花の蜜は何より甘く

FEEL

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 大音量で鳴り響く目覚ましを止めて外を見ると、薄らぼんやりと明るくなっていた。時間を確認すると四時半を回ったところだった。夜間着を脱ぎ捨て、シャワーで体を流してからクローゼットから服を取り出す。
 無地のTシャツにジーンズ。これが私の仕事着だ。すっかり習慣になった動きで服を着こむと、電話が鳴った。

「もしもし」
「おー。蓬、おはようさん」
「叔父さん。こんな早くにどうしたの?」
「お前がちゃんとやれてるか確認しようと思ってな」

 電話ごしに快活な笑い声が聞こえてきた。

「ちゃんとやれてるかって、一人で暮らし始めて4年目だよ。もう慣れたものだって。それにさ、同じ事を先月も言ったじゃない」
「そうやったっけ? 前に電話してからまだ一ヶ月しか経ってないんか。もう半年くらい経ってるかと思ったわ」
「それも前にいった。心配してくれるのは凄く嬉しいけど、私が一人暮らししてから毎月電話してきてるじゃない。そんなに心配しなくても大丈夫だって。ストレスで叔父さんが倒れちゃうよ」
「まぁそう、いけずいわんといてえな。蓬がおらんようになってから家が広くて寂しくてな。爺さんのわがままと思って堪忍してくれ」
「別にいけずしてないから」

 実際、連絡で億劫で言っているわけではない。身寄りのない私をここまで育ててくれた叔父に本当に感謝しているし、尊敬もしている。だから少しでも負担にならないように、しっかりと自立しようと家を出たのに、ここまで心配されては意味がない。

「本当に大丈夫だよ。職場ではあのことを話題に出す人もいないし。お店まで任されて頼られてるんだから」
「……そうか。そうやな。蓬は頑張り屋さんやからな」
「そうだよ。私は真面目な頑張り屋さんなの。叔父さんが誇れるくらい立派な人間なんだから、安心して。すぐ仕事に行かないといけないからもう切るよ」
「わかった。お仕事頑張ってな」

 労いの言葉に「ありがとう」と言ってから電話を切った。
 姉が――香が行方不明になったと言われてから、叔父の心配性は度を越していた。
 引き取られた当初は一人で外に出ることもさせてもらえなくて、学校に行くときだって、いってきますの一言がなければちゃんと学校についているのか確認の電話をしてきたし。寄り道をして帰る時間が遅く鳴れば説教をされていた。
 当時はそうやって束縛されるのがとても嫌で、我慢ができなくて反発することもあった。でも、そこから更に心配性を加速させる出来事が起きてしまった。
 それはいじめだ。いったいどこから聞きつけたのか、私の境遇は学校中に広まっていた。『殺人事件に一人生き残った子供』として転校デビューを果たした私は、初日から質問責めだった。
 あんな出来事、思い出したくもなかったし。肝心の私は犯人を目撃することもなく、事のあらましを叔父経由で聞かされただけで、周りが盛り上がっているなか、どこか他人事のように感じていた。だが、それが事態を悪化させてしまった。
 周りにとって、悲劇のヒロインである私が悲しんでいないのを気に入らなかった一部の人たちが、『家族を見殺しにして一人で逃げた』『実は殺人犯とグルだった』などなど、事実を湾曲させて広めてしまった。
素知らぬ顔をした私の態度がそういった嘘に信憑性を持たせてしまい、気が付けば私は悪者になってしまっていたのだ。
 そこからはあっという間だった。いじめが人を呼び。人がいじめを呼ぶ。そうなってしまえば事実なんてどうでもいい。みんなが悪くいえば、それは立派な悪なのだ。無論、そこまでコトが大きくなれば保護者にも情報が伝わった。叔父は激怒して学校側に抗議を申立てた。その甲斐あって、学校側の呼びかけで表面的には沈静化したのだが、陰では相変わらず悪く言われたりしていた。
 その経験から私は、仮面をかぶって生きることを覚えた。人の顔色を窺い、表面上は明るく振舞い。人が求める理想の対応を必死になって探すようになった。その結果、中学生以降は日常生活に支障がない範囲で生きてこれたし、元気に振舞う私を見て、叔父の心配性も少しは緩和されていった。今ではお店を任されるほど信頼を得る、立派な人間に見せることができるようになった。

「あ、やっばい。遅刻しちゃう」

 時計を見ると五時になっていた。移動の時間を考えたら出勤時間ギリギリだった。冷蔵庫からエナジードリンクを一本取ってプルタブを開けると、一気に飲み干す。炭酸が喉に当たって、残っていた眠気も吹き飛んでいくようだった。空き缶をキッチンにおいて仕上げに顔を叩く。

「よし、今日もがんばるぞっ!」

 景気づけに声を出すと、自然とやる気も湧いてくる。すっかり元気いっぱいになった私は仕事に向かった。



 通勤用のロードバイクを走らせ天文館近くにある小学校と偉人の記念碑が置かれている公園の間を通り抜け、少し進むと私が勤めている花屋がみえてくる。店に到着するころには本格的に日が昇っていて、辺りはすっかり明るくなっていた。
 店の前まで来てみると、グレーのワンボックスが止まっていた。運転手は私がやってきたことに気付くと車内からこちらに向かって手を振っているのが見えた。

「すいません、少し遅れました」

 ロードバイクを運転席の横まで乗り付けて私がそういうと、窓を下した女性が気持ちのいい笑顔で迎える。

「私が早く来ただけだから、気にしないで」

 この店のオーナーであり、本店の店長でもある江崎真由美えざきまゆみは言った。五十半ばという年齢を感じさせない笑顔で、瞳の光は若年のように輝いて見えた。

「今日はね、活きのいいお花が沢山買えたのよ。早くお店に並べましょう」
「わかりました。すぐにお店をあけますね」

 魚屋さんのように話す江崎にそう言ってから裏口に向かい、ロードバイクを止める。そのまま裏口から店内に入って店を開けると、車から降りていた江崎はバックドアをあけ放ち、積まれていた生花を取り出そうとしているところだった。
 店の扉を開いた状態で固定してから江崎の手伝いにいくと、冷たい空気と共に花の匂いが強く香ってきた。

「凄い鮮度ですね、香りが強くて花の色も綺麗」
「でしょう。今日は本当いい買い物だったわ。綺麗に飾ってあげたらいつもよりお客さんの目も惹いてくれると思うの」

 嬉々として江崎が言った。
 生花は魚と同じで足が速い。鮮度が悪い花はきっちり処理をしても見栄えが悪く、痛みも早いものだ。だから卸商品の質はとても重要なものとなってくる。江崎の言う通り、これだけ綺麗な状態ならば、すぐに前処理をすれば店内の鮮やかさは相当なものだろう。
 私は頷いてから、生花を手に取って店内に持って行く。顔を寄せると香りがより一層強く感じて、自然と気分が高揚していった。
 しかし――改めて見てみると、車内にある生花はとんでもない量だ。

「これ、全部この店に並べるんですか?」

 花を運びながらそう聞くと、嬉々としていた江崎は体を揺らし、次第に表情が沈んでいく。

「そうなの……すごく綺麗だったからつい買いすぎちゃって、蓬ちゃん、大丈夫かしら?」
「そうですね……」

 言いながら店内を見渡した。店内には既に処理済みの花が残っていて、保存室にも収められている。対して車に積み込まれた花は店内の在庫三分の一はあった。無論、並べるだけなら問題はないのだが。ここまで鮮度のいい生花が多いとなっては古い子たちが買われていく可能性は減ってしまう。店を任されている身からすれば、容認できない状態だった。だが、

「問題ないですよ。どのみち買った以上はお世話しないと、お花が可哀そうですから」

 私は笑顔でそう言った。
 暗い表情だった江崎は、私の言葉を聞くと表情が明るくなり、「そうよね、そうよね」と何度も相槌を打っていた。子供のよう振舞う彼女の態度に、私はため息が漏れてしまいそうになったが寸前で堪えた。
 江崎のこういう性格は今に始まったことではない。それこそ私が勤めたころにはこの調子だった。
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