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「家に一人にしていると家具を滅茶苦茶にするときがあった。もちろん一度や二度じゃない。そのたびに爺ちゃん連中が学校に電話して、僕は帰らないといけなかったんだ。そんな生活が何日も続けば、当然先生から相談を持ち掛けられる。そして話し合いの結果、休校扱いという実質退学みたいな目にあったのさ」
「でもそれは……雫ちゃんだって大変、だから……」
「そんなこと僕は知らない。自分の身は自分で守るのが生き物の摂理だ。姉ちゃんは僕に甘えずに自分で自分を管理しないといけなかったんだ。だから姉に寄生されて人生を壊されそうになっていた僕自身を守るために殺されてしまった。ただそれだけの話だよ」

 抵抗を続ける琉姫の横顔が微かに見える。
 絶望、困惑、そういう類を思わせる驚きの表情だった。
 僕にはその顔が理解できなくて、強くひっかかりを覚える。
 弱肉強食は生物の常のはずなのに、僕は何かおかしなことを言っているだろうか?

「そんなの、おかしいよ……」

 僕の疑問に答えるように、琉姫は言った。

「何がおかしいのか理解できない。ライオンだってハーレムを支えるオスが殺されたら育てている子供を全て喰い殺して新しいオスに遵守する。草食動物だって群れが危険に犯されたら一番役に立たない個体が撒き餌になって足止めする。足を引っ張るしかできないなら淘汰されるのは当然のことじゃないか」
「それは動物の話でしょう……? 少なくとも人間は、人間はそんな風に出来ていない。慎ちゃんはそんなことが出来る人間じゃないはずだよ……っ」

 琉姫の瞳は潤んでいた。
 狼狽していた表情は悲しいものに変わっていて、僕が身体を押した拍子に涙が頬に伝い落ちていく。

「琉姫姉ちゃんが僕をどう評価するのかは自由だけど、生憎僕はそういう性分ではないんだ」
「あっ!」

 一瞬。ほんの一瞬だけ背中を押す力を抜くと、琉姫の身体は勢いよく後ろに倒れこもうとした。
 琉姫は咄嗟に足を後ろに伸ばして転ばないように重心を前に傾ける。
 本人が意識して行ったわけではない。身体が持つ反射反応だ。

 僕はその一瞬を見計らい、琉姫の身体を前に押し込んだ。
 抵抗されていた時と違い、紙に息を吹きかけた時のように簡単に琉姫の身体は前に走っていき、門を通り越す。
 彼女の身体はそこで止まらず、そのまま崖に向かって突き進んでいった。

「やっ、あああああぁぁぁぁぁぁ――」

 琉姫の断末魔はものすごい速さで遠くなっていく。
 もしかしたら、門と通り抜けた時に何か起こる可能性も考えていたが、何のことはない。結局押し出された琉姫は何の奇跡も起きずに崖下に転落していった。

 門を通り過ぎて琉姫が落ちて言った崖を覗きこむ。
 中腹に位置することもあり、そこまで深いわけではないが、生い茂る木々に邪魔されて琉姫の姿は見えなかった。

 ……まぁいい。
 ここに入ってくる人間は殆どいない。
 仮に生きていたとしてもどこかを痛めているはずだ。その状態で森の中から出てくるなんて不可能だろう。

 琉姫は死んだものと仮定して、僕は門から離れて広場に移動する。
 それから周辺を歩きまわり、目撃者がいないかを確認してまわった。
 さっき琉姫は茂みの中に隠れるように座り込んでいた。一度それを見たからには観察は念入りに行わなければならない。一度あることは二度、三度あると言うからね。

 時間をかけて周辺を歩き回り、誰もいないと確認してから僕は一仕事を終えた満足感と共に息を漏らした。
 視界の隅に鈴が落ちていることに気付いた僕は、手に取って辺りをうかがう。

「さて、そういうことなんだけど。犯人が知れて満足かい? 姉ちゃん」

 呼びかけてみるが鈴の返事がない。
 さては驚きのあまりに声を失っているのだろうか。
 いや、声は元々ないんだったか。
 姉の反応が楽しみで、僕は何か返事があるまでその場で待つことにした。

 しかし、記憶を失くしていた姉は、まさか僕が自分を殺した人間だと夢にも思わなかっただろう。
 本当はそのまま、僕が犯人だという記憶を思い出さないでいてもらったまま、別の人間を犯人に仕立てあげて僕の近くから消えてもらうつもりだった。
 そのためにどうやって偽装をしようか考えていた時に、タイミングよく琉姫が帰ってきてくれた。
 だから僕は、再び琉姫を利用することを考えた。

 実は元々、姉が殺人と証明された際には琉姫をスケープゴートにしてやろうと画策していた。
 なぜなら姉の死因が殺人の場合、真っ先に疑われるのは僕だと思ったからだ。

 姉は引きこもりで人との交流が極端に少ない。唯一接点があるのはケーキ屋の店主。家族である僕。そしてただ一人の友達、琉姫だけだった。

 だけど二人に殺害の理由もなければ、僕と比べて接点は少ない。
 おまけに僕の環境を警察が知れば、怨恨の殺害と考えが至るかもしれないと思った。
 だから僕は不服や憎悪を腹に抑え込んで、ずっと姉の面倒を見ていた。

 面倒見のいい弟。という体があれば姉を殺害したとしても容疑者の枠から外れやすくなると考えていた。だがそのためには相当時間をかけて姉の面倒を見なければいけなかった。
 そんな毎日はとても苦痛で、将来の選択肢を削る必要もあった。おまけに姉と関わるほど、僕の憎悪は日に日に大きくなっていく。

僕は、ついに耐えられないところまでやってきていた。

 そんなタイミングで、姉の癇癪を収めるために夜の買い物に出かけた時、琉姫を見かけた。といっても琉姫だと気付いたのは暫くしてからだった。
 琉姫は黒いパーカーに身を包んで顔を隠すようにしっかりとフードを被っていた。普段のゴシック調の格好と比べてとても地味な様相で、この時点では僕は琉姫とは気が付けずに泥棒かなにかと思っていた。

 琉姫は海側の繁華街に向かって歩いていた。
 僕も買い物があったので同じ道のりだったのだが、不気味な風貌に気圧されて距離を取って歩いていた。
 やっとパーカーを羽織った人物の正体が琉姫だと気付いたのは、ケーキ屋が見えてきた辺りだった。

 繁華街と過疎地の中間にあるこの地点は大きな道路が敷設されていたこともあり、街灯が多く夜でもしっかりと明るい。
 その明かりに照らされて琉姫のトレードマークである頭の左右で括られたツインテールの先端がフードから飛び出て揺れているのが見えたのだ。
 ゴツ、ゴツ、とかかとを鳴らす靴もトレッキングシューズかと思っていたが、ただの厚底のブーツだったことがわかって、顔がはっきり見えなくても、パーカーを着込んでいるのは琉姫だと断定した。
 この辺りでそんな恰好をしているのは彼女だけだったから間違えようがない。

だが一つ疑問が残る。

どうして彼女は姿を隠すような恰好をしているのだろうか。
 普段の服装は可愛いから着ているのだといっていた、しかしプリントもされてない真っ黒なパーカーはとても可愛いものに見えない。
 それは周りに白い目で見られてまで拘っている彼女の主義に反するはずだが……些細なことだったが、僕が知っている琉姫とは違う行動が、気になって仕方なかった。

 好奇心に負けた僕は、買い物をそっちのけで琉姫を尾行していた。
 繁華街に入っていくと、琉姫は流れるように駅に向かう。そのまま改札を通るかと思ったら、手前にあるコインロッカーの前で立ち止まる。

 用事などで遠くに出かける際、僕も同じコインロッカーを使用したことがあるので知っているが、百円を投入すると鍵が開き、ロッカーの一つを利用できるタイプだ。使い終わった時には鍵を戻せば投入した百円が返ってくるという便利なものだった。
 そのロッカーの前で琉姫はパーカーを脱ぎ始める。
 駅前という往来で何をしているのだと咄嗟に顔を塞ぎたくなったが、下にはいつも通りのゴシック調の服を着こんでいた。想像した通りやはり中身は琉姫だったのだ。

 琉姫は脱いだパーカーをロッカーに詰め込むといつも通りの様子で駅の中に入っていく。
 流石に駅の中まで追いかけるわけにはいかず、その様子を見送ってから僕も買い物に戻った。

 買い物を終わらせて帰る途中。僕はずっと、琉姫がどうしてあんな恰好をしていたのか考えていた。
 普通を好む僕から見れば、傾奇者の如く流行の服装を好む彼女が、黒一色のパーカーに顔まで隠していたのがどうしても納得できなかった。

 理由を考えていると。ふと、琉姫が僕たちの町でどういう風に見られているのかを思い出した。
 年齢の近い連中からは『遊び人』と言われ、夜な夜な男遊びに興じていると噂されて、老人たちには舞台衣装を普段着のように着込んだ少し変な人だと一歩距離を置かれている。

 まぁ、男遊びはあながち間違いではないのだろうが。

 とにかく琉姫への視線というものは好奇の目がほとんどだった。
 琉姫本人はそれに対して別段何かを言ったことはないのだが、毎日そういう目で見られていたら精神も擦り減っていくのだろう。
 そこまで考えて、僕はハッとした。

 もしかしたら、あの姿は町の人間に気付かれないための変装のようなものではないだろうか?

 さっきも見た通り、琉姫は普段着の上からパーカーを着込んでいた。そのせいで着膨れしてしまって見た目では女性とは気づきにくい。
 おまけに見た目のギャップもある。実際に僕は琉姫がパーカーを脱ぐまで彼女本人だと確信を持てなかった。

 やはり琉姫は、言葉にしていないだけで周りの視線や言動を気にしていたのかもしれない。
 だから町を出る時に変装して、少しでも誤解を与えないように配慮しているのかも。

 普段は明るく振舞っているから気にしていないと思っていたのだけど……誰にでも暗い部分はあるものなんだな。

 歩くたびにガサガサと音が鳴るビニール袋の音を聞きながら、どこか達観した感覚でそう思った。
 住宅地を抜けて山側の区画に入る。家までもう少しのところでふと、納屋が目に入った。
 新しいプレハブ小屋を建てて使われなくなった木材とトタンで作られた質素な納屋。
 広い畑のすぐ横に作られた納屋は風化した姿を街灯に照らされて寂しげだった。

 なんとなく、本当になんとなく僕は納屋に歩いて行った。
 近くで見ると防水処理はすっかりはげ落ちてしまったのか、ところどころ黒く変色して隙間も空いている。いつ倒壊してしまってもおかしくない状態に見えた。

 人が寄り付かないのも納得だ。

 そう思った時、僕の中で何かが弾けた。

 一見で判別できない琉姫の変装。
 誰も使っていない納屋。
 人気の少なさ、そして家に帰るために通る道。

 体の端まで震えが走った。
 振動はビニール袋まで伝わり、ガサリと音を立てた袋に僕は視線を向けて考えた。

 そもそも僕はどうしてここにいるんだ。

 本当なら家でゆっくりして、学校の宿題をこなしたり好きな珈琲の香りを楽しんだりできたはずだ。
 それなのに、今の僕はいつ社会に戻れるかわからない姉の介護で自分のことは何もできちゃいない。
 それどころか学校まで休学してしまって、今は残された貯蓄を喰い漁るだけの日々。こんな生活を続けていれば、何か大事があった時に対処できるのか?

 いや、出来るわけがない!

 心の中で誰かに怒鳴りつけられたような感覚がした。
 それに賛同するように、僕はその通りだと強く納得する。
 もし何かしらの事故が起きて入院することになれば莫大な費用が必要になる。
 僕たちの家だって築年数で見たらかなり古い。部分的に壊れるところもあるだろうし、ガタがきて新しい家を探さなければいけなくなる可能性だってある。

 そうなった時、収入のない僕は生きていけるのだろうか。

 足元が無くなったような浮遊感のような、不安感のようなものが体の内側から広がってきていた。
 さっきまでと何も変わっていないはずなのに、早くなんとかしないといけないという使命感と焦燥感で呼吸が荒くなる。
 自分でもわかるくらいの異常反応に狼狽しながら、僕はひとつの結論に達していた。

 姉を、消さないといけない。

 そうすることで僕は普通の生活に戻ることができる。
 そうすることで僕は安心することができる。
 そうすることで自分の身が守れると、僕はそう確信をした。
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