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梅田駅から地下鉄に乗り換えて暫く電車に揺られると、目的地についた。スマホで時間を確認してみると十二時を少し過ぎていた。
それなりに栄えている駅前広場から少し歩くと、商店街に入った。当時は賑やかだった記憶があったが、今では大体の店がシャッターを下ろしていて、通行人もまばらだった。
商店街を抜けると住宅街に入り、子供時代の記憶が緩やかに戻ってくる感覚があった。
「久しぶりに来た感想はどうだ?」
「そうですね。懐かしい感じはします。でも、それだけですね」
武藤は歩いたまま、そうかと呟いた。
「着いたぞ。ここだ」
とてもよく見慣れた街並み。その中にある一軒の家で止まった。表札には『森田』と書いてある。どうやら私が引っ越した後も、森田家は変わらずここにいたようだった。
武藤がインターホンを押すと、ほどなくして女性が玄関を開けた。
「どちら様でしょうか?」
「突然すいません。私、大阪府警の武藤というものです。伸一さんのことで少し聞きたいことがありまして」
武藤が警察手帳を見せると、女性の表情がどこか不安げに見えた。
「……わかりました。どうぞ、お入りください」
「失礼します」
女性が扉を大きく開き。武藤に続いて家の中に入った。家の人間は綺麗好きなのだろうか。室内は掃除が行き届いていて、シューズボックス上部に置かれたアロマから仄かに落ち着く香りが広がっていた。
リビングも同様に綺麗にされていて、置かれているソファーには埃一つのっていない。
「失礼ですが。伸一さんのお母様ですか?」
武藤の問いに女性は、「はい」と頷いた。
「それで、伸一のことで聞きたいこととは?」
「大したことではありません。伸一さんがいなくなった数日間、彼が何をしていたのか知りたいんです」
「どうして今更……伸一がいなくなったことを警察に相談したとき、同じことを聞かれましたよ」
「私はその場にいませんでしたから、もう一度お願いできませんか?」
「まぁ、構いませんが……」
女性は気だるげな態度を見せてそう言った。
「何度も話した内容ですが、見てわかる変化はありませんでした。大学に通って、家に帰ってきてから勉強。夜になったらアルバイトに出かけて……いつも通りに過ごしてました」
「伸一さんはアルバイトをなさっていたんですか?」
「えぇ。夜勤でコンビニアルバイトを。お金に困っていたわけではなく、社会勉強の一環だったみたいです」
「それは……出来た息子さんだったんですね」
どうも、と女性は頷く。
森田に関しての記憶は未だ朧げだが、子供心に立派な人間だと思った記憶がある。
いつ見ても身だしなみは整っていたし、町内会の行事に顔を出すこともあってか、大人からの人望も厚かった。だけど、それをプレッシャーにする様子はなく、いつも笑顔を絶やさない青春漫画の主人公のような人だと記憶に残っていた。
「それだけ真面目な人柄なら、困っている人を助けるのにも抵抗はなかったんでしょうね」
「えぇ。ご存じかと思いますが。近くで強盗事件があったんです。ちょうど伸一はアルバイトから帰って来たタイミングで、悲鳴を聞きつけて助けに行きました」
「子供の姉妹を助けたって件ですね。私も話だけは聞いています。当時良くしてあげてた女の子だったとか。良くしていたといっても他所様の子供が悲鳴を上げたからってすぐ助けようとは思わんですよ」
少しすっきりしない言い方に私は緊張を覚えた。
どうやら鹿児島の時同様、武藤の流儀で聞き込みをしているようだ。彼女も武藤の言い方に少しだけ引っ掛かりがあったようで、武藤の顔を覗き込んでいた。
「余程子供が好きだったんでしょうね。じゃないとそこまで勇気ある行動も取れませんから。それに事件後。精神的に重症を負った娘の見舞いに山の中まで行ったらしいじゃないですか。しかし、そこまでいくと少し完璧過ぎるな」
「どういう意味でしょうか?」
「特に他意はありませんよ。ただ、絵にかいたような好青年なのが気になっただけです。そういう人間は大抵裏の顔を持ち合わせているものですから」
「な、なんなんですかいきなり。失礼じゃないですか」
女性は声を荒げて武藤を睨んだ。
「気を悪くしたなら謝ります。しかし先ほども言ったように他意があるわけではないのです。私、刑事なので。職業病という奴です」
「だからって気を悪くする事を親族の前で言う必要がありますか」
至極もっともな答えが武藤に浴びせられた。私は賛同して、大きく頷いた。
「はぁ、それでは見舞いに出かけたのもただの善意な訳ですか」
「そうですよっ。警察に保護された後も伸一は心配して警察に事情を聞きに行ってたんです。そしたら事件を担当していた刑事の方から入院したという話を聞かされたらしくて……あの子はもっと早く助けにいけたら、と凄く悔やんでいたんですよ!」
「ははぁ、それがしこりになって見舞いに出かけていたと罪悪感を誤魔化していた訳ですな」
話しながら、すっかり激怒してしまった女性を余所に、武藤は手帳にペンを走らせていた。
「それで、そのあとすぐに伸一さんは失踪してしまったんですね」
「そうです。優しい子だったから、きっと責任に耐えられなくなったんだわ。だってあの子、いなくなる前に凄く思いつめていたもの、きっとそうに違いないわ」
思いつめていた?
女性が感情に任せて話した単語にひっかかりを覚えた。武藤も同じだったようで、お互いに顔を見合わせた。
「それ、刑事に聞かれた時に答えましたか? 思いつめていたって」
「えぇ、強盗事件のことを聞かれた時に、心配していましたと」
「……そうですか。わかりました」
武藤は諦めたように言うと。手帳を閉じた。その心境はよく伝わった。
恐らくこの母親は今言った通りに被害者家族のことを『心配していました』とだけ伝えたのだろう。心配していたと思いつめていたとでは言葉の重みがまるで違ってくる。だが、恐らくその違いが母親には伝わっていない。
実際、森田の気遣いは度を越している。肉親でも恩義ある人物でもない、ただのご近所さんに命を懸けるなんて、ある種病的だ。わかってあげられることはできるだろうが、真の意味で理解することは、家族でも難しいのは容易に想像できる。
だから、母親は自分の尺度で測れる範囲で警察に伝えたのだろう。思いつめていたと報告していれば、警察の捜査方針もまた変わっていたかもしれないが……そこには悪気はなく、彼女を責めることはできないと思った。
「ありがとうございます。最後に伸一さんの部屋を少し見せてもらってもよろしいですか」
言いながら、武藤はそそくさと立ち上がった。独り言のように話していた女性は会話を止められる形になって、「え、えぇ」と歯切れ悪く頷いた。
女性は立ち上がるとリビングから廊下に出て二階に上がった。続いて階段を上ると最上段の左右に部屋があった。
「ここが伸一の部屋です」
女性が階段から見て右側の扉を開く。
中に入ってみると六帖ほどのフローリング部屋だった。ベッドに机と本棚があり、本棚には色々な本が収納されていた。
「伸一さんがいなくなってから家具を移動したりしましたか?」
「いえ、掃除はしていますが……そのままで残しています」
そうですか、と返した武藤は部屋の物色を始めた。やることがない私はその様子を眺めていた。
「大学生にしては、無機質な部屋ですね。伸一さんのご趣味とかは?」
「特にやっていたことはありません。とにかく勉強が好きで、どんどん学んでいく伸一に嬉しくなった私たちもよく参考書を買い与えてました」
本棚に並んでいる数々の参考書は両親からの贈り物という事か。私は本棚に目を通した。
英語や理数系をはじめとしてあらゆる参考書が並んでいたが、どれも硬そうな背表紙で、開くのが億劫になりそうな本ばかりだった。その中にある一区画に、毛色の違う本が数冊交ざっていた。
それなりに栄えている駅前広場から少し歩くと、商店街に入った。当時は賑やかだった記憶があったが、今では大体の店がシャッターを下ろしていて、通行人もまばらだった。
商店街を抜けると住宅街に入り、子供時代の記憶が緩やかに戻ってくる感覚があった。
「久しぶりに来た感想はどうだ?」
「そうですね。懐かしい感じはします。でも、それだけですね」
武藤は歩いたまま、そうかと呟いた。
「着いたぞ。ここだ」
とてもよく見慣れた街並み。その中にある一軒の家で止まった。表札には『森田』と書いてある。どうやら私が引っ越した後も、森田家は変わらずここにいたようだった。
武藤がインターホンを押すと、ほどなくして女性が玄関を開けた。
「どちら様でしょうか?」
「突然すいません。私、大阪府警の武藤というものです。伸一さんのことで少し聞きたいことがありまして」
武藤が警察手帳を見せると、女性の表情がどこか不安げに見えた。
「……わかりました。どうぞ、お入りください」
「失礼します」
女性が扉を大きく開き。武藤に続いて家の中に入った。家の人間は綺麗好きなのだろうか。室内は掃除が行き届いていて、シューズボックス上部に置かれたアロマから仄かに落ち着く香りが広がっていた。
リビングも同様に綺麗にされていて、置かれているソファーには埃一つのっていない。
「失礼ですが。伸一さんのお母様ですか?」
武藤の問いに女性は、「はい」と頷いた。
「それで、伸一のことで聞きたいこととは?」
「大したことではありません。伸一さんがいなくなった数日間、彼が何をしていたのか知りたいんです」
「どうして今更……伸一がいなくなったことを警察に相談したとき、同じことを聞かれましたよ」
「私はその場にいませんでしたから、もう一度お願いできませんか?」
「まぁ、構いませんが……」
女性は気だるげな態度を見せてそう言った。
「何度も話した内容ですが、見てわかる変化はありませんでした。大学に通って、家に帰ってきてから勉強。夜になったらアルバイトに出かけて……いつも通りに過ごしてました」
「伸一さんはアルバイトをなさっていたんですか?」
「えぇ。夜勤でコンビニアルバイトを。お金に困っていたわけではなく、社会勉強の一環だったみたいです」
「それは……出来た息子さんだったんですね」
どうも、と女性は頷く。
森田に関しての記憶は未だ朧げだが、子供心に立派な人間だと思った記憶がある。
いつ見ても身だしなみは整っていたし、町内会の行事に顔を出すこともあってか、大人からの人望も厚かった。だけど、それをプレッシャーにする様子はなく、いつも笑顔を絶やさない青春漫画の主人公のような人だと記憶に残っていた。
「それだけ真面目な人柄なら、困っている人を助けるのにも抵抗はなかったんでしょうね」
「えぇ。ご存じかと思いますが。近くで強盗事件があったんです。ちょうど伸一はアルバイトから帰って来たタイミングで、悲鳴を聞きつけて助けに行きました」
「子供の姉妹を助けたって件ですね。私も話だけは聞いています。当時良くしてあげてた女の子だったとか。良くしていたといっても他所様の子供が悲鳴を上げたからってすぐ助けようとは思わんですよ」
少しすっきりしない言い方に私は緊張を覚えた。
どうやら鹿児島の時同様、武藤の流儀で聞き込みをしているようだ。彼女も武藤の言い方に少しだけ引っ掛かりがあったようで、武藤の顔を覗き込んでいた。
「余程子供が好きだったんでしょうね。じゃないとそこまで勇気ある行動も取れませんから。それに事件後。精神的に重症を負った娘の見舞いに山の中まで行ったらしいじゃないですか。しかし、そこまでいくと少し完璧過ぎるな」
「どういう意味でしょうか?」
「特に他意はありませんよ。ただ、絵にかいたような好青年なのが気になっただけです。そういう人間は大抵裏の顔を持ち合わせているものですから」
「な、なんなんですかいきなり。失礼じゃないですか」
女性は声を荒げて武藤を睨んだ。
「気を悪くしたなら謝ります。しかし先ほども言ったように他意があるわけではないのです。私、刑事なので。職業病という奴です」
「だからって気を悪くする事を親族の前で言う必要がありますか」
至極もっともな答えが武藤に浴びせられた。私は賛同して、大きく頷いた。
「はぁ、それでは見舞いに出かけたのもただの善意な訳ですか」
「そうですよっ。警察に保護された後も伸一は心配して警察に事情を聞きに行ってたんです。そしたら事件を担当していた刑事の方から入院したという話を聞かされたらしくて……あの子はもっと早く助けにいけたら、と凄く悔やんでいたんですよ!」
「ははぁ、それがしこりになって見舞いに出かけていたと罪悪感を誤魔化していた訳ですな」
話しながら、すっかり激怒してしまった女性を余所に、武藤は手帳にペンを走らせていた。
「それで、そのあとすぐに伸一さんは失踪してしまったんですね」
「そうです。優しい子だったから、きっと責任に耐えられなくなったんだわ。だってあの子、いなくなる前に凄く思いつめていたもの、きっとそうに違いないわ」
思いつめていた?
女性が感情に任せて話した単語にひっかかりを覚えた。武藤も同じだったようで、お互いに顔を見合わせた。
「それ、刑事に聞かれた時に答えましたか? 思いつめていたって」
「えぇ、強盗事件のことを聞かれた時に、心配していましたと」
「……そうですか。わかりました」
武藤は諦めたように言うと。手帳を閉じた。その心境はよく伝わった。
恐らくこの母親は今言った通りに被害者家族のことを『心配していました』とだけ伝えたのだろう。心配していたと思いつめていたとでは言葉の重みがまるで違ってくる。だが、恐らくその違いが母親には伝わっていない。
実際、森田の気遣いは度を越している。肉親でも恩義ある人物でもない、ただのご近所さんに命を懸けるなんて、ある種病的だ。わかってあげられることはできるだろうが、真の意味で理解することは、家族でも難しいのは容易に想像できる。
だから、母親は自分の尺度で測れる範囲で警察に伝えたのだろう。思いつめていたと報告していれば、警察の捜査方針もまた変わっていたかもしれないが……そこには悪気はなく、彼女を責めることはできないと思った。
「ありがとうございます。最後に伸一さんの部屋を少し見せてもらってもよろしいですか」
言いながら、武藤はそそくさと立ち上がった。独り言のように話していた女性は会話を止められる形になって、「え、えぇ」と歯切れ悪く頷いた。
女性は立ち上がるとリビングから廊下に出て二階に上がった。続いて階段を上ると最上段の左右に部屋があった。
「ここが伸一の部屋です」
女性が階段から見て右側の扉を開く。
中に入ってみると六帖ほどのフローリング部屋だった。ベッドに机と本棚があり、本棚には色々な本が収納されていた。
「伸一さんがいなくなってから家具を移動したりしましたか?」
「いえ、掃除はしていますが……そのままで残しています」
そうですか、と返した武藤は部屋の物色を始めた。やることがない私はその様子を眺めていた。
「大学生にしては、無機質な部屋ですね。伸一さんのご趣味とかは?」
「特にやっていたことはありません。とにかく勉強が好きで、どんどん学んでいく伸一に嬉しくなった私たちもよく参考書を買い与えてました」
本棚に並んでいる数々の参考書は両親からの贈り物という事か。私は本棚に目を通した。
英語や理数系をはじめとしてあらゆる参考書が並んでいたが、どれも硬そうな背表紙で、開くのが億劫になりそうな本ばかりだった。その中にある一区画に、毛色の違う本が数冊交ざっていた。
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