姉が殺されたと言い出しまして

FEEL

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 これ以上眺めていても意味がない。
 動くべき時に動かなければ状況は悪化するばかりだ。
 深呼吸を何度かしてから、僕は覚悟を決めて納屋の扉を開けた。

「えっ!?」

 納屋の扉が開かれて、最初に声を上げたのは倒れていた男性だった。
 うつぶせの状態からこちらに振り返り、おどろいた表情をみせていた。

「慎一……君?」

 名前を呼ばれて僕は身構える。
 男の顔をよくよく見てみると、見覚えのある顔をしていた。

「あんたは……ケーキ屋さんの……?」

 髪の毛を下ろしてひげが少し伸び始めた男性の顔はケーキ屋の店主に間違いなかった。
 髪をセットして身綺麗な格好をしている普段とギャップが酷くて気付くのが遅れた。
 おまけに、扉から覗いている状態では気付かなかったが、男性はシャツを脱ぎ捨てて上半身を露わにしていた。
 とても繊細で綺麗なケーキを作っている人物と同一人物とは思えない姿に、僕は言葉を失くしていた。

「なんでこんなところに……いやまて、違うんだ……」

 狼狽しながら男性は立ち上がった。
 僕は身構えたまま距離を取る。

「それはこっちの質問ですよ、こんなところで何をしていたんですか……?」
「それは……」

 男性は顔を逸らして言葉を詰まらせる。

「ここで何があったのか、知ってるんですか?」

 質問を投げかけると、男性はしばらく黙ってから観念した様子で頷いた。

「……知ってるよ。雫ちゃんが死んだ場所だろう?」
「知っているなら、なんで……」

 こんなところに出向いて寝転がっていたのか。
 最後まで言わずに僕は言葉を止める。
 男性の行動。その意図がわからずにどう質問したものかわからなかったのだ。

「……好きだったんだ。ずっと、雫さんのことが」
「…………え?」

 どう問いただしたものか悩んでいると、男性が唐突にそう言った。
 呟くような小さな言葉だったし、考え事をしていたのもあって聞き間違いだと思って疑問の息を漏らす。

「好きだったんだよ! 君の、姉を!」

 聞こえていないと思われたのか、今度は大音量で男性は言う。
 なんとか理解しようとしていた男性の心理がいっそうわからなくなって、僕は思わず思考を放棄しかけてしまった。

「そ、そうだったんですか」
「だけど、彼女は死んでしまった……僕は想いを伝えられないまま、今も燻る気持ちに絆されているんだ……!」

 とりあえず頷いてみたが、男性はこちらのことなど気にしていないようで話を続けてきた。

「こんなことになるならもっと早くに告白しておけばよかった。彼女の苦しみに気付いてあげていれば……こんな悲惨な結果にならなかったはずなのに……!」

 姉が何かに苦しんでいたていで語っているが、姉のそんな姿を僕は見た事はない。
 男性は興奮しているのか役者のような熱量で話をする。
 大きく膨らんだ大胸筋を引き締めて、一度広げた腕を抱擁するように折りたたんでいた。
 顔が整っているだけに、言動と行動がより酷く感じる。
 僕が姉だったとしたら、こんな人物に愛を囁かれたら昏倒してしまうだろう。

「姉ちゃんへの気持ちはわかりました……痛いほどに…………。それで、どうしてここに?」
「わかっていないじゃないかっ!」

 何をわかっていないのか、僕にはわかっていないが、なんだか怒鳴りつけられてしまった。
 理不尽な気がするが、反論したらパンプアップして幹のように膨らんだ男性の腕が、僕の顔面に飛んできそうな気がしたので「すいません」と頭を下げる。
 こういう手合いは刺激すれば自分の身が危ない。

「それで、どうしてここにいるのか。もう少しわかりやすく教えてくれませんか?」
「逢引きさ」
「……はぁ……?」

 やはり何を言っているのか、僕には理解できない。

「雫さんはここで死んでしまった……だが肉体には魂が宿るものだ。彼女の魂はまだここに残り続けている。生前に想いを伝えられなかったのは残念だが、魂だけになった雫さんは僕を受け入れて付き合いしているんだ」
「……そうなの?」

 チリン。

 綺麗な鈴の音が一度だけ鳴った。

「慎一君にも折をみて話そうと思っていたんだが、きっとびっくりすると思って言い出せなかったんだ。ほら……僕たちは普通の付き合い方ではないから、ね……」

 申し訳なさそうに男性は話す。
 彼の心配していた通り、僕はとてもびっくりしていた。
 人付き合いの少ない姉が死んでしまったことで、こんなに人生を狂わせた人間がいるだなんて思いもしなかった。
 僕に憑りついている姉の魂とやらと付き合っていると妄想している彼が半裸で倒れこんで何をしていたのかと想像するのは厳しく、人を想うあまりにここまでおかしくなれるものかと感心してしまった。

「そうですか……お気遣いありがとうございます」

 僕は淡々とそう言って頭を下げた。
 とっくに許容量を超えた情報量に僕の思考は一種の解離症状を引き起こしていて、心にもない言葉がスッと出てくる。

「将来の義弟なんだ。気を遣うのは当然じゃないか」

 どうやら僕は未来で義兄ができるらしい。
 義兄になる予定の男性の名前すら知らないが、そこに反応することなく愛想笑いを返して扉に近づく。

 バカになる。

 これ以上この空間にいるとバカになってしまう。

「邪魔をしてすいませんでした。それじゃあ、お幸せに」
「すまないね。今度いっしょにキャッチボールでもしようじゃないか」

 元気よく話す男性に僕は相槌を返して納屋から出ていく。
 人に見られたことで隠れる気がなくなったのか、僕が離れてからも男性は元気のいい声で独り言を話していた。
 下手に刺激しないように声が聞こえない場所までゆっくりと距離を取ってから、僕は疲労感に任せてガクリと肩を下げた。

「疲れた……」

 姉の相手をしていた時でもここまで疲れたことは稀だった。
 まさかずっと通っていた店の主人のあんな姿を見ることになるなんて……。
 この土地には特殊な人間があまりに多すぎる。
 これからどうやってあの店の前を通ればいいのだ。

「あっ……」

 店の外観を思い出して僕はある考えが頭によぎる。
 姉はあそこのケーキを何回も買いにいっていた。
 店主が姉に好意を持ったのはその間のどこかのタイミングだろう。
 それがいつかはわからないが、店主が恋心を寄せてからのケーキは本当にちゃんとしたケーキだったのだろうか。
 なにせあそこまで偏った思考を持てる人物だ。
 何か混入していたとしても不思議はない。

「姉ちゃん。あそこのケーキってさ――」

 ジリリリリリリリッ!

 言いかけたタイミングで鈴が勢いよく鳴った。
 言葉を遮るように鳴る鈴音から、姉も似たようなことを考えているのだと思った。

「…………冷蔵庫のケーキさ。とりあえず捨てようか」

 チリン。
 チリン。

 姿は見えないが、鈴を鳴らしながら頷く姉の姿がイメージできる。
 僕は電話を取り出して『110』とダイヤルする。

『――はい。事件ですか? 事故ですか?』
「あ、不審者を見かけて怖くて……はい。はい。場所は――」

 できるだけ詳細に納屋での出来事を説明しながら、僕は帰路に就いた。
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