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鹿児島中央駅から新幹線で四時間ほど、大阪は新大阪駅に到着した。
「ちょ、ちょっと待ってくださーい」
平日だからと甘く見ていたが、電車から降りてすぐ、想像以上だった人の波に押し出された。なんとか人をかき分けて落ち着ける場所に移動すると、武藤が缶コーヒーを開けていたところだった。
「お前は子供か。頼むから迷子にはならんでくれよ」
「はい、気を付けます……」
何か言い返したかったが、到着早々武藤を見失っていたので何も言えない。
「落ち着いたら移動するぞ」
「はい。どこに行く予定なんですか?」
「森田の実家だ。失踪する前の森田の動向を親に聞く。事件後、衣笠香と出会っているのなら何か役に立つ情報があるかもしれん」
武藤は開けた缶コーヒーを一気に煽る。
当時の森田は実家住まいだった。つまり引っ越す前の私の家がある町に向かうということだ。そう思うと怖いような緊張するような、なんともいえない感情が胸を襲った。だが、それを表に出さないように努める。
その程度のことで臆してしまえば、武藤に帰らされるかも知れない。せっかく大阪まで来たのにとんぼ帰りになっては目も当てられない。
「そういえば、叔父には何も言われなかったのか?」
「え、あぁ。心配はされましたけど、駄目だとは言われませんでした」
へぇ、と呟く武藤に、「一人だったら止められたでしょうけど」と付け加えると。頷かれた。
新幹線がベルを鳴らして発車するのを見送った。それから五分もすれば、大量にいた人はホームからいなくなり、線路から気持ちのいい風が流れてくるのを感じた。
「落ち着いたならそろそろいくぞ」
はい、と頷いた私は迷子にならないように武藤の後を追いかけた。
駅構内は複雑極まりなく。一人で歩いていたら地図を持っていても迷っていたかもしれない。
「次の梅田駅はこんなもんじゃないぞ」
必死についていく私の姿を見て、武藤は笑みを浮かべていた。構内がどれほど複雑でも、後をついていけば問題はないだろう。
と、思っていた。
結論から言うと、梅田駅というのは迷宮だった。
上下に分かれた構内、複雑な乗り換え、代り映えのしない構内。そして人。
人。人人人人人。
人人人人人人人人人人人人人人人人。
いままで店で接客したお客の数十倍はいるであろう人の波に揉みに揉まれて、武藤の背中という灯台の灯はあっというまに消え去ってしまった。
なんとか切れ目を見つけて辺りを見回していたが、そう都合よく武藤が見つかるはずもなく。連絡先もわからないまま、私は途方に暮れて人の波を眺める。
――あぁ。このまま助けが来なければ。私は遭難してしまうのだろうか。
神よ。我を救いたまえ。
顔を伏せて、私は神に祈った。
「あの、大丈夫ですか?」
不意に聞こえた声に顔を見上げると、つば広帽子をかぶった女性がこちらを覗きこんでいた。帽子の陰になって良く見えないが、よく整った顔立ちで不安そうに眉を寄せている。どこかのアイドルか、芸能人だと言われても違和感のない風貌に、私は魅入られていた。
「あの……」
「あ、すいません。ちょっと道に迷ってしまって。ここに来るのは初めてでしたから」
「あぁ、そうなんですか。わかります、この駅って本当に複雑ですよね」
「そうです。そうなんです」
私は何度も首を縦に振った。
「どこに向かっていらっしゃったんですか?」
「あ……ええと、知り合いの人がいて、その人についていってただけなんです」
さすがに事件の捜査に付き合っているとは言えず。ぼかすように言うと、「そうなんですね」と納得したように彼女は頷いた。
「それなら、もしかしたらサービスセンターで確認をしているかも知れませんね、良かったらそこまで案内しましょうか?」
「いいんですかっ⁉」
「困った時はお互い様ですから」
屈託のない笑顔を作った女性は私の手を取った。傷一つない綺麗な手は絹のように滑らかな肌で、よく手入れされているのだと思った。同じ女性として少しだけ恥ずかしくなる。
「じゃ、行きましょうか」
手を弱く引かれると、私は彼女についていった。歩く度に髪の毛から良い匂いがして、人が行き交う駅構内なのに不思議と落ち着きを感じた。
「良い匂いですね。ジャスミンですか?」
「え、あぁ。髪のことかしら。ジャスミンの香りがするコンディショナーを使ってます」
「やっぱり、仕事柄良く嗅ぐ匂いなのですぐにわかりました」
「そうなんですか、お仕事は何をしていらっしゃるの?」
「花屋をやってます」
私がそう言うと、まぁ、と声を上げて女性は目を輝かせた。
「私、花が大好きなのっ。お花に囲まれてお仕事出来るなんて羨ましいわ」
「そうなんですか。私も親の影響で花が好きで、楽しくお仕事させてもらっています。えと、お姉さんは――」
どう呼んだものかと悩んでいると、彼女は顔だけこちらに向けて、「月下です」と微笑んでくれた。
「月下、さんはどんなお仕事をしているんですか?」
「私はお仕事をしてないの。強いて言えば専業主婦? かしら」
「え、結婚してらっしゃるんですか?」
「ふふ、相手はいるけど、籍は入れてないの。事実婚みたいなものかしら」
「へぇ……でもそうですよね。月下さん凄く美人ですもの」
「ありがとう」
笑みを作って感謝する月下はとても絵になった。
彼女は何をしても所作が美しく、男がこんな人を直視したらイチコロなんだろうと思った。そう考えたら男の一人や二人、いない方が不思議というものか。
「ほら、あそこがサービスカウンターですよ。声をかけて待たせてもらっていたら知り合いの人も来るかもしれないわ」
「おお……本当にありがとうございます。凄く助かりました」
「さっきも言ったでしょう。困った時はお互い様だって。そんなに気にしないでください」
そう言った彼女は「それじゃあ」と手を振って人込みに消えていった。後ろ姿を見送ってから、サービスセンターの職員に事情を説明してカウンター横で待たせてもらった。
――しかし、綺麗な人だったな。
心地の良いジャスミンの香りが、まだ鼻に残っている感覚があった。匂いに誘因された虫のように、私は匂いに集中する。きっと、花の香りに誘われてやってくる昆虫たちもこんな気持ちなのだろう。
匂いは人の印象を強く残すというが、これからジャスミンの香りを嗅ぐと、あの女性を思い出すのだろうか。それほどまでに彼女は目を引き、強く脳裏に残ってしまっていた。これだけ存在感の強い人だ。男たちは彼女を見たら理性を保てないのではないか。
「旦那さんもずっと心配してるんだろうな……可哀そうに」
なんてことをぼんやりと考えていたら、「なにしてんだ」と武藤が声をかけてきた。おお――神よ。
「迷子になるなっていっただろう」
「はい……」
落胆した表情で私を見つめる武藤に、現実逃避から引き戻された私は項垂れた。
「馬鹿なことに時間とってないでさっさといくぞ」
武藤は踵を返して先に先導する。私は急いで彼についていった。
「ちょ、ちょっと待ってくださーい」
平日だからと甘く見ていたが、電車から降りてすぐ、想像以上だった人の波に押し出された。なんとか人をかき分けて落ち着ける場所に移動すると、武藤が缶コーヒーを開けていたところだった。
「お前は子供か。頼むから迷子にはならんでくれよ」
「はい、気を付けます……」
何か言い返したかったが、到着早々武藤を見失っていたので何も言えない。
「落ち着いたら移動するぞ」
「はい。どこに行く予定なんですか?」
「森田の実家だ。失踪する前の森田の動向を親に聞く。事件後、衣笠香と出会っているのなら何か役に立つ情報があるかもしれん」
武藤は開けた缶コーヒーを一気に煽る。
当時の森田は実家住まいだった。つまり引っ越す前の私の家がある町に向かうということだ。そう思うと怖いような緊張するような、なんともいえない感情が胸を襲った。だが、それを表に出さないように努める。
その程度のことで臆してしまえば、武藤に帰らされるかも知れない。せっかく大阪まで来たのにとんぼ帰りになっては目も当てられない。
「そういえば、叔父には何も言われなかったのか?」
「え、あぁ。心配はされましたけど、駄目だとは言われませんでした」
へぇ、と呟く武藤に、「一人だったら止められたでしょうけど」と付け加えると。頷かれた。
新幹線がベルを鳴らして発車するのを見送った。それから五分もすれば、大量にいた人はホームからいなくなり、線路から気持ちのいい風が流れてくるのを感じた。
「落ち着いたならそろそろいくぞ」
はい、と頷いた私は迷子にならないように武藤の後を追いかけた。
駅構内は複雑極まりなく。一人で歩いていたら地図を持っていても迷っていたかもしれない。
「次の梅田駅はこんなもんじゃないぞ」
必死についていく私の姿を見て、武藤は笑みを浮かべていた。構内がどれほど複雑でも、後をついていけば問題はないだろう。
と、思っていた。
結論から言うと、梅田駅というのは迷宮だった。
上下に分かれた構内、複雑な乗り換え、代り映えのしない構内。そして人。
人。人人人人人。
人人人人人人人人人人人人人人人人。
いままで店で接客したお客の数十倍はいるであろう人の波に揉みに揉まれて、武藤の背中という灯台の灯はあっというまに消え去ってしまった。
なんとか切れ目を見つけて辺りを見回していたが、そう都合よく武藤が見つかるはずもなく。連絡先もわからないまま、私は途方に暮れて人の波を眺める。
――あぁ。このまま助けが来なければ。私は遭難してしまうのだろうか。
神よ。我を救いたまえ。
顔を伏せて、私は神に祈った。
「あの、大丈夫ですか?」
不意に聞こえた声に顔を見上げると、つば広帽子をかぶった女性がこちらを覗きこんでいた。帽子の陰になって良く見えないが、よく整った顔立ちで不安そうに眉を寄せている。どこかのアイドルか、芸能人だと言われても違和感のない風貌に、私は魅入られていた。
「あの……」
「あ、すいません。ちょっと道に迷ってしまって。ここに来るのは初めてでしたから」
「あぁ、そうなんですか。わかります、この駅って本当に複雑ですよね」
「そうです。そうなんです」
私は何度も首を縦に振った。
「どこに向かっていらっしゃったんですか?」
「あ……ええと、知り合いの人がいて、その人についていってただけなんです」
さすがに事件の捜査に付き合っているとは言えず。ぼかすように言うと、「そうなんですね」と納得したように彼女は頷いた。
「それなら、もしかしたらサービスセンターで確認をしているかも知れませんね、良かったらそこまで案内しましょうか?」
「いいんですかっ⁉」
「困った時はお互い様ですから」
屈託のない笑顔を作った女性は私の手を取った。傷一つない綺麗な手は絹のように滑らかな肌で、よく手入れされているのだと思った。同じ女性として少しだけ恥ずかしくなる。
「じゃ、行きましょうか」
手を弱く引かれると、私は彼女についていった。歩く度に髪の毛から良い匂いがして、人が行き交う駅構内なのに不思議と落ち着きを感じた。
「良い匂いですね。ジャスミンですか?」
「え、あぁ。髪のことかしら。ジャスミンの香りがするコンディショナーを使ってます」
「やっぱり、仕事柄良く嗅ぐ匂いなのですぐにわかりました」
「そうなんですか、お仕事は何をしていらっしゃるの?」
「花屋をやってます」
私がそう言うと、まぁ、と声を上げて女性は目を輝かせた。
「私、花が大好きなのっ。お花に囲まれてお仕事出来るなんて羨ましいわ」
「そうなんですか。私も親の影響で花が好きで、楽しくお仕事させてもらっています。えと、お姉さんは――」
どう呼んだものかと悩んでいると、彼女は顔だけこちらに向けて、「月下です」と微笑んでくれた。
「月下、さんはどんなお仕事をしているんですか?」
「私はお仕事をしてないの。強いて言えば専業主婦? かしら」
「え、結婚してらっしゃるんですか?」
「ふふ、相手はいるけど、籍は入れてないの。事実婚みたいなものかしら」
「へぇ……でもそうですよね。月下さん凄く美人ですもの」
「ありがとう」
笑みを作って感謝する月下はとても絵になった。
彼女は何をしても所作が美しく、男がこんな人を直視したらイチコロなんだろうと思った。そう考えたら男の一人や二人、いない方が不思議というものか。
「ほら、あそこがサービスカウンターですよ。声をかけて待たせてもらっていたら知り合いの人も来るかもしれないわ」
「おお……本当にありがとうございます。凄く助かりました」
「さっきも言ったでしょう。困った時はお互い様だって。そんなに気にしないでください」
そう言った彼女は「それじゃあ」と手を振って人込みに消えていった。後ろ姿を見送ってから、サービスセンターの職員に事情を説明してカウンター横で待たせてもらった。
――しかし、綺麗な人だったな。
心地の良いジャスミンの香りが、まだ鼻に残っている感覚があった。匂いに誘因された虫のように、私は匂いに集中する。きっと、花の香りに誘われてやってくる昆虫たちもこんな気持ちなのだろう。
匂いは人の印象を強く残すというが、これからジャスミンの香りを嗅ぐと、あの女性を思い出すのだろうか。それほどまでに彼女は目を引き、強く脳裏に残ってしまっていた。これだけ存在感の強い人だ。男たちは彼女を見たら理性を保てないのではないか。
「旦那さんもずっと心配してるんだろうな……可哀そうに」
なんてことをぼんやりと考えていたら、「なにしてんだ」と武藤が声をかけてきた。おお――神よ。
「迷子になるなっていっただろう」
「はい……」
落胆した表情で私を見つめる武藤に、現実逃避から引き戻された私は項垂れた。
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