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 目を覚ますと病院のベッドに横になっていた。
 痛みを感じていた脚や腰には固定具をまかれていて、満足に身体を動かせない。

 いったいあれからどれだけ経ったのか。
 二人は上手くやれたのだろうか。

 疑問が頭を駆け巡り、確認にいきたくて体が疼く。
 しかし悲しいかな、しっかりと固定された体は動くことが出来ない。
 まるで手の届かないところが痒くなった気分だった。

『起きた?』

 天井を眺めていると、そう書かれたメモ用紙が視界に入り込んできた。

「……いたんだ」
『うん。ずっと一緒にいたよ』
「ずっと一緒って、薬品はどうしたの?」
『――まってて』

 殴り書きでそう書かれたメモ帳はベッドの上にパタリと落ちた。
 それからあまり時間を置かずに、病室の扉が開かれた。

「琉姫君おはよう。調子はどうだい」

 声をかけてきたのは田淵だった。

「痛みはないです、動けないですけど。そんなことより、薬品は――」

 話をしている最中、田淵がこちらに向けて金属缶を見せつける。

「心配するな、無事に回収できた」
「そうですか、これが……」

 表面の商品名が書かれた紙はすっかり劣化して剥がれ落ちてしまっているが、辛うじて残っている断面が、昔見た記憶を連想させた。間違いなくこの薬品であっているはずだ。

「いや本当によかった。無理だろうと思っていたけど、なんとかなるものだな」
「何か怪しまれる様子はありませんでしたか?」

 不安になって尋ねると、田淵は歯を見せて笑う。

「全然。元々長い取り調べで親交を深めていたからかな。『雫さんの形見がどこかに消えてしまった』と尋ねてみると、取調室から始まって、すぐに保管庫まで案内してくれたよ。少しだけ面倒な顔をされたのが気になったがね」

 上手くいったのならいいが、それはそれで警察の対処としてどうなのか。

「それから僕が、付き添いに来ていた刑事に世間話を吹っかけてね、目論見通り、そのあいだに雫さんが目的の荷物を持ち出すことに成功したよ」
「そうですか。雫ちゃんは署内で誰かに見られたりしなかった?」

 恐らくその場にいるのだろう雫に話しかけると、田淵はメモ帳とペンを持ち出した。
 それらが宙に浮き、何かを書いてからこちらに見せつけるように近寄ってきた。

『大丈夫だった。みんな机に向かっていて、廊下は殆ど人がいなかったの』
「そう、それは運が良かったのわね」

 あまり揉め事のないこの辺りでそこまで事務作業に追われているのは想像つかなかったけど、そこはわたしたちの知るところではないか。

 そこから田淵は実行した計画の説明をしてくれた。
 何食わぬ顔で慎一の家を訪ねて彼に挨拶をしにきたという体で家に上がる。
 もちろん、手には劇薬を仕込んだ毒入りケーキを持っていた。

 だが、食わせる相手は慎一だ。

 田淵の印象ではこちらの表情を見た時点で警戒を露わにしていたと表情が語っていたらしい。
 そんな相手から手土産を渡されて、素直に食べるとは思わない。
 少し悩んだ田淵は取り調べを担当した刑事。嵐山との会話を思い出した。

「慎一君はね、珈琲には並々ならぬこだわりがあったらしいんだ」
「珈琲ですか……そういえば雫ちゃんの家に行くと、喫茶店みたいないい香りがよくしていました」
「うん。だから僕はそこを狙った」

 田淵の持ってきたケーキは少しでも薬品の匂いをごまかすために多量の砂糖を入れていたらしい。
 それを『珈琲に合う味付け』なのだとでまかせを言ったのだ。

「そうすると、慎一君の目の色が変わったよ。よほど珈琲が好きなんだろうね」

 少し警戒心が薄れた慎一に対して、田淵は家に入れてくれるまでその場で粘るつもりだった。
 それを気取られたのか、慎一は諦めたように田淵を家の中に招いたのだと言う。

 わたしが思うに、慎一はリスクを控えたのだろう。
 田淵が警察に厄介になっていたことは私からも慎一に伝えてある。
 そんな相手が家にやってきて、自分には捕まるだけの動機があるのだ。

 普通ならいきなりきた来客なんて、適当に言って追い払ってもいいものだと思うが、過剰な警戒心故に追い払うのは逆に疑われる可能性があると思った。だから相手の要望を叶えてすぐに家から出て行ってもらおうと考えた。
 もしくはあえて家に入れることで、警察の捜査状況など、そういうものを引き出そうとしていたのかも知れない。

――案外、珈琲の味に興味を持っただけかもしれないが。

 しかし、ケーキを机に並べてもう少しというところで、慎一は中々ケーキに手をつけなかった。
 田淵も何度も催促すれば怪しまれると思った様子で、内心どうしたものかと焦っていたらしい。

 そこで、田淵はあえて自分からケーキを食べることにした。
 もちろん自分に用意したケーキには薬品など入っていない。
 いつもどおりに用意した、いつも通りのケーキだった。

 だが、最初の一口を食べるのは田淵も中々抵抗があったという。
 なにせ入っているのは少し混入しただけで、体に異常が出るほどの危険物だ。

 運んだ拍子にクリームが触れたかも知れない。
 間違えて毒入りケーキを自分に配膳してしまったのかも知れない。
 警戒心を解くために先に食べようとしているのに、それで自分の様子がおかしくなればすべてはお終いだ。

 それでも、それでも田淵は先にケーキを食べた。
 それだけ雫を殺した慎一に対する復讐心が大きかったということなのだろうか。
 ……そこはわたしにはわからないし、聞くのは野暮な気がして黙っておいた。

 その甲斐もあり、田淵は自然に食べることを催促することができて、慎一になんとか毒入りケーキを食べることにした。
 薬品の効果は顕著に表れて、慎一の様子はみるみるおかしくなったらしい。

 体が震えて、立つこともままならずその場に倒れ込む。
 浅い呼吸を繰り返しながらその場でもがくしかできなくなった慎一の口からは薬品の影響か泡が噴き出ていたらしい。
 ここまで聞くだけでも、販売されなくなった理由を良く理解できた。

 本来ならこの状態でも、急いで救急車を呼べばあるいは助かったのかも知れない。
 でも、その場に居合わせたのは雫と田淵だけ。
 慎一が殺した相手と、復讐を願う人間だけだった。

 時期に慎一は浅い呼吸も遅くなり、軽く吐しゃ物を吐き出して動かなくなったと言う。
 田淵が慎一の呼吸。そして心音を確認して死亡したのを確認してから、そこで初めて救急車を呼んだ。

「ちょっと待ってください」

 田淵の説明途中、琉姫は会話を遮るように言った。

「そんなことしたら田淵さんが犯人だとバレませんか」

 ドラマや漫画とかでしか知らないが、死体は死因を調べるために司法解剖というものがあるはずだ。
 毒入りケーキはまだ胃に残っているはず、内容物の成分を調べられたら一巻のお終いではないか。

「普通はそうだろうけどね。僕たちは普通じゃなかったから」

 言いながら、田淵は横を見る。
 そこには何もないただの空間だったが、恐らく雫がいると思って振り向いたのだろう。

「毒入りケーキはすべて食べられたわけじゃなかったから、机の上に残っていたんだ。それを調べられたら危なかったんだけど……」
「……だけど?」
「雫さんがね、そのケーキを食べちゃったんだ。毒の入っていない僕のケーキも含めてね」

 田淵が呆れたように言うのを、私は目を丸くして聞いていた。

「雫ちゃん!? あんた大丈夫だったの!?」
『大丈夫。だってもう死んでるし。甘くて美味しかったよ』
「あんたねぇ……」

 呑気に返事を書く雫に琉姫は頭を抱えた。

「薬品を持ち出したのも雫ちゃんだ。僕は刑事と話をしていただけで何も持ち出していないのはその刑事が証明してくれる。あとは隙を見て元にあった場所に返すだけだ」
「返すだけって、二回も行けば流石に怪しまれるでしょう」
「まぁね。でも僕のケーキを食べて慎一君は死んでしまった。どのみち容疑者としてもう一度警察署に行くことになると思う。そのあいだに雫ちゃんが元に戻してくれさえしたら、僕はその薬品を使えなかったという証明が出来る。つまりは証拠がないから、疑わしくても捕まることはないだろうさ」
『まかせてください』

 雫が書いた文字に田淵は自信に満ちた表情で頷く。
 雫への絶大な信頼感か、それともそもそもが大らかな人間なのか、田淵は自分が捕まるという気は全くないという様子だった。


――そして。事実、田淵は捕まらなかった。

 田淵から近況を聞いて数週間。
 警察は明らかに田淵を疑ってはいるが、肝心の証拠が出ないせいで事件は難航。
 そろそろ拘留期間も満期のはずだから、時期に田淵の姿を拝む事ができるだろう。

 殺した相手に祟られる。
 昔から、そういう話は腐るほどあるけれど、今回のケースはまさにそれだと思った。
 実際に殺害したのは田淵だが、慎一が死んでしまった原因は、自分が殺した姉に祟り殺されたのだ。

「雫ちゃん、満足した?」

 いまだ続いている慎一のニュースに目を通しながら、私はぽつりと言った。
 メモ帳とペンが浮き上がり、空中で停止する。
 何を言い出すかわたしにはわからないが、わたしは雫の言葉を黙って待っていることにしていた。
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