花の蜜は何より甘く

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 高見馬場から市電に乗り、谷山線を走ると終点に谷山駅がある。叔父の家は谷山駅を抜けて少し歩いたところにあった。
 目の前に永田川が流れる二階建ての一軒家。ここの二階から眺める川、そこに架かる橋を渡る人たちを見るのが好きだった。久しぶりに叔父の家にやってきた私は、懐かしい気持ちに浸って永田川を眺めながら歩いた。ほどなくすると叔父の家が見えてきた。ここに来る前に予め連絡を入れておいたので、叔父がいることは確認済みだ。インターホンに指をかけて、武藤の方に振り返った。

「叔父は姉さんのことでと~~ても神経質なんです。くれぐれも言葉は選んでくださいね」
「わかってるよ」

 武藤は面倒臭そうな顔をしていた。
 市電に揺られている間。私は再三にわたって叔父を刺激しないようにと願い出ていた。最初の方は「やり方を変えたら意味がない」とかなんだの言っていた武藤だが、三十分ほど繰り返したところ。げんなりとした態度で一応の了承はしてくれた。
 念押しした私はインターホンを押すと、家の中から小さくチャイムが聞こえた。ほどなくしてインターホンから叔父の声が聞こえた。

「蓬ちゃんか?」
「うん、さっき電話でも伝えたけど、姉さんのことを聞きたいって刑事の人が来てて」
「わかった、ちょっと待ってな」

 ブチッとインターホンから途切れると、玄関から叔父がやってきた。

「お待たせしました」

 丁寧な言葉で叔父は武藤を迎え入れた。「突然の訪問失礼します」と武藤は会釈を返す。

「とりあえず中にどうぞ。お茶くらいしか出せるものがありませんが」
「お気になさらず、二三、話を伺いにきただけなので」

 言いながら、叔父の後に続くように家に入った。少し不安があったが、武藤の態度を見るに、お願いした通り真摯に接してくれているようだ。私は胸を撫でおろした。歩く叔父に目を通すと、記憶にある姿より小さく見えた。
 私がこの家を出て一人暮らしを始めてから数年しか経っていない。その時に見た叔父は元気が体から滲み出ていて、とても若々しい印象を持っていた。けれど、今はその面影はどこへやら。小さく見える背中は病気でも患っているのかと不安に感じてしまう。
 今に招かれて少し待っていると、お盆に三つ、湯呑を乗せた叔父が戻って来た。渡された湯呑を覗き込むと、鮮やかな緑色をしたお茶が湯気を立てている。叔父の好物である知覧茶だとすぐにわかった。懐かしさを感じて私はお茶を啜った。

「それで、今日はどうしてこちらに?」

 座り込んだ叔父が武藤に言った。

「衣笠さんが保護した香さんについて、いくつか聞きたい事がありまして。というのも、香さんが入院していた施設で事件がありましてね。その件に関わっている可能性があるんです。消息について何か心当たりなどありますか?」

 武藤の質問に、口に含んだお茶を吹き出しそうになった。言葉使いこそ丁寧ではあるが、これでは私にした質問とそう変わりないではないか。
 目つきを鋭くして武藤を睨みつけるが、全く意に介さない。

「関わりがあるというのはどういう意味でしょうか? 香ちゃんがその事件とやらに巻き込まれたという事ですか? それとも……」

 語気がどんどん重くなり、叔父の目が刃物のように鋭くなっていた。十年来一緒にいて、こんな叔父は一度しか見た事がなかった。私の過去が原因でいじめられていることを知った時だ。あの時は叔父は鬼のような形相で学校に怒鳴り込んでいた。
 その姿を見て、申し訳なさと共に後悔が押し寄せる。やはりこの男を連れてくるべきではなかった。

「好きに取ってもらって結構です。まだ何もわからない以上、どちらとも断定できませんので」
「――事件というのは。内容をお聞きしても?」
「殺人事件です。被害者は施設職員である男性。香さんと同時期に失踪したとされていましたが、施設周辺の森林で遺体が見つかりました。状態から死後かなりの時間が経過しているものとして、失踪したタイミングを鑑みるに、香さんと関係があるのではと考えています」

 淡々と説明する武藤の言葉を黙って聞いていた叔父は「そうですか」と呟き、お茶を啜った。

「残念ながら、私には何もわかりません。香ちゃんの行方がわからなくなってから、思いつく限りの場所を探しました。だが全く足取りが掴めなかった。いまでもネットを使って情報提供を求めていますが、そちらでも反応がないのが現状です」
「わかりました。では、森田伸一という男性を知っていますか?」
「勿論存じております。彼のおかげで香ちゃんと蓬ちゃんはこうして無事でしたから。しかも彼は事件の後も香ちゃんに会いにいってくれたんですよ」
「施設にですか?」

 少しだけ驚いた武藤に、叔父は頷いた。
 森田が事件後、姉に会いにいっていたのは私も知らずに驚きを隠せなかった。いくら仲がいいといっても今考えてみたらご近所付き合いの延長線みたいなものだ。騒音を聞きつけて助けにきただけでも感嘆すべきことなのに、お見舞いまでしていてくれたなんて、武藤の話を聞いていなかったとしても、どこか訝しい目で見てしまうくらいの甲斐甲斐しさだと思った。

「来てくれたのは一度だけみたいなんですけどね。私も職員さんから話を聞いただけなので、詳しくは存じ上げていないのですが。彼が何か?」
「いえ、一応の確認といったところです。ありがとうございました」

 武藤は礼を述べると立ち上がった。想像よりもすんなりと終わった会話につい、「もういいんですか?」と聞いてしまった。

「あぁ。とても参考になった。少しだけ進展が見えたような気がした」

 そう答えた武藤は会釈して居間から出る。私と叔父はついていくように玄関までいって、靴を履いている武藤を見送ろうとした。

「お時間を取らせて失礼しました。それでは」
「刑事さん、一つだけ聞いていいですか?」

 立ち去ろうとする武藤を叔父が呼び止めた。武藤は玄関扉を開ける手を止めて叔父の方へ向き直る。

「香ちゃんがどういう立場にいるとしても、あなたは香ちゃんを探すおつもりなんですか?」
「……そういう事になりますね。俺の予想では、間違いなく彼女はこの事件に関わっていますから」
「そうですか――いや、引き留めて申し訳ない」

 叔父を見ていた武藤は玄関を開けると、「善処します」と独り言のように言うと、叔父が「ありがとう」と返した。聞こえたのか聞こえてないのか、反応を示さなかった武藤はそのまま出て行った。
 私は二人のやりとりがよくわからず、困惑していた。

「叔父さん、どうしてありがとうなんて言うのよ。あの人、姉のことを殺人犯か何かだと思っているわよ。絶対」
「そうかも知れんなぁ」
「知れんなぁって、私たちに対して凄く失礼だとは思わないの」
「それだけ事件解決に一生懸命なんやろ」
「もう、なんでそんなのんきにしてるのよっ」

 叔父の態度に苛立ちを隠せなかった。
 かといって怒ってほしいわけでもない、叔父が辛い思いのをするのは嫌だったから。だが、だからといって姉を悪者扱いする男の言動に何も反応を示さないのはどうにも釈然としなかった。
 これは私の我が儘だ。そう思っていても止めることが出来なかった。

「蓬ちゃん。香ちゃんはどこかで元気に生きとって、きちんと生活してるとしたら嬉しいか?」
「え……うん、それはもちろん」
「叔父さんはな、正直な話。香ちゃんはもう死んでると思ってるねん」

 唐突に言った叔父の言葉に、私は押し黙った。
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