隣の家のありす

FEEL

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「うーさん、プールのお仕事いかなくていいの?」
「あぁ、あれもう辞めた」

 俺の家のリビングで我が家のようにくつろぐありすに言った。
 一日だけならまだしも、何日も炎天下の中座っているという作業は、室内で黙々と机に向き合っている俺には絶望的に合っていなかった。それに踏まえて遊びに来る客たちには人命救助をしたことで称賛されてしまい、結果、ちょっとした名物おじさんになってしまっていた。
 日陰者である俺にそういう扱いはきつい、とてもきつい。愛想良くしようと変に笑顔を作ってたものだから、未だに表情筋が筋肉痛だし。そういう訳で色々限界が来た俺は惜しまれつつも丁重に辞退の電話を入れて監視員を引退した。

「やっぱ俺は、これが一番性に合ってるわ」

 原稿用紙にペンを走らせながら言う。生活費に余裕が出たからエアコンを復活させたら筆が進む進む。現代の利器最高だな。

「えー。プールでお仕事してるうーさん、かっこよかったのにっ。ね、愛ちゃん!」
「う、うん。凄く格好よかった……です」

 控えめながらに愛ちゃんは同意していた。でも君、俺見て悲鳴上げてたよね?

「体を張って人助けをしたのに得意げにならない献身さ、一つの事に夢中に取り込む真面目さ!……ちょっと書いてるお話? は良くわからないけど、それも大人って感じがして素敵だと思います」

 言葉に引っ掛かって振り向くと、こちらを見つめる愛ちゃんと目が合った。頬を上気させて濡らした瞳を向ける少女はどことなく苦し気で、俺はリモコンを取って冷房を一度だけ下げてあげた。

「それにしても、仲良いなお前ら」

 何気なく言うと、目を輝かせてありすが頷く。

「愛ちゃんは親友っ!」
「親友だよね」

 手を合わせて『ねー♪』とユニゾンする姿はなんとも微笑ましい。しかし、あれだけコミュニケーションを取ることに抵抗を感じていたありすが、どうしてこんなに打ち解けたのか少し気になって質問した。

「なんでそんな急に仲良しになったんだ?」
「愛ちゃんはね、おんなじなの」
「同じ?」
「うんっ」

 ありすは大きく頭を振った。何が同じなの? 知能指数……は違うな。

「私の家はお父さんしかいないんです。その話をしたらありすちゃんもお母さんしかいないって話をしてくれて、そこから凄く仲良くしてくれたんですよ」
「あー、成程」

 合点がいった。つまりありすは同じ境遇の子だったから、周りの目を気にする事無く仲良くなれた訳か。

「ねー、愛ちゃん。お父さんってどんな人なの?」
「えーとねー。優しいんだけどね、暗いの、いっつも疲れた顔してる。後臭い、凄く臭いの」
「おー、臭いんだ」
「うん、臭い」

 父親を言葉の刃でめった刺ししている子供たちは楽しそうだ。……そんなに臭いんだ。
 話し相手を見つけたありすは嬉しそうで、それは大変喜ばしいことなんだが、この出会いはあくまでイレギュラー。降って湧いてきた幸運のようなものだ。休みが明けて学校が始まれば、ありすは孤立したままなんだろう。
 その状況を改善するにはもっと根本的な部分をなんとかしなければならない。ありすという人間を理解してもらい、周りから彼女に関心を抱く、そんな解決方法が。

(ま、俺が考える事でもないか)

 そこまで考えてから、思考を止める。俺はありすの保護者ではない。そういう繊細な問題は当人たちが解決していくべきだと思った。変に口を出して事態がややこしくなっても困るし。
 それに、何だかんだ言ってもありすはこうして友達を作っている。放っておいても、その内自然と解決していくのだろう。
 二人のやりとりを尻目に、執筆を再開して暫くすると、再びチャイムが鳴った。

「はいはい、どなたー?」

 扉を開けると目の前には巨大な膨らみ――改め大喜が立っていた。

「こんにちは、こないだ借りた小説を返しに来ました」
「あー、どうもご丁寧に」

 綺麗なままの封筒を受け取った俺は軽く返事をした。封筒の状態から察するに、どうやら対して読まれてはいないようだ。ま、いいけどね。

「……誰か来てるんですか?」
「あぁ、ありすと友達ですよ。もうすっかりたまり場になっちゃってて」
「友達、ですか?」
「えぇ、ありすと正反対で大人しい、お人形みたいな子ですよ」

 覗き込む大喜に説明すると、「そうなんですか」と答えながら部屋の中に入ろうとしてきた。

「ちょっとちょっと⁉」
「どうかしましたか?」
「こっちの台詞です、何当たり前のように入ろうとしてるんですか!」
「だって、従順なお人形を手に入れたっていうから、確認しないといけないじゃないですか」
「そんなこと一言も言ってないんだけど⁉」

 この人翻訳機能どうなってんの?
 制止しようとするが、大喜はお構いなしに部屋に入ると、リビングへと一直線に移動した。

「……どうも」

 感情のない声で大喜が挨拶すると、部屋の空気が重たくなった感じがした。愛ちゃんを見つけた大喜は視線をそのままに挨拶を続ける。

「兎山さんと懇意にしている大喜と言います、よろしくね」
「……あ、よろしくお願いしますお姉さん・・・・

 にこりと笑ったままの愛ちゃんは表情を崩さず丁寧に挨拶を返した。なぜだか空気は重たくなるばかりだ。

「ね、ありすちゃん。このお姉さんって兎山さんと仲いいの?」
「知らない!」
「懇意にしているって伝えたはずですけど? あ、子供だからわからなかったかな? な・か・よ・しって意味よ」
「へぇ、仲良し。つまり彼女ではないんですね、理解しました」
「……減らず口をっ!」

 楽しそうに会話している姿を尻目に机に戻る。大喜さん、子供好きなんだなぁ。
貰った封筒から小説を取り出してぱらぱらと原稿をめくる。皺もへたれも増えてない、渡した時と同じ状況のようだった。言葉には出さないけれど、これは結構来るものがある。

「大喜さん、小説どうでした?」
「――え、面白かった……と思います」

 辛抱堪らず感想を聞いてみると、顎に指を当てて少し悩んでからそう言った。曖昧な意見だ。良くはない、かといって悪くもない。判断に困るといった類の答えに、「そうですか」と返事をしてから再び原稿にペンを走らせる。書きあがっていく文字を眺めながら、名出川なでかわに言われた言葉を思い出していた。
『わからない』。自分の小説は他のと比べて酷く難解であるとは自覚している。それが原因で読むことを諦める人が多いということも。
 どれだけ文字をしたためても、理解されなければ意味はない。元より物語というのは人に伝え聞かせるために生まれたものなのだから、時代や流行、文化に合わせて変化するのが自然な姿なのだと思う。だが、それだと個性はどうなる。
 どれだけ難解な文章でも、ことわりから外れていたとしても、個性は創作の原動力だ。流行に囚われ個性を抑えるのならば物語を書き出す意味がなくなる。

――しかし、理解されない物語に意味はあるのか?

 走らせていたペンを止める。反して頭の中では解決しない疑問が延々と頭の中で回り続けていた。迷走の中、明確にわかっているのは、頭の中で燻り続けるこの疑問が解決しない限り俺に変化は訪れないという事だけだ。
 集中が抜けると、部屋の中が静かになっている事に気付いた俺は、少女たちに視線を移す。いつのまにか、彼女たちは眠っていて、子供を見守る母親のように、大喜さんは静かに座って子供たちを見ていた。

「どうしました?」

 視線に気づいた大喜さんが首を傾げる。

「あ、いや。なんか静かだなって思って」
「さっきまではしゃいでいたんですけどね、急に眠そうにしたと思ったらすぐに寝ちゃって。子供って自由ですよね」
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