A*Iのキモチ

FEEL

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「だいいち学生が大量にいる場所で若い男女が二人でふらふらしていたらそれこそ補導でもされてアウトだ。だから今回は人が少なくて、とにかく距離を稼ぐ方が有効だと思う」
「なるほど、そういうことならわかりました」

 愛は納得いったように頷いた。
 話している間に車窓の景色から高い建物が消えていて、密集した住宅地と畑がちらほらと見え始める。その奥には大きな川が見えて愛は目を輝かせて窓を覗き込む。

「翔琉君。川ですよ川。大きいな川っ。いったいなんて名前の川なんでしょうか?」
「さぁ……ここらへんは来たことがないしな」
「凄いですねぇ。どこまで続いているのでしょうか」
「そりゃ海だろう。というか川なんて俺たちが住んでたところにもあっただろう」
「あんなに大きいのはありませんでしたよ。凄いなぁ……大きいなぁ……」

 愛は子供のように瞳を輝かせて川を眺めていた。実際、愛の年齢は赤ん坊みたいなものだから、自然な行動ではあるのだろうが、川一つでこんなに大はしゃぎしていたら海なんて見たら腰を抜かすんじゃないだろうか。
 電車がすすむほどに川はどんどん遠くなっていき、ついには住宅に隠れてしまった。
 それから一時間近く電車に揺られて、目的地の終点まで到着した。

「う……寒い」

 電車から降りた途端に冷気が体を突き刺さる。海に面しているからか街側とは段違いの寒さだ。

「大丈夫ですか?」
「流石にきつい、厚着するからちょっと待ってくれ」

 旅行用のかばんをホームのベンチに置いて中から羽織れそうな服を取り出した。やはり服を持ってきて正解だった。

「よし、準備オッケーだ。行けるぞ愛……愛?」

 周りを見渡すと愛の姿はなかった。ぐるりと回って反対側のホームまで確認してみたがいるのは俺一人だけだ。
 まさか、という気持ちが体に走る。

「愛……っ!」

 荷物をそのままに俺は改札に向かった。
 券売機までやってきたがそこにも愛はいなかった。ホームから券売機までは一本道だ。途中で通り過ぎてしまうことはない。ということは先に外に出てしまったのか。それとも――。
 改札を抜けて駅を出た。周辺を確認してみるがやはり愛の姿はない。

「くそっ!」

 焦りが募って声を荒げた。
 まさかほんの一瞬目を離した隙にいなくなるなんて考えもしなかった。これは十二月晦の仕業なのだろうか。だとしたら早すぎる。
 いくらあいつでも思い付きでやってきた駅に到着した途端、音もなく愛を連れ去ることなんて可能だとは思えない。しかし実際に愛がいなくなっている以上、連れていかれた可能性が脳内を占める。
 どちらにしても、物体が消えるなんてことはあり得ないっていうのは俺でもわかる。愛はまだ近くにいるはずだ。

「愛ッ! どこだ愛ッ!!」

 大声で呼ぶが返事は無い。おまけに不慣れな土地のせいで効率よく探すことが出来なかった。気が付けば駅から周辺を大きく一周していたようで、また駅に戻ってきてしまう。
 こんなことをしている間に愛はどんどん離れて行ってしまう。とにかく動くしかない。そう思って再び足を動かした。
 駅から少し移動した辺りから道路脇に二メートルくらいの壁が伸びていた。壁の奥から小さく水音が聞こえる。恐らくこれは防波堤で、壁の奥には海があるのだろう。そういえば、愛は川に対して強い関心を持っていた。
 俺は壁沿いに道路を走り、上に登るための階段を探す。運よく二十メートルぐらい先に階段を見つけて駆け上った。
 防波堤の上に立って見た景色は――壮観としかいいようがなかった。
 どこまで続いているのかわからない白い砂浜に水平線まで続く仄かに緑が混じった青い海。押し寄せる波は白い泡となって砂浜を登り、淡く消えていく。そのすべてが綺麗だと思った。
 砂浜に一つだけ、立ち尽くす人影が見える。遠目からでもわかる。愛だ。
 砂浜に続く階段を急いで駆け下りて愛の元に走る。

「あ、翔琉君」

 足音に気付いた愛がこちらを振り向く。

「愛。勝手にいなくなって何してるんだよ」
「ごめんなさい、潮の香りと波音が聞こえてきたので、つい勝手にきてしまいました。これが海なんですね」
「あぁ……川よりも大きいな」
「はい。どこまでも深く、広大です」

 愛は海を見ながら立ち尽くしていた。

「川に反応した時といい、水が好きなのか?」
「わかりません。こんなに大きい水溜まりを見たのは初めてですから……でも」
「でも?」

 愛は自分の胸に手を当てる。

「この景色を見ていると、ここが暖かくなるのを感じるんです。優しい、嬉しい、そういうものが混ざったような複雑な感情……私にはまだ把握しきれません」

 愛は困惑しているように言って見せたが、表情は柔らかい。自分が何を感じているのかわからないのは事実だが、気持ちの悪い物ではないのだろう。
 落ち着いた愛の姿を見ていると、Aの姿が重なって見えた。

「あ……」

 目を見開いて愛を見る。よく見てみると愛とは微妙に違う立ち姿と雰囲気。ゆっくりとこちらを振り返りながら、少女はとても懐かしい笑みがこちらに向ける。

「愛じゃ、ないよな」
「さぁ、どうなんだろう。私もよくわからない」

 あぁ……この声のトーン。
 八重歯がうっすら覗く笑い方。
 目を細めて瞳を潤ませる目元がくしゃっとした笑い顔。
 大事なものを忘れたとしても、この顔を忘れたことはない。

「こんなところで、なにを、してるんだ」

 緊張で体が強張り、上手く声が出せない。それでも彼女は気にした様子をなく手をひらひらと動かしてかぶりを振った。

「難しい質問をするねぇ翔琉は。私にもそんなのわからないよ。ただ気が付いたらここにいたんだ」
「そうか。はは、機械に憑りついて人と会話をするなんて、SFというよりもホラーだな」
「出た。私は全然映画を見ないんだからそんな例えじゃピンとこないよ」

 少女の言葉に涙腺が緩みそうだった。
 映画をよく見る俺は何かにつけてこういう例え話を彼女に聞かせていた。そのたびに彼女はこうやって面倒そうに返してきたんだ。

「水族館ではごめんね」
「えっ」

 急に少女が謝りだして、俺は間延びした声を上げてしまう。

「せっかく愛ちゃんと遊びに来たのに、私のせいで台無しにしてしまった。悪かったとおもってるよ。でも急に視界が広がって、愛ちゃんの記憶と私の記憶が混線して止められなかったんだ」
「記憶の混線……って、いったい何が起きてたんだ?」

 少女は海の方を見てゆっくりと砂浜に座り込む。そのままじっと海を見ていた。まるでドラマのワンシーンのようにしっくりくる姿を眺めながら、俺も横に座り込んだ。

「五月ちゃんが愛ちゃんの人工知能を作った時、すでに形成された人格があったの。彼女はそれをベースに感情という朧げなものを埋め込み数値化しようとした。愛ちゃんの姿を見る限り成功したといってもいい。と、五月ちゃんは感じている。でも厳密には成功はしてないの」
「それはつまり、愛はいまだに感情なんてわからないってことか?」
「そういうことになるね。彼女自身は未だに言われたことを淡々とこなす、無感情な機械だ」
「でも、最近の愛はかなり人間味を帯びてきている。お前も口ぶりから見て来たんだろ。水族館での出来事以降、愛の振舞いは人間そのものじゃないか」
「それはそうだよ。そう思われるように振舞ったからね」

 淡々と語る少女の言葉に俺は目を丸くした。

「振舞ったって……じゃあ今までのは全部……」
「そ、なんだかわからないまま愛ちゃんの中で目が覚めた私が力を――感情を貸していただけ。彼女の中から私がいなくなれば愛ちゃんはまた元に戻っちゃうよ。これがどういうことかわかる?」
「どう、いうことだ?」
「このまま愛ちゃんが消えてしまったら無駄死にってこと。五月ちゃんのやってることも進まないし、そして愛ちゃんも消えてしまう。その時は多分、私も消えてしまうと思う。勘だけどね」
「まて、わけがわからない。どうしてそういうことになるんだ」
「これを見て」

 症状は周辺に落ちていた先の長い流木を手に取って砂の上に走らせる。大きな円を一つ書き、円の内側を線で区切った。時計で表すと九時と十二時の位置に線を引く。

「これが愛ちゃんの中で占めている私たちの度合い。大きい方が愛ちゃんで小さいほうが私。でも五月ちゃんがデータを移動した際、実際に移動するのは愛ちゃんの部分だけなの」
「なんで?」
「翔琉にも分かるように簡単に言うと私はバグなのよ。愛ちゃんの知能を構築する際に使われた五月ちゃんが創造した私のイメージ。それが元に生まれたイレギュラーが私。だから愛ちゃんの記憶を移動する際には、私はデータのゴミとして消え去ってしまうと思う」

 言いながら、少女は円を区切った線を消す。残ったのは綺麗な丸だけだ。

「でも、感情を占めるのはバグであるお前だけ。このまま十二月晦の思惑通りにコトが運べば愛は消えてしまい、十二月晦の計画は中断される」
「そういうこと。だからね、翔琉。絶対に愛ちゃんを離しちゃだめよ。彼女は今まで付き合ってくれた貴方をとても信頼しているわ。男ならその期待に応えてあげなさい」
「お前は、それでいいのか?」

 質問すると、少女は口を閉じて海を見た。何をするでもなくただ真っすぐと、地平線の果てまで見据えているように遠くを眺める。

「私ね、海が好きなんだ。地球の大部分は海で出来ていて、陸地はほんの少ししかないんだって知ってる?」
「あぁ、授業でも習ったしな」
「そうだっけ? まぁそれはいいのよ。 大きくて雄大で、色々な生き物が海と共存して、優しい波音を奏でてくれて。私の好きな人にそっくりなの」
「好きな人? お前、好きな人って――」

 慌てて聞き返そうとすると、顔の前に手を伸ばされて言葉を止められてしまった。

「私はもうこの世界で生きてはいない。電子データが演出している一欠けらのバグでしかない。だから生者の言葉は聞き受けられないわ。それにね、言ったでしょ」
「言ったって、何を……」

 少女は子供のように笑顔を作る。

「私の隠し事は、翔琉には教えないって」

 今際の際。彼女が残した言葉を言うと少女は立ち上がり服についた砂を払った。

「じゃあ、もう時間みたいだから。私は消えるね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「待ちません。時間は有限なのです……ね、翔琉」

 少女の柔手が頭に触れる。くしゃくしゃと頭を撫でてから少女は言った。

「心を許せるいい子を見つけたんだから、頑張りなさいよ」
「待て、待ってくれっ!」
「――あの、いったい何を待てば?」

 きょとんとした少女は首を傾げる。さっきとはまた違う、見慣れた愛の表情をしていた。
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