花の蜜は何より甘く

FEEL

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「月下宅周辺に森田が潜んでいたのなら、例え買い物であっても森田に発見されているはずです。あの住宅地周辺は人も少ない。人を殺してまで追いかけてくる男がそんな機会を逃すとは思えない」
「いえ、恐らく森田さんは月下さんを捕まえてはいません」

 きっぱりと言い放った私に山口は「えっ」と声を漏らした。

「どうしてそう思うんですか?」
「襲われた時のやりとりです。会話にはなっていなかったんですけど、彼は独り言のように呟いていたんです」
「呟くって、いったい何を?」
「私が聞き取れたのは。『誰かが月下香を狙っている』ということ。そして、森田さんは『彼女を守っている』と取れる発言でした」
「つまり、森田は月下を襲うのではなく、誰かから守るために追いかけていたということですか?」
「彼の言葉を素直に受け取るのなら、そういうことになります」

 山口は腕を組んで、唸り声を上げた。

「仮に森田が彼女を守っていたとして、なんで月下は逃げていたんでしょうか。普通、守られているのなら逃げるんじゃなくて、手の届く範囲にいるものじゃないですか?」
「そうなんですよね……」

 森田の言葉通りなら、月下の行動に疑問が残る。山口が言うように、森田から逃げる必要などないはずなのだ。

「実は店主が悪者で、森田さんが助けにきたとか」

 あてずっぽうで答えてみるが、山口は首を横に振る。

「事件の瞬間だけじゃなく、残っている防犯カメラの映像をすべて確認しましたが。月下が映っていたのはあの夜だけです。それに、映像以外で接点があったとして、わざわざ自分から悪者である店に入り込むなんて矛盾してるでしょう」
「わ、わかってます。言ってみただけですよ」
「やっぱり森田の発言は妄言なんじゃないですか。月下の態度を見ると筋が通ってないですよ」

 ばっさりと切り捨てる山口に、今度は私が唸り声を漏らした。
 確かに、森田の発言と行動は一致していない。森田から逃げていた月下を見ても、守る側ではなくて襲っている側だ。だが、私は月下の態度が引っ掛かっていた。
 店に逃げ込んだ後、私と出会った月下はとても穏やかだった。困っている私を見捨てないほど余裕があったのだ。自分の身が危険に晒されていた人間が、すぐさまそんな行動を取れるのだろうか。少なくとも、実際に危険な目に遭った私には、そんな心の余裕はないだろうと感じた。
 ならば、森田の発言も少しは信憑性を帯びる。誰かの庇護にある状態なら心に余裕があるのも納得できるからだ。そう考えると同時に、森田から逃亡していた月下の映像が頭をよぎる。
 駄目だ。これじゃあ堂々巡りだ。

「何をうんうん唸ってるんだお前ら」

 山口を二人で頭を捻っていると、廊下から武藤の声が聞こえた。

「二人とも、順調に快復してるようだな。で、何を話してたんだ?」
「はぁ……」

 これ以上素人である私の頭を動かしても拉致があかない。専門家に意見を求めてみよう。そう思って山口に話したことを武藤に説明した。森田の発言。月下の行動。さっきまで話していた内容をすべて武藤に伝えると、彼は「なるほどな」と頷いた。

「何かわかりました」
「そうだな……さっぱりわからん」

 臆面する様子もなく、武藤はきっぱりと言ってのけた。

「そもそも証拠でもなんでもないただの言葉だからな。受け取り方でなんとでも考えられる。それだけじゃあ何もわからん」
「そうですかぁ」
「ただまぁ、そういう話は刑事をしているとよく耳にするぞ。殺そうと思っていなかった。相談するつもりだった。仲がいいと思っていた。こういうのがな」
「あぁ、ニュースとかでよく聞きますね」
「だろう。それを踏まえて客観的に考えると……森田は月下に付きまとう男から身を挺して守っている。だから月下本人に危害を加えるつもりはない。だが、月下の対応から見るに、森田の行動に恐怖を感じている。ってところか。森田の凶悪さがはっきりしただけで状況は対して変わらんな。だが、月下の様子は確かに気になる」
「私と話した時のことですね」
「あぁ。衣笠さんの思う通り、人は危機的状況に陥るとどんな人間でも少なからずパニック状態になる。つまりどれだけ落ち着いていると思っていたとしても、正常な判断が取れなくなってるんだ。だが、月下の対応には別段違和感を感じない。数時間前に逃亡劇をしているのに関わらず、だ」
「じゃあ、武藤さんも森田の発言を信じてるんすか?」
「そこまでは言ってない。だが月下の態度は被害者のそれじゃないって話だ。本当は俺たちが勘違いしているだけなのか。それとも、こういう状況に慣れているのか」

 武藤は顎先を指で撫でて少し考え込んでいたが、看護師が病室に入って来ると、入れ違いに部屋を出る。廊下に出る直前、武藤がこちらに振り向いた。

「とにかくお前たちは安静にしていろよ。治るもんも治らんぞ」

 念を押された私たちは同じように頷くと、武藤が部屋を出ていった。看護師さんが体温計を取り出して山口の看病をしようとしていたので私も自分の病室に戻ってからベッドにねころがっていると、いつのまにか寝てしまっていた。
 目を覚ますと部屋の電気は消えていて、窓の外も暗くなっていた。寝なおそうかと布団を頭まで被ったが、嫌に目が冴えて眠れそうになかった。
 病室は個室を用意してもらっていた。寝ているベッドがもう一つ横に置けるくらい広い部屋を手配してもらったのはとても有難いのだが、ただ寝ているだけだと話し相手が欲しくもなる。といっても時間が時間なだけに他の人はもう寝ているだろうか。目を閉じて睡魔がやってくるのを待っていたが、どうにも眠れそうにないので観念して起き上がる。飲み物でも買いに行こう。
 大きな音を立てないようにスライド式の扉をゆっくり開けると、廊下も真っ暗だった。壁を求めて腕を伸ばしてみると手が見えなくなるくらいの暗闇。これは自販機まで行くのが大変そうだ。
 窓の外から僅かに入り込む街灯を頼りに壁を見つけて前に進む。おっかなびっくり進んでいると目線の奥に光が差し込んでいるのが見えた。光がある方に向かうと、自販機が唸るような機械音を鳴らして闇を照らしていた。小銭を入れて、ペットボトルに入った冷た~いお茶を購入してから、キャップを外して飲み口を口につけると、口内に入り込んでくる冷気が意識を覚醒させてくれる。うまい。

「ん……」

 自販機横に設置されてあったベンチに腰掛けると、廊下に張り付けられたラバーシートが鳴った気がした。

「誰かいるんですかー?」

 声を掛けてみるが返事はなかった。いやいや、そういうのはやめてくれ……。私はホラーが苦手なんだ。病院で真っ暗闇というだけで結構ギリギリだったのに、返事のない足音なんてトイレにいけなくなる。
 物音を殺し、暫く様子を見ていたが変化はない。しかし気のせいとも思えなかったので、ベンチから立ち上がり音が鳴ったと思われる方向に向かった。

「あの~すいません~。誰かいませんか~」

 声をかけながら歩いているが、返事は全く返ってこない。これで誰もいなかったら、私の頭がおかしいみたいじゃないか。誰かいたらそれはそれで困るんだけど。
 これだけ話しかけているのに無視して誰かが立ち尽くしていたら、幽霊よりも立派なホラーだ。そうならないように祈りつつ、曲がり角までやってきた。頭だけ出して角を確認してみるが、視界の先は真っ暗で何も見えたもんじゃない。
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