花の蜜は何より甘く

FEEL

文字の大きさ
上 下
20 / 35

8-2

しおりを挟む
「偶然って?」
「名前だよ、名前」

 履歴書を手でたたきながら武藤が言った。『月下香』――武藤はその中でも名字ではなく名前に触れたのだと思う。無論、私も考えてはいた。

「姉と同じ名前ですよね。漢字まで一緒」
「あぁ、それに証明写真を見てお前も思ったんだろ、似すぎているって」

 私は武藤に頷いて返した。この写真を見るまでは、江戸前に似ているといわれて信じられなかったが。江戸前の知っている月下香がこの姿ならば、納得がいくと思った。
 細部まで見ると別人だと気づくのだが、纏っている雰囲気とでもいうのだろうか。ぱっと見た姿は自分からみても、鏡を見たようにそっくりだったのだ。同じ名前に自身と勘違いするほどの容姿。もしかしてという考えが頭によぎって、体が熱くなる。

「……でも、月下さんとお話したとき、あっちは私に気付いていませんでした。彼女だって、昔の自分にそっくりな人間が現れたら、もしかして妹なんじゃないかって思わないですか?」

 姉からすれば、十五年も出会っていない妹が目の前にいるのなら確認するのが常ではないだろうか。だが、月下香の態度は平静そのものだった。思い返してみても、こちらに特別な関心があったようには思えない。
 そもそも、十五年間行方がわからなかった人間が、こうして普通に暮らしていることも違和感がある。生活ができているのなら、叔父や私に連絡を取るものではないだろうか。それとも、連絡を取りたくなかったのだろうか。
 その考えはどこか頭にあった。施設を抜け出した本当の理由は、私や叔父との生活が嫌で、誰か第三者の力を借りて姿を眩ませたのではないかという考えが。だが、それは考えないようにしていた。もし本当にそうだとしたら、姉を憂いて弱っていった叔父はなんだったというのだ。あまりに救われないではないか。
 そんなことを考えるだけで、心が波打ち。怒りに似た葛藤が生まれた。

「ここで考えていても拉致があかない。とりあえず本人に確認してみよう」
「……そう、ですね」

 武藤の言葉に私は頷く。そうだ。彼の言う通り、ここで考えていても仕方がないことだ。まずは月下本人に聞いてみればいいのだ。その結果、彼女が私の姉であるならば。なぜ連絡をしてくれなかったのか、疑問に思ったことを質問すればいいし、違うのなら邪な考えを止めることが出来る。

「結構近いな、ここから電車で二駅ってところか終電までまだ時間があるし、すぐに行くか」
「わかりました」
「おい、山口。行くぞ」

 武藤が声を張って山口を呼んだ。すっかり山口の存在を忘れていた私は、そういえば彼もいたんだと思って振り返る。

「山口、何してんだ?」

 店の前で看板を眺めていた山口は、武藤の疑問の声にも耳を貸さず、立ち尽くしていた。

「おい、聞いてんのか?」

 武藤に肩を掴まれ、大きく揺さぶられると、「あ、武藤さん」と声を漏らす。

「山口さんどうしたんですか? もしかして体調が悪いとか?」
「あ……そうかも知れません」
「あ~? 珍しいこともあるもんだな。どうしたんだよ」
「なにか……胸が苦しいんです」
「は?」
「さっき店に入った時、お店に女の人がいたじゃないですか?」
「女……? あぁ、もしかしてキャストのことか?」
「黒髪の女の子、彼女を見た瞬間、息が苦しくなって、動悸が止まらないんです。もしかして、ウイルスでも移されちゃったんですかね……?」

 必死の形相で伝える山口に、私と武藤は顔を見合わせた。

「何いってんだ、山口。大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃないですよ、さっきから彼女のことばかり頭に浮かんで、捜査に集中できないんです」
「山口さん。捜査しているって感覚あったんですね」
「あ~……そんなに気になるなら仕事終わってから来たらいいじゃないか」
「え、いや来ませんよ。顔を合わせただけでこんな状態なんですよ。もう一度近くにいったら今度はどんな症状が出るのかわかりませんよ」
「症状ってなんだよ、手も出してないのに失礼な奴だなお前」

 呆れたように武藤が言った。真面目な表情で答える山口に、私はもしかしてと思った。

「山口さん、女性とお付き合いした経験は?」
「え、ありませんよ。興味ありませんでしたから」
「じゃあ、好きになったりとかも――」
「ありません。恋愛とかなんか重たくて、無理です」

 山口の言葉に、武藤は納得したように「あぁ」と、声を漏らした。

「思春期に恋愛しないとここまでこじらせるものなのか」
「みたいですね。私、少しだけ山口さんの事が可愛く見えてきました」
「何の話ですか?」
「何でもねぇよ。とりあえず落ち着いたらもう一度店に来ようぜ。俺もついていくから」
「え? いや、だから嫌ですって」

 武藤がいいからいいから、と山口をなだめていると、山口は怪訝な表情を浮かべつつもようやく店を離れてくれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

警狼ゲーム

如月いさみ
ミステリー
東大路将はIT業界に憧れながらも警察官の道へ入ることになり、警察学校へいくことになった。しかし、現在の警察はある組織からの人間に密かに浸食されており、その歯止めとして警察学校でその組織からの人間を更迭するために人狼ゲームを通してその人物を炙り出す計画が持ち上がっており、その実行に巻き込まれる。 警察と組織からの狼とが繰り広げる人狼ゲーム。それに翻弄されながら東大路将は狼を見抜くが……。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

秘められた遺志

しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

迸れ!輝け!!営業マン!!!

飛鳥 進
ミステリー
あらすじ 主人公・金智 京助(かねとも けいすけ)は行く営業先で事件に巻き込まれ解決に導いてきた。 そして、ある事件をきっかけに新米刑事の二条 薫(にじょう かおる)とコンビを組んで事件を解決していく物語である。 第3話 TV局へスポンサー営業の打ち合わせに来た京助。 その帰り、廊下ですれ違った男性アナウンサーが突然死したのだ。 現場に臨場した薫に見つかってしまった京助は当然のように、捜査に参加する事となった。 果たして、この男性アナウンサーの死の真相如何に!? ご期待ください。

処理中です...