隣の家のありす

FEEL

文字の大きさ
上 下
9 / 27

4-2

しおりを挟む
「お、おいっ。ありす待て!」
「大丈夫、水をこくふくしたありすはむてきっ!」
「いや、泳ぎ方わかんないだろお前!」

 言うと同時に、水に顔をつけたありすは暫くその場で立ち止まっていたと思ったら、ぷかり……と水死体のように浮かび上がって来た。何してんのお前。
 そうしている間に少女は、水に飲み込まれるように姿を消してしまった。

「くそっ!」

 周りの人間が立ち尽くす中、俺はプールに飛び込んだ。水中に潜って少女の近くまで行くと、ぐったりとした状態で底に沈んでいた。急いで彼女を救い上げてから、ついでにありすも回収してプールサイドに戻ってきたが、少女は目を覚まさない。

「やばい……この子、息してないぞ」

 口元に耳を近づけてみるが呼吸音はしない。最悪の展開を想像して寒気が走った。どうしよう、どうする……。

「水を飲んでるんだっ! 心臓マッサージ!」

 狼狽していると、吉田の叫ぶ声が聞こえて我に返った。少女の胸に手を当てて、心肺蘇生の手順を思い出しながら腕に体重をかける。一回――二回――三回――四回――規則正しいリズムで圧を掛けて、再度少女の口元に耳を当てるが呼吸は戻ってこない。

『おい……やばいんじゃないか』
『救急車呼んだ方がいいんじゃない?』

 野次馬がどよめき始めて不穏な言葉が聞こえ始めてきた。心配する声につられて焦りが出てくる。このままじゃ手遅れになる。

「やるしかないか……」

 人工呼吸マウストゥマウス。呼吸が停止した際、人為的に呼吸を送り込むことで呼吸運動を復活させる方法だ。相手が少女ということもあり抵抗感がとても強いが、この状況だと四の五の言ってられない!
 覚悟を決めた俺は息を大きく吸い込んでから、少女の口にゆっくりと顔を近づける。

「――ゲホッ、ゲホッ、コホッ」
「ぶわっ!」

 唇まであと数センチという距離で、少女がむせ返して水を吐き出す。勿論俺の顔面にダイレクトに直撃して顔がぐしゃぐしゃになった。そのまま意識を取り戻した少女はゆっくりと目を開けて、至近距離にいた俺と目が合う。

「……え?」

 朦朧としていた少女は、声を漏らすと同時に目を見開いて固まってしまった。うん、そうなるよね。俺が逆の立場で目を覚ましても絶対そうなるもん。せめて怪しい人間じゃないと思わせないと。

「や、やぁ」

 慣れない笑顔を作って気さくに挨拶をする。顔にかかった水が少女の顔にぽたぽたと落ちると、少女は目を細めてから、鼻をしかめる。

「いやああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 直後。空気が揺れる程の大音量で少女の叫び声が聞こえた後、少女の平手打ちが頬に飛んできて俺はぶっ倒れた。



「あ、あの、あのあの、だ、大丈夫ですか」
「ウン、ダイジョウブ。ゼンゼンイタクナイヨ」

 起きがけに汚物を見たような顔をして絶叫した少女は、酷く申し訳なさそうに頭を下げていた。叩かれた左頬はとても熱く、喋ると上手く口が開かなくて変な口調になってしまう。でも本当に痛くないんだな。なんでかな。心の方が痛いからかな。

「そんなに気にしなくていいぞ嬢ちゃん。こいつロリコンだから、女の子に叩かれて喜ぶ体質だから」

 謂れのない付加価値を付けられて傷ついていた心が更にぼろぼろになっていくのを感じる。というか誤解されちゃうから本当にやめてください? ほら、気持ち悪そうな顔して距離空けてるし。

「それにしても危なかったな。嬢ちゃん、一人で来たのかい?」
「あ……はい。家が近くだからよく一人で来るんです」

 大家の言葉に、少女は長い髪を揺らして頷いた。身長はありすと比べて少し大きいくらいで、見た目の割に大人びた口調だ。それにしても、一人だったからああなるまで発見が遅れた訳か。

「泳いでたら急に足がピンて伸びて動かなくなっちゃって、痛いし、動いてくれないし、どうしたらいいのかわからなくなっちゃって……本当に、助けてくれてありがとうございました」

 少女は大きく頭を下げて感謝を述べた。

「いいよ気にしないで、何事もなくてよかった」

 頭を下げる彼女に、俺はぶっきらぼうに答えた。感謝されるのは悪い気はしないが、助けたのは仕事としてその場にいたからというのが大きい。もし客として同じ状況に出くわしたら周りと同じように様子見していたかも知れない。そう考えると得意げになることは出来なかった。

「で、お前はさっきから何してんの?」

 俺の背中に隠れるありすに声を掛けると、叱られた猫のように体を跳ねさせてからそっと顔を出した、かと思えばすぐに顔を引っ込めてまた背中に隠れる。
 褒められるとしたら俺じゃなくてありすだ。こいつは目の前で少女が溺れていた時、誰よりも、俺よりも早くに助けに向かった。自身が泳げない事も忘れてだ。大人が委縮して立ちすくむ中、自分から率先して動くなんて中々出来ることじゃない。俺は素直に、ありすの行動を称賛していた。結果だけ見れば二次災害だったけど。
 しかし、栄誉ある行動をしたありすは悪いことをしたように怯えて背中に隠れたままだ。その様子に少女もいったいどうしたのかと首を傾げている。

「おーい、ありすさんやい。どうしたんだい」
「ありすのことはお気になさらず……後は当人どうしで」
「意味わかって言ってる?」

 背中に隠れたまま言ったありすは少女と目も合わせようともしない。いつもと違う消極的な態度に俺はぴんときて、ありすにだけ聞こえるように顔を近づけて言う。

「お前、もしかして話しちゃいけないとか思ってる?」
「……」

 ありすは黙ったまま、顔を下に向けた。やっぱりそうか、少女の容姿はありすと近い。恐らく片親云々の事が引っ掛かっていて話すことに抵抗があるのだ。しかし、怯えるように隠れてしまうなんて……この件は俺が思っているよりも相当根深い問題らしい。

「あの……どうかしたんですか?」

 おずおずと少女が話しかけてくる。少女の接近に気付いたありすはちらちら少女を覗きながら、どうしたらいいのかわからない様子でこちらを見ていた。

「いや、何でもないよ。それより、お礼を言うならこいつに言ってやってくれ。誰よりも早く助けにいったのはこの子なんだ、いた、いたたたたた」

 ありすを指差しながら伝えていると、背中に爪を突き立てられた。痛い、めっちゃ痛い。

「ありすは浮いてただけだから、何もしてないから」
「謙遜するなよ。結果はどうあれ最初に動いたってことが大事なんだ。お前が動いてくれたから、俺もすぐ反応出来たようなものだし、もっと誇ってもいいんだぞ。後いい加減爪を突き立てるのを止めろ」

 そう伝えても、ありすはてこでも動かない。すると、少女がありすに近づいた。

「あの……お名前はなんていうの?」
「……ありす」
「ありすちゃん、私はまなっていうの。助けようとしてくれてありがとう」
「……うす」

 躊躇いがちに頷くありすを見て、愛はにっこりと笑う。子供特有の、何も含みがない純粋な笑顔だった。それから少しの間、ありすと愛ちゃんは話をしていた。愛ちゃんのフルネームは夢咲愛ゆめさきまなというらしく、聞けばありすと別の学校に通っているが、学年はありすと一緒のようだ。学校での出来事を話す愛ちゃんに対して、ありすは口数が少ない。まだ話すことに対して気おくれがあったのかも知れない。それを察してか、愛ちゃんは自分から率先して会話を進めてあげていて、ありすはゆっくりだが、少しづつ口数を増やしていき、お互い名前で呼び合うのに抵抗がなくなった所でプールの閉園時間になった。
――それから数日後。段々慣れてきたピンポン連打に扉を開けると、

「うーさん、こんにちはっ」
「……こんにちは」

 我が家を訪ねる少女が増殖していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

パーフェクトアンドロイド

ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。 だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。 俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。 レアリティ学園の新入生は100名。 そのうちアンドロイドは99名。 つまり俺は、生身の人間だ。 ▶︎credit 表紙イラスト おーい

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 【連載中】は、短時間で読めるように短い文節ごとでの公開になります。 (お気に入り登録いただけると通知が行き、便利かもです) その後、誤字脱字修正や辻褄合わせが行われて、合成された1話分にタイトルをつけ再公開されます。 (その前に、仮まとめ版が出る場合もある、かも、しれない、可能性) 物語の細部は連載時と変わることが多いので、二度読むのが通です。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

これもなにかの縁ですし 〜あやかし縁結びカフェとほっこり焼き物めぐり

枢 呂紅
キャラ文芸
★第5回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★ 大学一年生の春。夢の一人暮らしを始めた鈴だが、毎日謎の不幸が続いていた。 悪運を祓うべく通称:縁結び神社にお参りした鈴は、そこで不思議なイケメンに衝撃の一言を放たれてしまう。 「だって君。悪い縁(えにし)に取り憑かれているもの」 彼に連れて行かれたのは、妖怪だけが集うノスタルジックなカフェ、縁結びカフェ。 そこで鈴は、妖狐と陰陽師を先祖に持つという不思議なイケメン店長・狐月により、自分と縁を結んだ『貧乏神』と対峙するけども……? 人とあやかしの世が別れた時代に、ひとと妖怪、そして店主の趣味のほっこり焼き物が交錯する。 これは、偶然に出会い結ばれたひととあやかしを繋ぐ、優しくあたたかな『縁結び』の物語。

ナマズの器

螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。 不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

処理中です...