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「よぉ、起きたか」
「……おはようございます」
目を開けると白い光景が一面に広がっていた。何があったのか理解できない私は必死に頭を働かそうとするが、何も考えることが出来ない。目を開けてただ茫然としていると心地のいい風が頬を撫でた。
「ここは病院だ」
「病……院?」
武藤の声に聞き返すと、天井を見つめる私の視界に武藤が現れた。彼はおもむろに手を広げてピースサインを作る。
「何本かわかるか?」
「……二本」
「正解。じゃあこれは」
「……四本」
「正解。意識はしっかりしてるみたいだな」
納得したように頷くと、武藤が視界から消えた。目線で彼を追いかけると、武藤は開いた窓の前に置いてある椅子に座った。
「私、なんで、病院にいるんですか?」
「何があったのか覚えてないのか?」
「月下さんの家にいって、マンションの前で、武藤さんと別れて、気が付いたら、ここにいました」
「なるほどな。ショックで瞬間の記憶が飛んでるんだろう。事件被害者にはよくあるやつだ。落ち着いたら徐々に思い出してくるよ」
武藤の声は心地よく、頭に染み込んでくるような優しい声だった。
「衣笠さん、ありがとう。あんたのおかげで山口は大事にならなかった」
「山口、さん?」
「俺と別れた後、駅に戻る途中にあんたたちは襲われたんだ。山口は後頭部に一発。衣笠さんは額に一発。どちらも相当な力で殴られてみたいで出血が酷かった。特に山口は深刻なダメージで、結構危ないところだったんだが、あんたが傷口を抑えていてくれたおかげで出血量が抑えられてなんとか輸血が間に合ったらしい」
嬉しそうな調子を隠すことなく、武藤は言っていた。まだ上手く話せない私はたどたどしく「良かったです」と伝えると、武藤は目を細めて笑みを浮かべた。
武藤の話を聞いて、私の記憶も少しずつだが戻って来た。確かに私は血まみれの腕を見て、山口に命の危険が迫っていくことを感じていた。だから、頭を抱えるようにして強く圧迫していたはずだ。感覚的にやっていただけで意味があるのかわからなかったが、それで山口が助かったのならば、やってよかったと思えた。
四肢の感覚を覚えて、動くのを確認してから体を起こす。
「痛っ」
体は問題なく動いたが、上体を起こすと頭に鈍い痛みが走った。
「おいおい、あんまり無理はするなよ」
「私は、どれくらい、眠っていたんですか?」
「二日だ。今は昼の一時。十三時だ」
「二日?」
予想以上の時間に慌てて聞き返す。それだけ寝ていれば上手く喋れないのも納得だった。
シーツから出ている腕を見ると、チューブが差し込まれていて先には液体の入ったバッグがぶら下げられていた。再び頭に痛みが走り、手を当てると包帯が巻かれているのだろう。布の感触が伝わった。よくもまぁ、こんな目に合わされて生きていたものだ。
「ほら、水だ。飲めるか?」
「ありがとう、ございます」
キャップの開いたペットボトルを受け取ると、一口だけ飲み込んだ。よほど喉が渇いていたようで、口に入れた瞬間。水が口内から体に染み込んでいくようだった。
「――山口さんは違う病室なんですか?」
「あぁ。同じ階だから動けるようになったら見舞ってやってくれ」
「わかりました」
返事をしてほどなくすると、医者がやってきて私の容態を確認した。どうやら私の目が覚めたタイミングで武藤がナースコールを押していたようだ。医者と入れ替わるように武藤は病室を出ていった。
私が意識を取り戻してから三日が経過した。
頭の包帯を取り換える際に傷口を確認したが、中々派手にやられたようで、液体を入れた容器が破裂したみたいに傷が広がっていた。傷口を見て本当によく生きているなと思ったが、実のところ、結構危なかったらしい。
幸い、殴られたのが頭部の中でも特別硬い額だったのが助かった要因のようで、頭蓋骨に多少のひびが入った程度で済んだようだ。今ではすっかり快復していて、検査入院という名目で病院にお世話になっていた。
歩くのも問題なくなり、山口の病室に見舞いにいくと、
「あ、お疲れ様っす」
ベッドから挨拶した山口は、こちらをチラリと見てからすぐさまスマホに目を移した。
「山口さん、またスマホ……大丈夫なんですか?」
「大丈夫っす。先生にも使っていいですかって確認とりましたから」
「いや、そっちじゃなくて体の心配ですよ。というか、スマホに気を取られて背後から殴られたのに懲りないですね」
「周りにも気を張ってるんで問題ないっす」
スマホに熱中した山口はそう言った。山口のスマホに懸ける情熱だけは感嘆するものがある。
相変わらずの様子だった山口だが、腕に差し込まれているチューブは私の時より多く、顔面以外を隠すように巻かれた包帯が痛々しかった。
「本当に大丈夫なんですか」
「心配しすぎですって、これぐらい鍛えてるんで大丈夫ですよ。それより、ありがとうございました」
「なんですか、急に」
「武藤さんから聞きました。衣笠さんの応急処置がなかったら出血多量で死んでたかもしれないって。こうしてゆっくりしてられるのも衣笠さんのおかげです」
山口は言いながら、こちらを向いて頭を深く下げた。
「咄嗟にやったことなんで、気にしないでください」
山口の態度に私はかぶりを振った。こんなに畏まられた態度を取られたことがないのでどう対応したらいいのかわからなかった。
「もっと早くに気付いて止められたら良かったんですけど。助けるどころか結局私も殴られちゃいましたし」
照れ隠しで私がそう言うと、頭を下げたまま山口が、「すいませんでした」と謝ってしまい、余計に居心地の悪い空気になってしまった。
「こういう事態を避けるために同行していたのに、女性の顔に傷を作るような真似をして。本当に申し訳ないです」
「あ~……別にそういうのは気にしてないので、そんなに深く考えないでください。こうして生きて、またお話出来るだけで十分ですよ」
私は努めて明るく言った。
そうだ。生きてさえいれば傷なんてどうだっていい。死んでしまえば何もかもお終いなのだ。脳裏に死んでしまった父親が運ばれる姿が浮かび、胸が重くなる感覚がした。
もし私が死んでしまえば、きっと叔父はどうしようもない気持ちに苛まれるだろう。天寿を全うせずに死んでしまえば両親に申し訳がたたないし、江崎だって店のことで頭を悩ませるはずだ。そうならなかったことを考えれば、頭の傷くらい上等だ。それだけで済んだおかげで、やっと掴んだ手がかりに迫れるのだから。
「それよりも、襲われた時の話なんですけど。私たちを襲った男、あの人は間違いなく森田本人です」
「森田って、月下を追いかけていた森田ですか?」
山口の言葉に私は頷いた。
「表情が見えなくて最初はよくわからなかったんですけど、雰囲気というか、佇まいというか……上手く言えないんですけど、私を殴ろうとした瞬間のあの人は、私の記憶に残っている森田さんでした」
何か証拠がある訳ではない。だが、確信があった。子供の時に仲良くしていたからだろうか。あの時確かに、どこか懐かしい感覚がしたのを覚えていた。
「となると、月下香は森田に捕まっている可能性が高いかもしれませんね」
スマホを棚に置いて、森田が言った。
「……おはようございます」
目を開けると白い光景が一面に広がっていた。何があったのか理解できない私は必死に頭を働かそうとするが、何も考えることが出来ない。目を開けてただ茫然としていると心地のいい風が頬を撫でた。
「ここは病院だ」
「病……院?」
武藤の声に聞き返すと、天井を見つめる私の視界に武藤が現れた。彼はおもむろに手を広げてピースサインを作る。
「何本かわかるか?」
「……二本」
「正解。じゃあこれは」
「……四本」
「正解。意識はしっかりしてるみたいだな」
納得したように頷くと、武藤が視界から消えた。目線で彼を追いかけると、武藤は開いた窓の前に置いてある椅子に座った。
「私、なんで、病院にいるんですか?」
「何があったのか覚えてないのか?」
「月下さんの家にいって、マンションの前で、武藤さんと別れて、気が付いたら、ここにいました」
「なるほどな。ショックで瞬間の記憶が飛んでるんだろう。事件被害者にはよくあるやつだ。落ち着いたら徐々に思い出してくるよ」
武藤の声は心地よく、頭に染み込んでくるような優しい声だった。
「衣笠さん、ありがとう。あんたのおかげで山口は大事にならなかった」
「山口、さん?」
「俺と別れた後、駅に戻る途中にあんたたちは襲われたんだ。山口は後頭部に一発。衣笠さんは額に一発。どちらも相当な力で殴られてみたいで出血が酷かった。特に山口は深刻なダメージで、結構危ないところだったんだが、あんたが傷口を抑えていてくれたおかげで出血量が抑えられてなんとか輸血が間に合ったらしい」
嬉しそうな調子を隠すことなく、武藤は言っていた。まだ上手く話せない私はたどたどしく「良かったです」と伝えると、武藤は目を細めて笑みを浮かべた。
武藤の話を聞いて、私の記憶も少しずつだが戻って来た。確かに私は血まみれの腕を見て、山口に命の危険が迫っていくことを感じていた。だから、頭を抱えるようにして強く圧迫していたはずだ。感覚的にやっていただけで意味があるのかわからなかったが、それで山口が助かったのならば、やってよかったと思えた。
四肢の感覚を覚えて、動くのを確認してから体を起こす。
「痛っ」
体は問題なく動いたが、上体を起こすと頭に鈍い痛みが走った。
「おいおい、あんまり無理はするなよ」
「私は、どれくらい、眠っていたんですか?」
「二日だ。今は昼の一時。十三時だ」
「二日?」
予想以上の時間に慌てて聞き返す。それだけ寝ていれば上手く喋れないのも納得だった。
シーツから出ている腕を見ると、チューブが差し込まれていて先には液体の入ったバッグがぶら下げられていた。再び頭に痛みが走り、手を当てると包帯が巻かれているのだろう。布の感触が伝わった。よくもまぁ、こんな目に合わされて生きていたものだ。
「ほら、水だ。飲めるか?」
「ありがとう、ございます」
キャップの開いたペットボトルを受け取ると、一口だけ飲み込んだ。よほど喉が渇いていたようで、口に入れた瞬間。水が口内から体に染み込んでいくようだった。
「――山口さんは違う病室なんですか?」
「あぁ。同じ階だから動けるようになったら見舞ってやってくれ」
「わかりました」
返事をしてほどなくすると、医者がやってきて私の容態を確認した。どうやら私の目が覚めたタイミングで武藤がナースコールを押していたようだ。医者と入れ替わるように武藤は病室を出ていった。
私が意識を取り戻してから三日が経過した。
頭の包帯を取り換える際に傷口を確認したが、中々派手にやられたようで、液体を入れた容器が破裂したみたいに傷が広がっていた。傷口を見て本当によく生きているなと思ったが、実のところ、結構危なかったらしい。
幸い、殴られたのが頭部の中でも特別硬い額だったのが助かった要因のようで、頭蓋骨に多少のひびが入った程度で済んだようだ。今ではすっかり快復していて、検査入院という名目で病院にお世話になっていた。
歩くのも問題なくなり、山口の病室に見舞いにいくと、
「あ、お疲れ様っす」
ベッドから挨拶した山口は、こちらをチラリと見てからすぐさまスマホに目を移した。
「山口さん、またスマホ……大丈夫なんですか?」
「大丈夫っす。先生にも使っていいですかって確認とりましたから」
「いや、そっちじゃなくて体の心配ですよ。というか、スマホに気を取られて背後から殴られたのに懲りないですね」
「周りにも気を張ってるんで問題ないっす」
スマホに熱中した山口はそう言った。山口のスマホに懸ける情熱だけは感嘆するものがある。
相変わらずの様子だった山口だが、腕に差し込まれているチューブは私の時より多く、顔面以外を隠すように巻かれた包帯が痛々しかった。
「本当に大丈夫なんですか」
「心配しすぎですって、これぐらい鍛えてるんで大丈夫ですよ。それより、ありがとうございました」
「なんですか、急に」
「武藤さんから聞きました。衣笠さんの応急処置がなかったら出血多量で死んでたかもしれないって。こうしてゆっくりしてられるのも衣笠さんのおかげです」
山口は言いながら、こちらを向いて頭を深く下げた。
「咄嗟にやったことなんで、気にしないでください」
山口の態度に私はかぶりを振った。こんなに畏まられた態度を取られたことがないのでどう対応したらいいのかわからなかった。
「もっと早くに気付いて止められたら良かったんですけど。助けるどころか結局私も殴られちゃいましたし」
照れ隠しで私がそう言うと、頭を下げたまま山口が、「すいませんでした」と謝ってしまい、余計に居心地の悪い空気になってしまった。
「こういう事態を避けるために同行していたのに、女性の顔に傷を作るような真似をして。本当に申し訳ないです」
「あ~……別にそういうのは気にしてないので、そんなに深く考えないでください。こうして生きて、またお話出来るだけで十分ですよ」
私は努めて明るく言った。
そうだ。生きてさえいれば傷なんてどうだっていい。死んでしまえば何もかもお終いなのだ。脳裏に死んでしまった父親が運ばれる姿が浮かび、胸が重くなる感覚がした。
もし私が死んでしまえば、きっと叔父はどうしようもない気持ちに苛まれるだろう。天寿を全うせずに死んでしまえば両親に申し訳がたたないし、江崎だって店のことで頭を悩ませるはずだ。そうならなかったことを考えれば、頭の傷くらい上等だ。それだけで済んだおかげで、やっと掴んだ手がかりに迫れるのだから。
「それよりも、襲われた時の話なんですけど。私たちを襲った男、あの人は間違いなく森田本人です」
「森田って、月下を追いかけていた森田ですか?」
山口の言葉に私は頷いた。
「表情が見えなくて最初はよくわからなかったんですけど、雰囲気というか、佇まいというか……上手く言えないんですけど、私を殴ろうとした瞬間のあの人は、私の記憶に残っている森田さんでした」
何か証拠がある訳ではない。だが、確信があった。子供の時に仲良くしていたからだろうか。あの時確かに、どこか懐かしい感覚がしたのを覚えていた。
「となると、月下香は森田に捕まっている可能性が高いかもしれませんね」
スマホを棚に置いて、森田が言った。
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