花の蜜は何より甘く

FEEL

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 食休みを兼ねて武藤と一緒に公園のベンチで座っていると、彼のスマホが鳴った。

「俺だ。あぁ、山口。どうだった?――あぁ、あぁ、そうか……わかった。引き続き探してみてくれ」

 何を話したのかはわからないが、あまり芳しくはなかったのだろう。電話を切った武藤は重い息を吐きだした。

「部下に頼んで森田の知人友人に聞き込みをしていたんだが、特に成果はなかったそうだ。やれやれ、振り出しだな」
「そうですか、森田さん。いったいどこにいったんでしょうね」
「さぁな。面識があるお前がわからんのなら、俺には見当すらつかん」

 武藤は肩をすくめて言った。ジャケットから煙草を取り出し、火をつけた。

「――ふぅ。とりあえず俺は一度署に戻る。強盗事件をもう一度洗って手がかりを探してみるよ。何かわかったら連絡するから、お前も適当に休んどけ」
「わかりました」

 煙草を吸い終わった武藤は携帯灰皿に吸い殻を詰め込み、公園を出た。一人残された私はどうしようかと考えて辺りを眺めていた。

――昔は、この公園でも遊んだのかな。

 ふと、遊具を見てそう思った。
 私は強盗事件前後の記憶が曖昧になっていた。それは子供のころからで、カウンセリングを担当した医者が言うには脳が意図的に記憶を隠しているとのことだった。記憶だけじゃくて感情も同じように機能してないようで、久しぶりにやってきたこの土地は、微かに覚えがあるのだが、懐かしさなんてものは全く感じなかった。
 まるで、テレビかなにかでこの辺りの地域を見て、実際には歩いたことがない。そういう感覚に囚われていた。そう思うと、辛うじて残っている私の記憶も、全部作り物なのではないかという錯覚に陥る。作り物の過去なんて、SF染みている。
 邪念を振り払うよう、何度もかぶりを振った。
 家に、家族で住んでいた場所にいってみよう。そしたら少しは感情が起きるかもしれない。ふと思いついて、私は立ち上がった。
 森田の家から私の家までそう遠くない位置にあった。薄くなった記憶を頼りに住宅街を歩いていると、とても見覚えのある場所を見つけた。そこからは頭で考えるよりも体が勝手に動くように、自然と道を歩いていた。

「あ……」

 ほどなくすると、昔住んでいた家が見えた。他の記憶は曖昧なのに、家の姿だけは鮮明に焼き付いていた。外観はとても綺麗で、15年前と変わらなく見える。表札はなく、ベランダの手すりには『分譲物件、要相談』と不動産の看板がひっかけられていた。
 なるほど、不動産が手入れをしているから綺麗に保たれているのだと思った。
 ここに来れば少しは感傷に浸れるものと思って来てみたが、結果をいうとそんなことはなかった。自分が住んでいたという自覚もあるし、少しは家での思い出も残っているが。それでも何も染み入るものはなかった。

「戻ろ……」

 そんな自分に虚しさを感じて踵を返す。すると見覚えのある姿があった。

「あ、さっきの……」
「あら。こんなところでまた会うなんて、奇遇ですね」

 つば広帽子を持ち上げて、月下がこちらを見た。

「この近くに住んでらっしゃるんですか?」
「え……いえ、そうではないのだけど」
「あ、ご、ごめんなさいっ」

 怪訝な表情を見せる月下に、私はハッとして謝った。
 駅で出会った見も知らぬ人間が同じ日に住宅街で出会うなんて、普通に考えれば恐怖だ。(鹿児島では割とあったのだけど)その上、住所まで聞き出そうとしているのだから、私が月下なら変質者だと疑っても不思議はない。

「私ここに用事があって、月下さんに会ったのは本当に偶然なんです。別に後をおいかけたりしていた訳ではなくてですね……」

 あぁ……本当のことなのに、言えばいうほど言い訳に聞こえてしまう。私が必死に弁明していると、月下は笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、私の態度も悪かったわね。別にそんな風に思っていないわよ。ただどう答えたものか少し考えただけ」
「そうなんですか? はぁ~、それならよかったです」
「ふふ、あなた。面白い人ね」

 安堵した様子を見て、月下は微笑んでいた。

「昔にね、ここに住んでいたの。私にとってこの町は本当の幸せに気づかせてくれたきっかけの場所であり、聖地のようなものなのよ」
「聖地……ですか?」
「えぇ。かけがえのない大事な場所。物事が上手くいかない時も、ここに来たら頑張れる気がするの」
「じゃあここに来たということは、何か上手くいってないことがあるんですか?」

 香は「そうね」と呟いてから頷いた。とても悩み事を抱えているとは思えない。柔らかい笑顔をしていた。

「最近少し、困った人に付きまとわれていてね。昨日も凄く怖い目にあったわ」
「え、大丈夫だったんですか?」
「えぇ。元気そのものでしょう」

 腕を広げた月下はその場でくるりと回った。スカートが翻り、まるで物語のお嬢様を思わせるような可憐さを感じた。

「相手は男の人ですか?」
「えぇ。どうしてわかったの?」
「そりゃわかりますよ。だって月下さん、凄くきれいですもん」

 美人というよりも、妖艶と形容したほうがしっくりくるぐらいに月下は魅力的だった。例え相手がいたとしても……いや、いるからこそ、月下に惹かれた男は夢中になり、間違いをおかすのだろう。

「月下さん、良かったら連絡先教えてもらえませんか?」

 突然の提案に月下は「え?」と声を漏らした。

「私の知り合いに警察の人がいるんです。今度男の人に迫られたら私に連絡してください。その人を連れて助けにいきますよ」
「あら、それは凄く有難いわね。でもごめんなさい。私、携帯電話を持ってないの」

 申し訳なさそうに言う月下に私は驚きをかくせなかった。今時、携帯を持っていない人がいるだなんて。

「そうなんですか。あ、じゃあ私の連絡先だけ教えておきます。何かあったら連絡してください」

 背負っていたリュックサックからバッグインバッグを取り出し、名刺を入れてあるケースから一枚名刺を抜き取って月下に手渡した。名刺には私が担当しているお店の名前と一緒に、携帯番号が書いてある。
 名刺を受け取って確認すると、月下は「ありがとう、困った時は連絡するわね」といって笑った。

「ところで、あなたはどうしてここに? この辺りは家以外なにもないけれど」
「わたし、この町に住んでたことがあるんです。普段は鹿児島にいるんですけど、ちょっと用事でこっちまできたのでつい懐かしくて」
「あら、そうだったの。私もそうなのよ」
「へぇ、なんだか凄い偶然ですね」
「そうね。もしかしたら子供の時に遊んだことがあるのかもね。お家はどのあたり?」
「あ、目の前の――」

 そこまで言って私は動きを止めた。このまま話していいのだろうか。月下が昔、この町に住んでいたのならば、強盗事件だって把握しているはずだ。あれからこの家に他の家族が越してきたのかは定かではないが、教えてしまえば事件被害者だと思われる可能性は高いだろう。私はそれが嫌だった。
 聞くところによると、月下は何か悩みがあってこの町に来たという。そんな状態の人間に事件被害者だと匂わせれば、気を使わせてしまうかもしれない。そんな不幸マウントみたいな事はしたくなかった。しかし、私はもう話しを始めてしまっている。
 どうしたものかと固まっていると「どうかしたの?」と月下が声をかけてきた。

「いえ、目の前の――家と同じ色だったような……すいません。実は家を探してたんですけど、どの辺りかわからなくて探してたんです」
「あら、そうだったのね」
「はい。大分昔の記憶なんで、あやふやなんです」
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