雪解けの前に

FEEL

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IMM-028

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「……私の部屋に入ったでしょ?」
「……うん」
「そう。そうでなきゃ私がまだこの町にいるとは思わないわよね」
「雪湖。あのレポートはなんなんだ? 一体何に関わってるんだよ」

 雪湖はすぐには答えなかった。思いつめたように何度か深呼吸をして、それからゆっくりと口を開く。

「昔。戦争が終わった60年前に一人の天才科学者がいたの。その人は戦争で大事な人を亡くしてから、自身の薬学の知識を使ってなんとか人を生かすことを考えた。しかし戦争はとてつない規模で人を殺すわ。どれだけ頑張って薬効の高い薬を開発しようとも、その薬が救う人間の何十倍もの人間が死んでいく。仮に命を救えても、五体を失った人はその後の人生を考えて折角拾った命を自分から投げ捨てる。そんなものを幾度も見てきた天才学者は嘆き。苦しみ。そして根本の解決に乗り出した」
「IMM……」

 真人が呟きに雪湖は頷く。

「Immortality。死という概念がなければ誰も死なない。薬が買えない貧困層すらも死という苦しみから救い上げる万能薬。それがIMMよ。当時。不治の病とされていたガン細胞にヒントを見つけた天才科学者、綾小路氏は草案をGHQに持ち込んで研究チームを立ち上げた。成果を無償で提供する事を条件にね」
「GHQって……」

 歴史の勉強でしか聞いた事がないような単語に真人は困惑する。

「でも、確かGHQって戦後すぐに解体されたんじゃ」
「そう。でも綾小路氏はその事態を予見していた。不老不死の薬なんてものを研究していたなんて表立ってしまえば混乱は免れない。戦後の復興が落ち着いてきたタイミングでそんなイレギュラーが起きればどうなるかわからない。そこまで想定した綾小路氏は日本が独立したタイミングで国に資金の提供を持ち掛けた。結果。想定した通り混乱を嫌った日本政府は隠蔽を兼ねて首を縦に振った。そうして後ろ盾を手に入れた研究チームは今までImmortality計画は動き続けてきた」
「……そして君は、その研究チームの一員なんだね」

 雪湖はゆっくりと頷く。
 はっきりと雪湖が認めたのを見て、真人は胸に穴が開く気持ちだった。ここまで来て、人体実験を繰り返す人たちと雪湖は違うのだと、そう信じたかった。

「どうして……なんでそんな研究に参加したんだ」
「私、両親がいないの」
「え?」
「正確には両親がわからない。生まれてすぐに捨てられて。研究チームに拾われた」
「じゃあ、親に会わせてくれなかったのは……」
「いない人を会わせる事は出来ないでしょう」

 わざとらしく笑みを作った雪湖の声は重い物だった。

「人体実験のレポートは見た?」
「う、うん」
「じゃあ、その被験者はどうやって見つけるか想像つく?」

 雪湖の言葉に悪い予感が頭を走る。

「……被験者は身元のわからない孤児が使われた。表向きにはNPO団体として孤児を育てる孤児院を作り、そこに集めた子供たちが適齢期になるとIMM細胞を打ち込まれる。そしてサンプルとして研究チームの監視対象になるの」
「それじゃあ、まさか……」

 真人は雪湖を見つめると、雪湖は柳眉をひそめて顔を背けた。

「そう……私も被験者の一人。この体にもIMM細胞が入っている」

 自身の腕を擦りながら雪湖は言った。

「動物実験では良好な結果が得られているけど、人体実験ではその殆どがIMM細胞の増殖によって機能不全を起こしている。私は比較的長く生きているけれど、例外ではなかったみたい」
「なかった……って……」
「IMM細胞の観察の為、被験者には定期健診が義務つけられている。私の最後の健診結果。知りたい?」

 顔を見せないまま言った雪湖に、真人は返事が出来なかった。
 理解が追いつかない真人だったが、それでも雪湖の消え去りそうな姿に合点がいった。

 レポートに書かれていた被験者と同じく彼女は、雪湖は死ぬ。

 突然すぎる出来事に真人は信じられない気持ちでいっぱいだった。だが雪湖の姿を見ていると信じるしかなかった。
 彼女の肌は血の気を感じさせない白さで人形のようになっていた。クタリと脱力した姿は活力を感じさせずにとても弱々しい。

「……っ。じゃ、じゃあ昨日咳き込んでたのも!?」
「うん……もう限界が近いみたい……」
「雪湖……?」

 雪湖の頬に手を当てると凄い熱を出していた。
 目の下にはクマが浮き出てお化けのような形相をしている。

「嘘だろ……ついさっきまで普通にしてたじゃないか……」
「わからないけど……IMM細胞が優勢なって繁殖力を増しているのかも……もう、あまり時間がないかな」
「雪湖っ!」

 肩を掴むと雪湖は抵抗する力も内容で、がくがくと腕を揺らす。

「だから……こうなるのがわかってたからいきなり姿を消したのか?」
「…………半分正解だけど、半分は間違い……私もただ死ぬつもりはないよ……だから病院ここに来た……」
「どういう――」

 真人はハッとした。
 そもそも雪湖がこの町にいるのは028を探す為のはずだ。レポートに書かれている通りなら028はIMM細胞に適応した存在である可能性が高い。

「028が、この病院に……?」
「わからない…………だけど、この町で探していない場所はここだけなの……可能性は、高い……ゲホッ、ゲホッ!」
「雪湖!」

 身体を揺らして咳き込んだ雪湖の口から嫌になるくらい真っ赤な血液が吐き出される。
 浅く呼吸を繰り返す雪湖は身体を起こして車から出ようとするが、扉を開ける事すら出来なくなっていた。
 何度か挑戦していると再び咳き込み、窓ガラスに喀血が飛び散る。その光景を見た雪湖は椅子に身体を預けた。

「もう少し、だったのに……間に合いそうに、ないや……」
「大丈夫だっ! 俺が代わりに探してくるっ! 028の特徴を教えてくれ!」
「もう無理だよ……ここにいたとしても……解析するのに、時間がかかる……どうやっても、間に合わ――ゲホッ、ケホッ」
「~~! やってみなきゃわからないだろ! いいからさっさと特徴を教えろ!」

 雪湖は笑みを作ると真人の顔に手を伸ばす。

「ふふ…………普段は頼りないけど……私の彼氏は、格好いいなぁ……」
「そんなこと、言ってる場合じゃないだろ……」

 真人は雪湖の手を掴む。
 彼女の瞳からは光が消えていた。恐らくもう、真人の姿は見えていない。
 呼吸は落ち着いていて安定してきたように見えるが肌の白さは増していて、握った手にはさっきまで感じていた暖かさはなくなっていた。

「……真人」
「…………ん」
「最後に一つだけ、謝らせて……もう気付いてると思うけど……私は最初……真人のことを、なんとも思ってなかった……自分の命を救う為……貴方を利用してこの町に留まろうとしてた……」
「……うん」
「でも…………いっしょに生活するうちに……あなたのことが……すき、に……なってた……」
「うん……うん……」

 雪湖の言葉に涙が溢れ出て止まらない。
 それでも真人は平常心を保って頷いた。彼女の最後の言葉を聞き逃さない為に。

「もっと……あなたと、いっしょに、いたかった……いきて、いたかった…………なぁ……」
「………………うん」
「まさと……?」
「…………ん」
「わたし……ひどいおんなだけど……わるいこと、いっぱいしたけど…………あなたのこと、すきで、いていい……?」
「……あたりまえだろ…………っ」
「……………………」

 雪湖からの返事はなかった。
 頬に触れた手はただ冷たくて。真人が掴む力を抜くとだらんと抜け落ちた。

 微笑んだままの彼女はこちらを見つめて微笑んでいる。
 そのままずっと、動くことはなかった。

「ゆき、こ……っ!」

 泣いた。
 ただひたすらに泣いた。
 彼女だったものを抱きしめて泣き続けた。
 彼女はなんの反応も示さず、だたその場にいる。
 それがとても、とてつもなく悲しくて泣いた。

 だから気付かなかった。
 車の外が不自然に明るくなっていたことに。
 真人が違和感に気付いた時には、辺りは太陽が照りつけるように光り輝いていた。

「いったい……なにが……うわっ!」

 強風に煽られて車が揺れる。サイドブレーキをかけていなかったせいか地面が動く感覚を覚えて真人は咄嗟に雪湖を抱きかかえた。
 光は徐々に暗くなっていき、光源は上から来ているのだと分かった。真人は窓から病院を見上げると屋上に光が収束していくようで、辺りが完全に闇に戻るまで真人はその光をずっと見ていた。

「…………まさか、雪湖をお迎えにきたのか?」

 非現実的な出来事が立て続けに起きていて、本当に神様が雪湖を迎えにきたのだと思って笑みを作る。
 迎えに来たということは、雪湖は天国に行くことが出来たということだ。真人はそれが堪らなく嬉しかった。

「神様は雪湖のことを悪い子だと思わないってさ……良かったな……」

 雪湖の身体を抱きしめながら頭を撫でる。

「俺も……ずっと雪湖のことを好きでいる。約束するよ」
「…………本当に?」
「え?」

 真人は心臓が止まったような気がした。いや、実際少し止まったかも知れない。
 抱きしめた雪湖の口から、声が聞こえた気がしたからだ。
 確認しようと雪湖の身体を離そうとするが、締め付けられて離れない。

「えっ、えっ、えぇ……!?」
「言質とったからね」
「雪湖!?」

 今度は間違いなく幻聴ではない。雪子は真人の身体をしっかりと掴み、話している。

「なんで……どう見てもさっき……」
「うん……多分死んでた……体に死の感覚が残ってる。でも、心臓も動いているし話も出来ている」
「……俺も一緒に死んだって可能性は?」

 雪湖はしがみつく腕を離して真人の顔をつねる。

「いた、いたたたたたたたた!」
「生きてる。私たち生きてるっ!」

 満面の笑顔を作って雪湖は再び真人の胸に飛び込んできた。
 状況が掴めずに真人はぽかんとした表情を作るが、雪湖をしっかりと支えていた。

「いったい、どうなってるんだ……?」
「わからないけど。もしかしたら028が何かをしたのかも知れない」
「何か……て?」
「わからないけど。きっと、良い事だよ」

 雪湖の温もりを感じながら、真人は考えるのを止めて頷いた。「そうだな」

 雪湖の事を含めて真人はわからないことだらけだ。しかしそんな事は時間をかけてゆっくり知っていけばいい。
 止まってしまったと思った彼女との時間は再び動き出したのだから。

「真人」
「ん?」

 真人の唇に熱いものが触れた。真人はゆっくりと瞳を閉じる。
 雪降る夜。冬の寒さをしのぐように二人は寄り合い。お互いの愛を確かめ合っていた。
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