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「いい香りだね」
「甘いものと一緒に頂くので深煎りにしました。苦味が強いからケーキの甘さも引き立つと思います」
「それは楽しみだ。さ、食べよう」

 腕を伸ばして自分の対面にあるケーキを指す店主。
 言われるままに僕は店主の対面のソファに腰かけて珈琲をすする。

 ちらりと店主の方に目をやると、自分が持ってきたケーキを美味しそうに口に運んでいた。
 味の想像はつくだろうに、美味しそうに甘味を食べる店主の姿は少年を思わせる。
 その姿を見て、彼がケーキ屋をやっているのがなんとなく納得いった。

 それにしてもこの男、食べてばかりで何も質問してこない。

 警察の口の軽さに、もしかしたら僕に嫌疑がかけられているかと思っていたが、この様子を見るに本当にケーキを手土産に遊びにきただけなのだろうか。
 もしも警察から何か頼まれていたのなら、僕から証拠になる言質を引き出すはずだ。

 そういう素振りがないということは、僕が神経質になっているだけだったのか。

「――食べないのかい?」

 店主を観察していると、不意に言われて驚いた。

「さっきから珈琲ばかり、ケーキには一口も手をつけていないじゃないか」

 店主は僕の目の前にあるケーキをフォークで指さす。
 元々僕は甘いものはそこまで好きなほうではない。
 店主のように目の前にあるからと好んで食べるようなものではかった。
 それに店主が家に来た理由を考えるのに、そもそも目の前にケーキがあったことなんて忘れていた。

「思ったとおり、珈琲に凄く合うんだよ。ほら、食べてみてよ」

 目を輝かせて勧めてくる姿には悪気というものはなく、100パーセントの善意そのものといった感じだ。
 余程の自信作なのだろうか。

 ここまで勧められて食べないのも変に思われる……か。

「それじゃあ……」

 フォークを手に取ってケーキを切り分けると、クリームとスポンジの間から小さく刻まれたフルーツが見えた。
 なるほど。シンプルに見せて手が込んでいるわけか。

「美味しそうだろう?」
「そうですね……いただきます」

 フォークに乗せたケーキを口に含むと、複雑な甘味が口の中いっぱいに広がった。

 甘い。
 
 とにかく甘い。
 
 砂糖の分量を間違えたのかと思うくらいに甘い。

 そのうえフルーツの甘味や酸味が主張してきて、甘さで歯が溶けてしまいそうで、意識せずに顔をしかめてしまった。
 僕は咀嚼をそこそこに、珈琲を口に含んで一気にケーキを流し込む。

「どうだい。美味しいだろ?」
「そ、そうですね……僕には少し甘すぎるくらいですけど」
「そうかい? それぐらいが珈琲にも合うかと思ったんだけどね」

 とんでもない見当違いだ。

 珈琲で流し込んだというのに口の中には甘味がへばりつくように残っている。
 とてもその道の職人が作ったものとは思えない。
 はっきりと言えば、食えたものではなかった。

「さぁさぁ、どんどん食べてくれ」

 僕が気に入ったと思ったのか、それとも自信作を食べて欲しいのか。
 店主は目の前にある糖分を煮詰めたような物体を食べるように促す。
 急かすように催促する店主に僕は余計に嫌気がさしていた。
 どれだけ自信があったのかは知らないが、これ以上食べると甘さでひきつけを起こしてしまいそうだ。
 なんとか食べないで済むように、僕は困った顔をする。

「いえ……今は食欲がなくて……残りは後で食べさせてもらいます」

 僕がそう言うと、店主は心底残念そうな表情を見せた。

「……どうしても食べれないのかい?」
「えぇ、頭も回らないし、もしかしたら体調が悪いのかもしれません」

 いいタイミングだったので都合のいい風に言いわけをしてお引き取り願おうと立ち上がる。

 すると、立ち上がった矢先に足が唐突に揺れ始めた。

 すぐに立っていることが出来なくなって机に正面衝突するようにその場で崩れ落ちる。

「あ……あれ……」

 頭から机にぶつかってしまったが痛みはなかった。
 それよりも、体が言うことをきかない。
 立ち上がろうと手を地面に押し付けて身体を持ち上げようとしていたが、足どころか腕にも力が入らないのだ。

「最後の食事になるんだから、最後まで食べて欲しかったのだけどね」
「さい、ご……?」

 震える身体を必死に起き上がらせようとしながら、店主の方を見た。
 明らかに異常を抱える僕の姿を見ている店主は、驚きも戸惑いもせずに、いつものようにニコニコとした表情でこちらを見ていた。
 店主の言葉と言動に、僕はすぐさま察することができた。

「何か、仕込んだ、な……!」
「ご明察だよ慎一君」

 時間が経つにつれ、体の内側が焼けるように熱く――痛みを感じるほどになってきた。
 みるみる呼吸をするのも困難になっていき、その場に転がり込む。

 もはや、呼吸をするのに必死で、立ち上がるどころではなかった。

「な、なにを入れた……」

 酸素が足りないせいで、かすれた声で質問する。

「なんだと思う? 隠し味だ。当てることができたら凄いと褒めてあげるよ」

 こちらを嘲笑うかのように話す店主に飛び掛かってやりたい気持ちでいっぱいだった。
 だが……もう体は地面に釘で固定されてしまったように動くことはできない。

「か、がはっ!」

 口にこみあげてくるものを吐き出すと辺りが赤くなる。

 血だ。

 僕の口から血が飛び出てきたんだ。

「凄い効き目だな。仕方ない。その様子じゃ答えられそうにないから、教えてあげるよ」

 感心したような態度を取りながら、店主はソファから立ち上がってゆっくりとした歩調で僕の近くまでやってきた。

「ケーキに混ぜ込んだのはね、除草剤だ。それも危険性から販売が禁止された劇薬だよ――今の君を見ていると、禁止された理由が良くわかるね」
「……っ! …………っ!」

 劇薬――だと?

 そんなものを人に食わせたというのか?

 このサイコパスめ。いったい何を考えてそんなことをした。

 声を出そうとするが喉が腫れあがっているのか、息を吐きだすことすら困難になっていた。

「『どうやってそんなものを手に入れたか?』その辺りだろう聞きたいのは?」
「……っ!」

 それもあったがそれだけじゃない。
 なぜ僕にこんな劇薬を盛ったのか。
 通報がバレたとしてもここまでする理由になるとは思えない。
 僕には店主の考えていることに、僕を殺そうとする行動理由に全く見当がつかなかった。

「慎一君が雫さんを遺棄した納屋・・・・・・・・・あそこに使われなくなった大量の農具が置かれていたのは覚えているかい?」
「……がはっ!」

 口から血を溢れさせながら荷物で溢れていた納屋の光景を思い出す。
 荷物のほとんどがサビたり壊れてしまった鋤や鍬、そのなかに液剤が並んだ棚がいくつかあった気がする。
 だがそのすべては警察が押収したはずだ。

「呼吸が荒くなったね。もしかして、これだけの発言で色々理解したのかな? だとしたら本当に頭がいいんだね」

 こちらを見る店主は、再度感心したように目を丸くしていた。
 だが、それで終わりだ。
 依然として、戸惑う様子も、助けを呼ぶ様子もない。
 つまり、ケーキに劇薬を混ぜ込んだのは、僕に対する明確な殺意があったからこそなのだ。

 いつまでかわからないが店主は警察と共にいた。
 取り調べを受けていたということは交番などではなく警察署だろう。

 となれば証拠品、もしくは押収品を保管している部屋があるはずだ。
 聞いているだけでも嵐山たち刑事は店主に対してそこまで関心がないはずだ。
 なにせ警察からすれば店主は実害のないただの不審人物、調書を取って事件を終わらせてしまい、すぐ解放するつもりだったんだろう。
 トイレなりなんなり、多少自由に動き回ったところで気にもとめなかったに違いない。
 その隙をみて保管室から劇薬を奪ってきたということだろうか。

 いや、細かい経緯はどうでもいい、それより大事な疑問が残っている。
 どうしてその劇薬を、僕に使おうと思ったかだ。
 理由はわかる。さっき店主は、僕が姉を殺したのを知っているような言動をしていた。つまり理由は復讐というあたりだ。
 しかし、納屋に忍び込んでおかしくなっていた店主にはそんな素振りはなかった。夜の納屋に二人きり、僕が姉を殺したことを知っていたならあの時点で僕は殺されているはずだ。

 なぜ今このタイミングなのか、だがそれもすぐにわかった。

「さぁ、言われた通りにしましたよ。雫さん。これで僕の求婚プロポーズを受けてくれるんですよね!」

 何処ともなく店主が声を荒げて叫ぶ。
 その様子を見て僕はすぐさま理解した。


 姉は、雫は成仏なんてしていなかったのだ。


 すべてを思い出した姉は、消えてしまったのではなく、ただ移動して僕の近くにいなかっただけのことだったのだ。
 そして姉は、人を利用して僕に突き刺す刃を持って帰ってきた。


 自分の復讐を果たすために――僕を殺すために。


「がぼっ! ぐっ……!」

 呼吸をすることができなくて意識が朦朧として思考がまとまらない。
 するととつぜん口の中に何かを押し込まれる感覚がして朧げな意識が覚醒した。

「食べた分だけでも時期に死んでしまうだろうけど、どうせなら全部食べて逝きなさい。わざわざ僕が、頑張って作ったのだから」

 血の味をかき消すような甘味が口の中に塗りたくられる。
 体はとうに反応を示さずに、人形のようになっていた僕は満足に抵抗すらできなかった。
 今にして思えば、味覚が壊れるかのような甘味も、異常を感じて吐き出させないためだったのかと今さらにして気付く。

 口の中は毒入りケーキでいっぱいになり、それをさらに喉奥まで押し込まれた。
 食道まで流れ込んだ異物に、体が反応して喉を収縮させる。
 口の中に入り込んだケーキは食道を通って胃の中に放り込まれていった。
 それからすぐに、燃え上がるような熱さが体内に広がっていく。

「……! …………!!」

 もはや声をだすことも、息をすることも出来ない。
 ただ体内から焼かれていく感覚に身体が勝手に転げまわり、噴水の吹き出し口のように吐血する。

 考えるまでもなくわかる――僕はもう数分も経てばこの世にいなくなる。

 ついさっきまで輝かしい将来のことを考えていたはずなのに、すぐさまこんなことになってしまうだなんて。
 いったい、どれだけ強力な劇薬を飲まされたことなのやら。
 死を確信したからか、惚ける意識とは別に、思考は冷静なものだった。

 仰向けになり天井を見ると、ぼやけた視界が広がる。
 僕を見下ろす店主の顔がそこにあるはずなのだが、もうまともに確認することはできなくなっていた。
 なのに、それなのに。

 ――姉ちゃん……。

 今まで見えていなかった、姉の顔がはっきりと視界に映る。
 もう僕は、半分死んでしまっているようなものだからだろうか。

 店主の後ろに隠れるようにこちらを見る姉の顔。
 それは、今まで一度だって見た事のない、怒りに満ちた表情、だった――。
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