花の蜜は何より甘く

FEEL

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 深夜二時。病院の中は結構な騒ぎになっていた。山口は武藤に連絡を入れた後、病院側に起きた出来事を説明してから、応援を待った。十分もしないうちにバンタイプのパトカーが複数やってきて、武藤と一緒に結構な数の警察官が病院にやってきた。それから手分けをして森田が潜んでいないか病院内を確認していた。
 急にやってきた警察に驚いた患者たちは何事かとざわついていて、看護師と医師総出で状況を説明している光景を眺めていると、武藤が近づいてきた。

「おう、大変だったみたいだな」
「お疲れ様です」
「山口。大活躍だったみたいじゃないか。お前もやれば出来るんだなぁ」
「何すか、その普段は出来てないみたいな言い方は」

 不満そうな山口を尻目に、私の頭ではずっと森田の言葉が繰り返されていた。彼の口ぶりを素直に受け取るのなら、月下香という人間は存在しない。彼女は『月下』という仮面を装着した、衣笠香なのだ。

「武藤さん、少しいいですか?」
「あぁ、森田の件か?」

 私は頷いた。

「森田と少し話をしました。私が子供の時に遊んだ衣笠蓬だと知ったら驚いたようで。それで、月下香のことを私の姉だと取れることを話したんです」
「……やっぱり、そうだったか」

 武藤は驚く様子もなく、納得したように頷いた。

「私もう、何がなんだか……」

 月下香が姉だったとして、どうして彼女は私の存在に気付かなかったのだろう。無論、森田も気づいていなかったのだから、容姿での判断は期待していない。だが月下とは昔住んでいた場所で出会っているのだ。確信を持てないまでも、もしかしてと思ったりはしなかったのだろうか。森田も口ぶりから姉だとわかっていたはずだ。ならばもっと早くに気付いていたら、怪我をすることもこんな面倒も怒らなかったはずなのに。傷口がずきりと痛み、苛立ちがこみ上げた。
 そこまで考えて、私は笑みを浮かべる。それは私も一緒か。自分の出自を隠そうと思うあまり、月下のことを気にかけていなかった。少し考えれば想像できそうなことだったのに、それをしなかったのだから月下のことを言う資格はない。

「衣笠さん。色々思うところもあるだろうが、細かいことは森田本人から聞き出せばいい」
「え……?」
「森田がこの病院から逃げてからまだ一時間も経っていない。周辺の交通網には検問も配備した。森田が捕まるのは時間の問題だ。捕まえてしまえばいくらでも話ができるだろうさ」
「そうですね。……ありがとうございます」

 きっと私は思いつめた表情でもしていたのだろう。武藤の言葉に気遣いが感じられて、私は頭を下げた。警察官に呼ばれた武藤はその場を離れる姿を見送った。そうだ。わからないことをあれこれ考えていても仕方がない。森田本人からならちゃんとした話がきけるはずだ。そう思った私は警察にすべてを委ねて進展を待った。
 動きがあったのはそれから一時間が過ぎたころだった。検問をしていた場所で森田と思わしき姿が発見されたと報告があったのだ。すぐさま現場に向かう武藤にお願いして、私も現場に向かった。
 到着した場所は河川だった。看板には淀川と書かれていて、かなり広い面積の川に橋がいくつも架かっている。橋の入口には警察官がいて、こちらに気付くと腕を上げた。

「状況は?」
「国道から少し逸れた場所で黒づくめの男が目撃されました。職務質問をしようと近づいたところ、こちらの存在に気付いた男は河川側に逃亡したたのことです」
「……大分近いところだな」

 警察官が広げていた地図を見て武藤が呟く。いっしょに覗き込むと川の近く数か所に赤いマルと共に時間と思われる数字が書かれていた。

「森田は河川沿いに逃亡したみたいだ。俺たちはこの周辺を探ってみよう」
「私もいっしょに探します」

 武藤にそう言うと。少しだけ迷った様子を見せた武藤は頷いた。

「衣笠さん。背の高い藪から飛び出してくる可能性がある。くれぐれも単独での行動は控えて周りの目が届く範囲で動いてくれ」
「わかりました」

 五メートル以上はある堤防を越えてると整備された土地があった。武藤が言ってたように、所々には藪が点在していて、人が隠れるには十分な密度がある。懐中電灯を片手に武藤たちと別れた私は周辺の探索を開始した。
 綺麗に整備されていて歩くのには苦労しなかったが、街灯がなく、懐中電灯で照らさないと何も見えなかった。そういえば病院でも暗がりから襲われたっけ。思い出すと首筋になにかが引っ掛かってるような錯覚を覚えた。
 藪に近づき、懐中電灯で照らしてみるが、雑草は奥の方まで生えているようで表面しか見えない。辺りは開けている分、隠れるとしたらこういうところだとおもうのだが……。
 暗闇の中で懐中電灯の光がゆらゆらと動いていた。藪をかき分けて奥を覗き込む……これだけの人数がいるのだから少し覗くぐらいなら大丈夫だろうか。何かあれば声を上げればいい。そう思って藪の中に足を踏み入れた。

「うるさ……」

 少し入り込むと、風で草が音を立てた。近いせいかこれが凄い音量で、叫んだとしても声が届くか不安になった。早速入り込んだことに後悔を覚えて引き返そうとすると、風音とは別の、人為的な音が聞こえて振り返った。

「森田さん?」

 やはりというべきか、そこには森田がいた。
 フードを被った森田は姿勢を低くしてこちらの様子を伺っている。しかし、すぐさま襲ってくる気配はなかった。

「蓬ちゃんか?」
「……はい」
「そうか、大きくなったな。見違えたよ」
「森田さんも。お互い変わっちゃいましたね」

 皮肉を込めて言うと、くっくと森田は笑った。

「そうだな。変わらないのは香くらいだ」
「……彼女は、月下香は、お姉ちゃんなんですか?」
「あぁ。その様子だと本当に知らなかったんだな」
「そう、ですか。どうして偽名なんて」
「香はいなくなった存在だからな、本名のままで生活すると不便だった。それだけだ」
「わからないですよ。そもそもどうして隠れるような真似をしているんですか? 普通に生活しているのなら、帰ってくればよかったのに」
「……それが香の望んだことだからだよ。そうだ。彼女がそう望んだから、俺はあの時から素性を隠して一緒に暮らす事を決めたんだ。そこに彼女が求めるものがあったから」

 自分に言い聞かせるように、森田は吐露する。あの時、というのは恐らく行方を眩ましたタイミングだろう。

「お姉ちゃんが求めたものっ、て?」
「……庇護だ」
「庇護?」
「あぁ。絶対に自分を守り切る、そういう第三者からの庇護。彼女が求めているのはそれだけだ」
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にいたのは守るためってことですか? でも、当時のお姉ちゃんは九歳かそこらですよ。守ってほしいならそれこそ出てくるべきだったんじゃないですか」
「……強盗事件を覚えているかい?」

 森田の質問に私は頷いた。

「香ちゃんはあの事件がきっかけでおかしくなった。君が言うように俺だって姿を現した方がいいと思った時もあった。蓬ちゃんは叔父さんに引き取ってもらったんだろう? 香もそこでお世話になったほうがいいんじゃないかって、そう思ったりもしたさ。でも駄目なんだ。それじゃあ香は満たされない、心の底から安心できないんだ」
「わかりませんよ……どういうことなんですか?」
「香の心は病んでいるんだ、普通に過ごしているだけでは彼女は生きていけない。彼女は――」

――ピリリリリ。
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