを見回すとタクシーを見つけた。手を上げて呼び止めると、タクシーは目の前で止まり、ドアが開く。武藤に見られていないか一瞬だけ病院に振り返ってから、タクシーに乗り込んだ。
席に座ると同時に、子供の時に住んでいた町の名前を伝える。気の抜けた声で返事をした運転手は、扉を閉めてからアクセルを踏んだ。
森田の行動に不満を感じていると、武藤が言った。どうやら表情にも出てしまっていたようだ。
「べつに。ただ、もっと上手い方法はなかったものなのかなって考えていただけです。これだとまるでロマンス映画の逃避行みたいじゃないですか」
結ばれない男女が己の不運を嘆いて今の環境から逃げだし幸せになろうとする。物語の世界では大多数が憧れるドラマチックな展開だが、現実では泥沼だ。実際物語の中でも、美化されているだけで誰かから追跡され、血なまぐさい出来事が起きたり。身を隠せたはいいものの、満足な暮らしが出来ずに破綻してしまうものだ。
「まるで、というよりもロマンス映画の主人公そのものだと思ってたんじゃないか。森田は」
「どういうことです?」
「取り調べの最中。森田は頻繁に衣笠香の名前を出していた。あの態度は相当入れ込んでいるぞ。施設から連れ出す時も善意というよりかは恋慕に近い感情だったんじゃないか」
「恋慕って……その時姉さんは九歳ですよ」
「でも森田も大学生だったんだろ。十歳前後の差なんてワイドショーでしょっちゅう報道されてるじゃないか」
それとこれとは話が違う気がするのだが。反論しようとしたが、明らかに真面目に聞いていない武藤を見て止めておいた。こういう相手と議論しても、話は進まないものだ。
「それで、森田はどうしてるんですか」
「あぁ。少し話が逸れていたな。十五年間の動向を全部話した後は拘置所で大人しくしているよ」
「そうですか。 面会とかって出来るものなんですか?」
「出来るし、簡単な差し入れなら大丈夫だ。少し話でもするか?」
「いえ。頭の傷が完璧に治ってからで大丈夫です。それよりも姉さんはどうしてますか?」
姉にとっては人生の基盤になる森田が逮捕されたのだ。今頃慌てているだろう。捜査に協力していた手前、姉のことを考えると少しの罪悪感が胸に湧いてくる。だが、武藤の口から全く予想外の言葉を聞かされた。
「衣笠香は、行方を眩ました」
「……え?」
施設を抜け出た話をもう一度聞かされているのかと思って聞き返してみたが、さっきと違って武藤の表情は険しいもので、冗談でも間違いでもないのだと思った。
「森田の殺害現場に居合わせた彼女は重要参考人の一人だ。確保するために彼女の家を張り込んでいるが、未だに見つかったという連絡はない。考えたくはないが、森田が捕まったのを聞きつけて逃げたんだろうな」
重要参考人? 逃げた?
武藤が何を言っているのか、理解が追いつかなかった。ただ、神妙な表情で語る武藤は、冗談を言ってはいないということだけは理解できていた。
「……森田は何も知らなかったんですか?」
「あぁ。彼女がいなくなったことを説明したが「そうですか」と言っただけでな。有益な情報は得られなかった」
つまり、姉はすぐさま捕まるようなことはない訳だ。私はとりあえず安堵した。
しかし、こちらとしても姉の行き先はわからない。どうしていなくなってしまったのか、武藤がいうように本当に逃げてしまったのだろうか。考えてもわかるわけはないが、それでも考えずにはいられなかった。このままだと姉は発見したと同時に捕まってしまう。そんな最悪な展開だけは避けたかった。
姉の行き先に頭を悩ませていると、武藤が椅子から立ち上がった。
「俺は山口のところに行ってくる。――くれぐれも先走ったことはするなよ」
人差し指を突き付けて、武藤は念押しをしてきた。
「別になにもしませんよ。私の生態は周りの空気に溶け込む、保守的なものなんです」
「保守的な人間は殺人犯と二人きりで会話したりしねぇよ。いいから大人しくしてろ」
吐き捨てるように言った武藤は病室を出た。態度から察するに、一人で姉を探しにいかないか警戒されているようだ。非常に心外だ。ベッドから降りた私は扉から頭だけを出して廊下を覗き込んだ。廊下に武藤の姿がないのを確認してから扉を閉じて、私服に着替えた。
――私が釘を刺されたくらいで大人しくしていると思われているだなんて、非常に心外だ。なんのために日本の南端からここまで来たと思っているのか。急いで着替えた私は忍者のように足音を消して、一時外出届を出した。
勿論、姉の行方なんて見当がつかない。しかし、動かずにはいられなかった。私はまだ、妹として何も話をしていない。
姉が私を置いて、一人で強盗を確認しにいったことに、私はまだお礼を言っていない。
姉が辛い思いをして、話せなくなった時、私は何もしてあげていない。
姉がいなくなったとき、一人で泣いたいたことを、私はまだ愚痴っていない。
姉が大きくなったのを見て、なんて綺麗な人なんだと、私はまだ褒めていない。
叔父の事、悲しかったこと、楽しかったこと。私は自分の片割れに全然伝えられていないんだ。もう叶わないとすら思っていた、姉と話す機会をここまで来て逃す訳にはいかない。
病院を出て辺りを見回すとタクシーを見つけた。手を上げて呼び止めると、タクシーは目の前で止まり、ドアが開く。武藤に見られていないか一瞬だけ病院に振り返ってから、タクシーに乗り込んだ。
席に座ると同時に、子供の時に住んでいた町の名前を伝える。気の抜けた声で返事をした運転手は、扉を閉めてからアクセルを踏んだ。
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