花の蜜は何より甘く

FEEL

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 電車を降りて、駅のホームに設置してある時計を見ると夜の九時だった。駅から出てみると、オフィスビルが並ぶ街並みを歩く人は少なくて、マンションを出入りする家族たちが大多数を占めていた。
 大通りを外れて駅から離れていくと、十五分ほどして履歴書に書かれた住所が見えてくる。閑散とした周辺は大通りと比べて更に人が少なくなってきていて、背の高い建物に囲まれていると人がいなくなってしまったような、不思議な錯覚に囚われそうだった。

「ここだな」

 武藤が立ち止まり、手に持っていた履歴書を何度か確認した。十階以上はありそうな背の高いマンションだった。深いオレンジの間接照明に照らされた看板には筆記体でマンションの名前と思われるものが書かれていて、マンションを囲むように用意された花壇には控えめに植物が植えられている。マンションに入ろうと自動ドアの前に立つが、うんともすんとも言わない。

「マンションの人に開けてもらわないとだめみたいですね」

 自動ドアの前にはインターホンが設置されている。私たちみたいな部外者が入らないようにするためだろう。武藤は頭をがしがしと掻いた。

「管理人は、いないか」

 インターホンの前に応接用の格子がはめられた窓があった。しかし、窓の奥は真っ暗で人がいる気配がない。
 どうしたものかと三人が考えあぐねていると、自動ドアの奥から誰かがやってきた。やってきたのは女性で、Tシャツにジーンズというラフな格好で財布を手に持っている。身なりから見て買い物に降りてきた住人だろう。
 彼女と目が会うと、怪訝な表情を向けて自動ドアから出てきた。別に悪いことはしていないのだが、じっと睨まれると焦ってしまう。私は慌てて目をそらして、女性の足音が離れるまで目を合わせないようにしていた。

「何やってんだ。早くこい」

 急かすように武藤の声が聞こえて振り向くと、武藤は自動ドアの向こう側にいた。女性が開けた隙に入ったようだ。手を動かしてこっちに来いと誘導する武藤を見て私も自動ドアを通り抜けた。

「こういうの大丈夫なんですか? 不法侵入なんじゃ……」
「別に何かするわけじゃないんだから大丈夫だろ。月下香は四階に住んでるみたいだ」

 履歴書を見ながら返事をした武藤は、エレベーターの呼び出しボタンを押した。何か咎められたとしても、警察がこう言っているのなら大丈夫か。
 四階まで上がると、エレベーターを中心に、左右に道が続いていて両方の廊下に二つの部屋があった。武藤がエレベーターを降りて右側の廊下を進んだのでついていくと、一番奥にある部屋の前で止まった。表札には名前が書いてなかったが、躊躇う様子もなく武藤はインターホンを鳴らす。

「すいません。警察のものですが」

 暫く待ってみるが反応はない。武藤は繰り返しインターホンを鳴らしてから同じ言葉を続けた。しかし返事はなく、それどころか扉の奥からは人の気配すらしなかった。

「出かけてるんじゃないですか? 昨日も外で会いましたし」
「こんな時間にか? 男につけ狙われてるのに不用心が過ぎるだろ」

 武藤の言い分はもっともだった。警察署で見た映像を思い返す。
 森田は月下を追いかけて店に入った、そして店主に止められた。ただそれだけの理由で人の命を奪ったのだ。映像だけでは詳細なことはわからないが、少なくともそんな人間に追いかけられている人が夜に外出するのは違和感があった。だったら、

「もしかして、攫われた……とか」

 そちらの方がしっくりとくる。
 このマンションはセキリティがしっかりしている方だと思うが、私たちのように無関係な人間でも部屋の前までやってくることが出来る。おまけに周辺は人通りも少ない。何かあったとしても騒ぎにならない可能性は高いと思った。

「まぁ、その可能性もあるにはあるが。だとしたらどうやって攫われたんだ?」
「どうやって、って。部屋の前までやってきてインターホン鳴らして」
「その時に誰なのか確認するだろう? 無言なら怖くて相手にしないだろうし、律儀に名前を言ったならそれこそ警察にでも連絡するもんだ」
「確かに……警戒しているなら当然ですよね。でもそれなら本当に外出しているんですかね。だったら警戒心が薄い気がしますが」
「あー。そうなんだよな。順当に考えたら森田に捕まったと考えるのが自然なんだが……なんだかしっくり来ないんだ」

 武藤は唸りながら廊下から周辺の様子を観察していた。私も武藤に習って周りを確認してみるが、特に変わったところもなく。月下の行方は見当がつかなかった。暗闇に目を凝らしていると、手すりに体をおしつけていた武藤が姿勢を戻す。

「ここで夜景を眺めててもしょうがない。また明日にでも出直そう」
「え、でも。もし月下さんが危ない目にあっていたらどうするんですか」
「あぁ。その線も踏まえて周辺の警備を強化してもらう。両方の居場所がわからない以上、今のところ出来るのはそれぐらいだ」
「わかりました。それじゃあ私はホテルに帰りますね」

 武藤は頷いてエレベーターに向かった。私も後に続く。ホテルに戻ろうと思ったせいか、詰まった息を吐きだすとお腹が鳴き始めた。そういえば、最後に食べてから結構時間が経っている気がする。スマホを取り出し時間を確認すると夜十時。思ったよりも疲れを感じていた私は早くホテルに戻りたくて、帰り道のコンビニで弁当を買うことにした。
 一階に降りてマンションから出ると武藤は携帯を取り出し、どこかに電話をかけていた。多分報告か何かだと思った。

「山口、衣笠さんを送っていけ」

 電話を耳に当てながら武藤が言う。山口は「わかりました」と簡単に答えて私に会釈した。

「あ、武藤さん。明日も一緒に行動してくれるんですか?」
「あぁ、朝になったら署で合流しよう」

 私が頷くと、武藤は電話相手と話しはじめた。武藤から視線を外す直前、こちらに向かって手を上げていたのが見えた。
 マンションに来てから少ししか時間が経っていないはずなのに、帰り道は更に人が少なくなっていた。山口の革靴が鳴るたびにカコン、と反響音が聞こえてくる。多少耳に障る音だったが、知っている人間が出している音だと思うと、宵闇も少しはマシに思えた。
 山口の方をちらりと見ると、彼はスマホに目を通していた。

「山口さんってよくスマホ見てますよね。何してるんですか?」
「そうっすね。主にゲームやってますけど、動画とかも見ますよ」

 昼と違って崩れた口調で返事が返ってくる。どうやら山口は、既にプライベートモードのようだ。私の見送りは仕事に入らないのか、と突っ込もうと思ったが止めておく。

「動画かぁ、私もよく見ますよ。猫のやつとか。疲れてる時は凄く癒されるんですよねぇ」
「そうっすね」

 スマホから目線を外さない山口は心底興味がなさそうに言った。なんだかとても心外だったので、私もこれ以上話を広げるのは止めて、歩くことに集中していると、「あっ」と山口の声が聞こえた。

「どうしました?」
「あぁいえ、全然大したことじゃないっす」
「なんですか。気になりますよ」
「いえ本当。ゲーム負けちゃっただけなので」
「あ、そうですか」

 本当に、心底、どうでもよかった。今日一日いっしょにいてわかったが、彼と私は根本から理解し合えない人種なのだろう。何を考えているのか全くわからないもん。
 そんなことを考えていると、「あっ!」と山口がさっきよりも大きな声を上げた。今度は無視しようかと思ったが、あまりに悲痛な叫び声だったので、良心に負けて振り向いた。

「なんですか、また負けたんです……か……」
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