花の蜜は何より甘く

FEEL

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 武藤の問いに私は頷きで返した。

「あの時、私は事件の起きた一階ではなく二階の部屋にいたんです。それで異音に気付いた姉に起こされて、姉は父親を助けに一人だけで一階に行ったんです。その後すぐに姉の悲鳴が聞こえて、私も行かないと思って部屋を出たんですけど。階段を下りる直前に気を失ってしまって、だから……」

 話していると曖昧な記憶が徐々に鮮明になってきて、私は話すのを止めた。

「どうかしたか?」

 武藤が聞いてきたが、私は返事を返さず記憶を探った。

「いました……私たちと、姉と仲の良かった人が」
「誰だ? その助けてくれたって人物か?」
「はい……近くに住んでいた大学生の男の人です。私たちを良く可愛がってくれて、私たちも懐いてお兄ちゃんって呼んでました。名前は確か、森田、森田伸一」

 どうして今まで忘れていたのだろうか。
 当時の私にとって、森田はとても頼りがいのある存在で、私たち姉妹に凄く良くしてくれていた。大学生というのがとても大人びて見えて、今にして思えば少なからず恋心のようなものを抱いていたと思う。そんな人物だったのに、どうして忘れてしまっていたのだろう。

「恐らく、精神的外傷に関して脳が安全装置をかけていたんだろう。嫌な記憶は思い出しにくくなるもんだ」

 私の心情を察したのか、武藤がそう言った。

「逆に言えば、それほど辛い出来事だったってことだな。すまん。手がかりを前に少し無神経すぎたかもしれん」
「え、いや、そんな……別に今はそれほどでもないんので」

 無神経の塊だと思っていた武藤が唐突に頭を下げるものだから、私は上ずった声を返してしまった。いきなり謝られてしまったらそれはそれで対応に困ってしまう。「それならよかった」私の返事を聞いて武藤はそう言った。

「森田のことはこっちも把握している。事件に関わった人間だからな、調書にも名前が残っていた。だが、連絡が取れないんだ」
「連絡が取れないって?」
「森田伸一は今どこにいるのかわからない。香さんと同じく行方不明になっている」

 武藤は淀みなくそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
 私の方はと言うと、「えっ」と、驚きの声を上げて固まっていた。まさか、姉に続いて親しい間柄であった人間までいなくなっているなんて、想像もしてなかったからだ。

「……もしかして、姉さんと何か関係があるんですか?」

 少し考えてから、私はそう質問した。
 どう考えても森田と姉が同時に行方を眩ませたのは偶然ではない、何かしら関連性があると考えたからだ。
私の質問に武藤はこちらを観察するように顔を向けたまま答えた。

「勿論、俺も森田の失踪は衣笠香と結びついていると考えているんだが、何か確証があるわけじゃない。しかし、近しい人間ならば何か心当たりでもあるかもと思ったんだが」

 じっとこちらを眺めていた武藤は話の途中で息を吐きだし、視線を逸らした。

「この様子じゃ何も知らなさそうだな」
「……もしかして私、今カマをかけられてました?」

 武藤は何も答えない。
 沈黙は肯定の証だと捉えた私は、血の気が引いていく思いだった。急に謝ったと思ったら、その瞬間に人を試すような言動をする。いったいこの人は何なんだ。形容しがたい武藤の人柄に困惑を覚える。
 間違いなく言えることは、さっきの口ぶりからするとこの人は私のことを怪しんでいるということだ。全く心外だ。

「残念ですけど、私はあなたが捜査している事件とは全く、何も、これっぽっちも、関係がありませんから。姉は勿論、森田さんの行方だって知りません。というか今知ったぐらいです。これ以上話してもあなたが期待している話しなんて出てきませんよ」
「そう言われると、かえって怪しく見えるもんだ」

 顎先を撫でながら武藤は言う。どこまで私に燃料を注ぐ気なんだ。

「まぁ、わかった。確かにあんたは何も知らなさそうだ」

 怒りのままに罵詈雑言を叩きつけてやろうかと思った矢先、武藤の物調面が少し和らいだ。(と、いっても対して変化はないのだが)それと同時に店内に張り詰めていた重苦しい空気も軟化するのを感じた。

「すまんな。別に悪気があってこういう態度を取っていたわけではないんだが、俺のやり方の一つなんだ。相手を刺激したほうが、本音が聞きだしやすいし、何よりあんたは彼女の肉親なんだから疑ってかかるのも当然というものだろう?」
「それは、まぁわかりますけど。やり方がひどすぎます。普通に訴えれますよこれ」
「そうだな。次は気を付けるよ」

 笑みを浮かべながら、姿勢を崩した武藤はズボンのポケットから煙草を取り出して口に運んだ。流れるように火をつけようとする直前、「禁煙です」と一声かけると、煙草を咥えたままでライターをポケットにしまった。

「あんたが何も知らないってのは理解した。失礼したな」

 武藤は椅子から立ち会がり、そう言うと踵を返す。

「もういいんですか?」
「あぁ、これ以上ここにいても意味ないからな、こう見えて俺も忙しいんだ」

 そうですか。と、一声かけて業務に戻ろうかと思った時。悪寒のようなものが体を走った。次の瞬間、私は武藤を呼び止めていた。

「次はどこにいくつもりですか?」
「どこって、仕事だよ」
「聞いているのは仕事の内容です。もしかして、叔父のところに行くつもりじゃないでしょうね」
「答える必要はないな」

 飄々とした武藤の態度に自分の考えに確信を持った。間違いない、今度は叔父のところにいくつもりだ。

「やめてください」

 言いながら、武藤の近くまで駆け寄った私は彼を制止した。
 きっとこの男は叔父に対しても同じように質問するだろう。そんなことをされてしまえば叔父はどういう気持ちになるか想像に難くない。叔父だって未だ姉が帰ってくるのを待ち続けているのだ。
 私の成長を見つめてすっかり心配性になった叔父が、あなたの預かっている娘さんは行方を眩ませているだけでなく、何かしら事件に巻き込まれているのだと説明を受けたら、卒倒してしまうのではないか。そうでなくてもこの男に対して怒りの感情をぶつけることは間違いないだろうと思った。
 そんなことは許せない。これ以上叔父の感情をかき乱したくはなかった。だが、私の気持ちなんて露ほども知らない武藤は制止する私をぶっきらぼうに振りほどく。

「何も悪いことがないなら、聞き込みの一つくらい問題ないだろう」

 私の態度に誤魔化すことは出来ないと思ったのか、武藤は悪びれない態度で言った。

「聞き方が問題あるんですよっ! どうせ私にしたようにカマでもかけるんでしょう」
「それが俺のやり方だからな」

 当然のように答える武藤に、私は愕然とした。
 少し話をしただけだが、この男は強情だ。かなり頑固な部類に入るだろう。少しくらい悪びれる可愛げがあってもいいだろうに、この男には全くそれがない。そのぶれない姿から、私が何を言ってもこの男は自分のやり方を変えないのだという確信を持った。
 制止することを諦めて、肩を落とす。

「わかりました。それじゃあ私も同行します」
「別に案内はいらないぞ」
「あなたが余計なことを言わないようについていくのっ! 店長に連絡するから待っててくださいっ!」

 店に備え付けてある電話を取って、本店の電話番号を入力すると受話器からコール音が聞こえてきた。今の時間は九時。江崎も店を開けた頃合いだろう。数回コールが鳴った後、「もしもし」と快活な女性の声が聞こえた。

「もしもし。店長、衣笠です」
「あら、蓬ちゃん。どうしたの?」
「ちょっと今、警察の方が来てて。同行することになったので少しの間、お店を閉めますね」
「えっ――⁉」

 要件だけを伝えて受話器を戻そうとする直前、江崎のワントーン上がった声が聞こえた。構わず電話を切って武藤がいた方に向き直ると、江崎は煙草を咥えたままでその場に立っていた。てっきり電話している間に逃げられるかと思っていたので少しだけ驚いた。

「お待たせしました。それじゃあ行きましょうか」
「別にあんたが来ても何も変わらんが」

 何か言っている武藤を無視して看板に付けてあったサインボードを『close』に変更した。入口の扉を閉めて施錠してから、裏口に回って店から出た。外を回って表口に戻ると武藤が煙草に火をつけていたところだった。武藤から煙草を取り上げてバケツに貯めてある水に投げ込んだ。

「禁煙です」
「だから外で吸ってるだろうが」
「この辺り一帯は全体的に禁煙なんですよ」

 言いながら、市電の駅に向かう。
 後ろで武藤が「肩身狭ぇなぁ」と呟いていたのが微かに聞こえた。
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