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IMM-028
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朝。目が覚めると雪湖の姿はなかった。
起き上がりリビングに行くが雪湖の姿はなく。雪湖の筆跡で書かれた書置きがテーブルに置かれていた。
『真人、一緒にいてくれてありがとう。おかげで体調はすっかり良くなりました。予定通り今日から実家に戻ります。私が留守の間、出来合いのもので済まさずにちゃんと自炊をしてください。後、部屋も綺麗にしておくように。見た目が綺麗だからと放置しておくと雑菌が繁殖して免疫機能が低下してしまいます。そんな家に私は帰りたくないのでしっかりとね』
手紙でもここまで口うるさく言ってくるとは。
頭を掻きながら真人は呆れたような表情を見せる。
『それから、昨日も言いましたが私の部屋には決して入らないでください。真人はなんだかんだ約束を守ってくれるので心配はしていませんが、もう一度念を押しておきます。後、最後に一つ。私は真人の事を愛しています。本当は昨日に言いたかったのだけど、言葉に詰まってしまって言い出せませんでした。 一緒にいようと言ってくれて、とても嬉しかった。だから私は頑張ります』
「頑張り……ます?」
いったい何を頑張るというのか。真人は頭を捻った。
昨日言いそびれたからと、書置きに残してまで愛の言葉を残すのにも違和感を覚えた。
それに最初と比べて文字は震えたように乱れていて、ところどころ滲んでいる。嫌な予感を抱えながら真人は続きを読む。
『もしもちゃんと帰れたら。もう一度真人に会えたら。結婚してください。生涯貴方を愛させてください。その答えを聞くために、私は必ず帰ります。真人 真人 真人 真人――』
文末には何度も自分の名前が書かれていて、ぐちゃぐちゃと横線で消されていた。
考えるまでもなく異常な手紙に、真人は洗面所に走り出した。
「……ない」
洗面所にはキャリーケースが置かれていて、どこか旅行に行くときに使おうとそのまま放置されていた。それがなくなっていたのだ。慌ててクローゼットを開けると雪湖の服が殆どかけたままだった。
帰省するのだからキャリーケースを使って衣服を詰め込んでいったのなら理解できるが、衣服はほとんど手付かずだった。それだけじゃなく、キャリーケース以外の殆どの雪湖の私物がそのままにされている。
まるで、最初から持っていく予定がなかったようにそのままの荷物たちを見て真人は嫌な感じがした。
「そうだ……職場」
昨日、雪湖が自分の職場から電話がかかってきたと言っていたのを思い出した。
雪湖の職場に連絡を取れば彼女の実家の住所。そうでなくとも連絡先の一つくらいはわかるかも知れない。
真人はリビングに戻ってスマホを取る。そして雪湖の部屋の前に立った。
雪湖の職種は承知していた真人だったが、働いている職場も、連絡先も聞かされていなかった。だから連絡を取ることができない。
しかし、彼女の部屋になら給与明細やレポートなどから会社の名前を知ることが出来る。
「ごめん、雪湖」
一言謝罪をして雪湖の部屋を開ける。
中は相変わらずカーテンで閉め切られて埃にまみれていた。
真人は昨日片した用紙の中から会社の手がかりになりそうなものを探す。すると給与明細が何枚か見つかった。
「〇〇製薬。薬の製薬会社だ。間違いないっ」
真人は会社の名前で検索をかけて電話番号を探すと、すぐさま番号を打ち込んで電話をかけた。
『――お電話ありがとうございます。〇〇製薬の鈴木で御座います』
「あ、すいません。私は――羽里の夫なんですけど。少し確認したいことがありまして……」
「かしこまりました。失礼ですが羽里さんの部署などはご存じでしょうか?」
「あ……研究者です。新薬を作っていると言ってました」
「承知しました。今担当のほうに取次ぎしますので少しお待ちください」
鈴木と言っていた人物が淡々と答えると電話口に音楽が流れてきて真人は息を呑んだ。
ただの同棲相手だと切られてしまうと思い、ついつい旦那と嘘をついてしまった。この事が原因で雪湖に怒られなければいいのだけど……。
そんなことを心配しながら音楽が鳴りやむのを待っていたが、一向に電話が繋がる気配がない。
5分……10分も経とうかという時、やっと音楽が鳴りやんだ。
『お待たせしました。羽里様』
聞こえてきたのはさっきと同じく鈴木と名乗った男の声だった。
『申し訳ありません。部署に確認してみたところ。羽里という人物はいないようでして……』
「あっ、それは今日から休みを取っているからで……すいません、言い忘れてました」
『いえ、そういうお話ではなくてですね……家の会社に羽里という方は在籍しておりません』
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください」
真人は手に持った給与明細を確認する。用紙の右下には間違いなく〇〇製薬と書かれていた。
「いやでも、妻の部屋には御社の給与明細があるんですよ」
『そう言われましても……こちらも製薬部門すべてに確認を取りましたが、確かに羽里という人物はいないとおっしゃられていました』
「そんな、馬鹿な……」
『申し訳ありません。こちらも忙しいので失礼します』
面倒そうに鈴木が言うと、電話を切られてしまった。
「どういうことだよ……」
何がなんだかわからないまま真人はうなだれる。
手に持った明細をもう一度見てからネット検索をかけてみるが、同じ名前の会社はなくてさっき電話した会社が表示された。
つまりこの給与明細は働いてない場所から生み出されたものであり、雪湖の手がかりにはなり得なかった。
それどころかどうして雪湖がそんな明細書を持っているのかという謎が増えてしまう。いったい彼女は何なんだ。毎日遅くまで外に出て、何をして帰ってきているんだ。
「……」
真人は机の上に目を向ける。ゆっくりと立ち上がるとレポートの一つを手に取った。
『Immortality計画における経過と観察』
手に取った用紙はそう銘打たれていた。
Immortality(イモータリティ)……不死……。
頭文字を取ってIMMと略されたそれは死滅していく細胞を補填するために、品種改良されたヒトゲノムを投与、既存の細胞核に介入することでDNAを再構築。すなわち脱皮をすることで細胞を新品に入れ替える。これを繰り返して不老不死とする為の研究内容だと説明されていた。
脱皮と簡単に言うが、実行に移すには様々な関門がある。
記憶障害。
免疫機能の暴走。
成長不全
多重人格
命の危険を伴う重大な疾患
そういうものがレポート用紙にずらりと並べられていた。
次のページを机の上から探して手に取る。
『計画立案者の綾小路氏は数々の問題から抜け出すべく。動物実験を繰り返した。死亡した被検体は幾万にも上り、いずれも投与してから数日で死亡してしまった。それでも諦めずに改良を続けた綾小路氏はDNAにこだわるのではなく、人の細胞そのものに似せる事を思いつく。がん細胞などの、悪性でありながら増殖を繰り返す細胞がいるように、何かしらのトリガーを以て増殖を開始。分裂した細胞を脱皮させることにより延々と細胞分裂をさせる方向へと考えを変換させた。幾千の失敗の末、60年経った今でも細胞を入れ替えて生き続けている個体を作り出すことに成功する』
以降のレポートには被検体であるハツカネズミの観察記録が続いていた。時折てんかんのような症状に見舞われるものの、健康状態には異常はなく。外的要因の怪我を負わせても傷痕が残らないぐらいの回復力を見せていたようだ。
それだけではなく内蔵の損傷や機能停止。すなわち死んでしまったとしても数分経てば機能不全を起こした細胞に変わりIMMが増殖して補填。心肺を回復させたと書かれてあった。
死んでも生き返る……ここに書かれていることが本当ならまさに不老不死と言える。
まだまだ実験段階から抜け出せていない様子だが、このIMMというものが実用化までいきつけば人間は死の苦しみから解放されるだろう。予期せぬ事故から徒に命を落とす人間がいなくなる世界。
それが、雪湖の望んだことなのだろうか?
彼女はどうやってこの研究を知り、手を貸しているのだろうか。
現実離れしたレポートに目を通すほど、真人は雪湖のことがわからなくなっていく。この研究は劇薬だ。
死の恐怖から解放されれば貧困や難病の問題は解決する。そうなれば救われなかった命が助かり、一見すると平和的なものに見える。
しかし、死なないというのは世代交代が起きないということ。レポートで例えられている通り人間はがん細胞のように永続的に増え続けてやがて地球を埋め尽くしてしまう。
それに、人は争うものだ。意見や主張の食い違いで日常的に諍いを起こす。そこで止まっているのは法律が機能して、命の危険があるからだ。それがなくなってしまえば人間の理性なんて簡単に――。
真人は眩暈を覚えて頭を振った。
「余計な事は考えるな」
雪湖が何を目的としてこんな事に手を貸しているのかわからないが、今問題なのはそこではない。
真人は再びレポートに目を通し始めた。忽然と姿を消した雪湖を探す為にレポートから行き先を推察しようとしていた。
何枚ものレポートを漁っていると、目を引く記述を見つけた。
肉筆で書かれたものと違いパソコンで打ち込まれた文字は研究員に充てられた報告書のようだ。
『被検体028が目撃されたという報告がありました。028がIMMを投与されたのは40年前。被検体の中で一番長く生存していた個体でしたが、今も生きているのならIMMが想定通りに機能している可能性が極めて高い。関係者各位は028の捜索を優先。確保してサンプルとして保管してください』
「これは……」
報告書には028とやらが目撃されたと思われる地図が一緒になっていた。
真人は地図を見て、目を丸くした。
「この病院。駅……間違いない。ここに書かれてるのはこの町だ」
レポートに書かれていた日付は3年前。雪湖が急に同棲を提案してここに住み始めたタイミングと同じだった。
もしかして雪湖は、この報告書を見て自分と住む事にしたのだろうか。同棲生活をきっかけにこの町に住み、こいつを探しに。
「…………」
もしもそうだとしたら、雪湖は俺の事なんて――。
そこまで考えて真人は思考を止めた。最後まで考えてしまうと自分の中で何かが終わってしまう気がしてしまった。
確かに雪湖の対応は冷たいもので、一般的な恋人とは違ったものだったと思う。しかし時折見せる優しさは、彼女の眼差しはとても偽物に見えなかった。
それを確かめる為にも、雪湖を見つけなければいけない。
「少なくとも、雪湖はまだ町にいるはずだ」
レポートを見て真人はそう結論付けた。
研究内容が煮詰まっているのはレポートを見ればすぐにわかる。そんな研究員からすれば028はまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸に見えるはずだ。
他のレポートを見ても028が見つかったという記述は見当たない。となれば研究に携わる雪湖もまだこいつを探しているはず。
真人は地図が載ったレポート用紙を手に取り、外に出る支度を始めた。
起き上がりリビングに行くが雪湖の姿はなく。雪湖の筆跡で書かれた書置きがテーブルに置かれていた。
『真人、一緒にいてくれてありがとう。おかげで体調はすっかり良くなりました。予定通り今日から実家に戻ります。私が留守の間、出来合いのもので済まさずにちゃんと自炊をしてください。後、部屋も綺麗にしておくように。見た目が綺麗だからと放置しておくと雑菌が繁殖して免疫機能が低下してしまいます。そんな家に私は帰りたくないのでしっかりとね』
手紙でもここまで口うるさく言ってくるとは。
頭を掻きながら真人は呆れたような表情を見せる。
『それから、昨日も言いましたが私の部屋には決して入らないでください。真人はなんだかんだ約束を守ってくれるので心配はしていませんが、もう一度念を押しておきます。後、最後に一つ。私は真人の事を愛しています。本当は昨日に言いたかったのだけど、言葉に詰まってしまって言い出せませんでした。 一緒にいようと言ってくれて、とても嬉しかった。だから私は頑張ります』
「頑張り……ます?」
いったい何を頑張るというのか。真人は頭を捻った。
昨日言いそびれたからと、書置きに残してまで愛の言葉を残すのにも違和感を覚えた。
それに最初と比べて文字は震えたように乱れていて、ところどころ滲んでいる。嫌な予感を抱えながら真人は続きを読む。
『もしもちゃんと帰れたら。もう一度真人に会えたら。結婚してください。生涯貴方を愛させてください。その答えを聞くために、私は必ず帰ります。真人 真人 真人 真人――』
文末には何度も自分の名前が書かれていて、ぐちゃぐちゃと横線で消されていた。
考えるまでもなく異常な手紙に、真人は洗面所に走り出した。
「……ない」
洗面所にはキャリーケースが置かれていて、どこか旅行に行くときに使おうとそのまま放置されていた。それがなくなっていたのだ。慌ててクローゼットを開けると雪湖の服が殆どかけたままだった。
帰省するのだからキャリーケースを使って衣服を詰め込んでいったのなら理解できるが、衣服はほとんど手付かずだった。それだけじゃなく、キャリーケース以外の殆どの雪湖の私物がそのままにされている。
まるで、最初から持っていく予定がなかったようにそのままの荷物たちを見て真人は嫌な感じがした。
「そうだ……職場」
昨日、雪湖が自分の職場から電話がかかってきたと言っていたのを思い出した。
雪湖の職場に連絡を取れば彼女の実家の住所。そうでなくとも連絡先の一つくらいはわかるかも知れない。
真人はリビングに戻ってスマホを取る。そして雪湖の部屋の前に立った。
雪湖の職種は承知していた真人だったが、働いている職場も、連絡先も聞かされていなかった。だから連絡を取ることができない。
しかし、彼女の部屋になら給与明細やレポートなどから会社の名前を知ることが出来る。
「ごめん、雪湖」
一言謝罪をして雪湖の部屋を開ける。
中は相変わらずカーテンで閉め切られて埃にまみれていた。
真人は昨日片した用紙の中から会社の手がかりになりそうなものを探す。すると給与明細が何枚か見つかった。
「〇〇製薬。薬の製薬会社だ。間違いないっ」
真人は会社の名前で検索をかけて電話番号を探すと、すぐさま番号を打ち込んで電話をかけた。
『――お電話ありがとうございます。〇〇製薬の鈴木で御座います』
「あ、すいません。私は――羽里の夫なんですけど。少し確認したいことがありまして……」
「かしこまりました。失礼ですが羽里さんの部署などはご存じでしょうか?」
「あ……研究者です。新薬を作っていると言ってました」
「承知しました。今担当のほうに取次ぎしますので少しお待ちください」
鈴木と言っていた人物が淡々と答えると電話口に音楽が流れてきて真人は息を呑んだ。
ただの同棲相手だと切られてしまうと思い、ついつい旦那と嘘をついてしまった。この事が原因で雪湖に怒られなければいいのだけど……。
そんなことを心配しながら音楽が鳴りやむのを待っていたが、一向に電話が繋がる気配がない。
5分……10分も経とうかという時、やっと音楽が鳴りやんだ。
『お待たせしました。羽里様』
聞こえてきたのはさっきと同じく鈴木と名乗った男の声だった。
『申し訳ありません。部署に確認してみたところ。羽里という人物はいないようでして……』
「あっ、それは今日から休みを取っているからで……すいません、言い忘れてました」
『いえ、そういうお話ではなくてですね……家の会社に羽里という方は在籍しておりません』
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください」
真人は手に持った給与明細を確認する。用紙の右下には間違いなく〇〇製薬と書かれていた。
「いやでも、妻の部屋には御社の給与明細があるんですよ」
『そう言われましても……こちらも製薬部門すべてに確認を取りましたが、確かに羽里という人物はいないとおっしゃられていました』
「そんな、馬鹿な……」
『申し訳ありません。こちらも忙しいので失礼します』
面倒そうに鈴木が言うと、電話を切られてしまった。
「どういうことだよ……」
何がなんだかわからないまま真人はうなだれる。
手に持った明細をもう一度見てからネット検索をかけてみるが、同じ名前の会社はなくてさっき電話した会社が表示された。
つまりこの給与明細は働いてない場所から生み出されたものであり、雪湖の手がかりにはなり得なかった。
それどころかどうして雪湖がそんな明細書を持っているのかという謎が増えてしまう。いったい彼女は何なんだ。毎日遅くまで外に出て、何をして帰ってきているんだ。
「……」
真人は机の上に目を向ける。ゆっくりと立ち上がるとレポートの一つを手に取った。
『Immortality計画における経過と観察』
手に取った用紙はそう銘打たれていた。
Immortality(イモータリティ)……不死……。
頭文字を取ってIMMと略されたそれは死滅していく細胞を補填するために、品種改良されたヒトゲノムを投与、既存の細胞核に介入することでDNAを再構築。すなわち脱皮をすることで細胞を新品に入れ替える。これを繰り返して不老不死とする為の研究内容だと説明されていた。
脱皮と簡単に言うが、実行に移すには様々な関門がある。
記憶障害。
免疫機能の暴走。
成長不全
多重人格
命の危険を伴う重大な疾患
そういうものがレポート用紙にずらりと並べられていた。
次のページを机の上から探して手に取る。
『計画立案者の綾小路氏は数々の問題から抜け出すべく。動物実験を繰り返した。死亡した被検体は幾万にも上り、いずれも投与してから数日で死亡してしまった。それでも諦めずに改良を続けた綾小路氏はDNAにこだわるのではなく、人の細胞そのものに似せる事を思いつく。がん細胞などの、悪性でありながら増殖を繰り返す細胞がいるように、何かしらのトリガーを以て増殖を開始。分裂した細胞を脱皮させることにより延々と細胞分裂をさせる方向へと考えを変換させた。幾千の失敗の末、60年経った今でも細胞を入れ替えて生き続けている個体を作り出すことに成功する』
以降のレポートには被検体であるハツカネズミの観察記録が続いていた。時折てんかんのような症状に見舞われるものの、健康状態には異常はなく。外的要因の怪我を負わせても傷痕が残らないぐらいの回復力を見せていたようだ。
それだけではなく内蔵の損傷や機能停止。すなわち死んでしまったとしても数分経てば機能不全を起こした細胞に変わりIMMが増殖して補填。心肺を回復させたと書かれてあった。
死んでも生き返る……ここに書かれていることが本当ならまさに不老不死と言える。
まだまだ実験段階から抜け出せていない様子だが、このIMMというものが実用化までいきつけば人間は死の苦しみから解放されるだろう。予期せぬ事故から徒に命を落とす人間がいなくなる世界。
それが、雪湖の望んだことなのだろうか?
彼女はどうやってこの研究を知り、手を貸しているのだろうか。
現実離れしたレポートに目を通すほど、真人は雪湖のことがわからなくなっていく。この研究は劇薬だ。
死の恐怖から解放されれば貧困や難病の問題は解決する。そうなれば救われなかった命が助かり、一見すると平和的なものに見える。
しかし、死なないというのは世代交代が起きないということ。レポートで例えられている通り人間はがん細胞のように永続的に増え続けてやがて地球を埋め尽くしてしまう。
それに、人は争うものだ。意見や主張の食い違いで日常的に諍いを起こす。そこで止まっているのは法律が機能して、命の危険があるからだ。それがなくなってしまえば人間の理性なんて簡単に――。
真人は眩暈を覚えて頭を振った。
「余計な事は考えるな」
雪湖が何を目的としてこんな事に手を貸しているのかわからないが、今問題なのはそこではない。
真人は再びレポートに目を通し始めた。忽然と姿を消した雪湖を探す為にレポートから行き先を推察しようとしていた。
何枚ものレポートを漁っていると、目を引く記述を見つけた。
肉筆で書かれたものと違いパソコンで打ち込まれた文字は研究員に充てられた報告書のようだ。
『被検体028が目撃されたという報告がありました。028がIMMを投与されたのは40年前。被検体の中で一番長く生存していた個体でしたが、今も生きているのならIMMが想定通りに機能している可能性が極めて高い。関係者各位は028の捜索を優先。確保してサンプルとして保管してください』
「これは……」
報告書には028とやらが目撃されたと思われる地図が一緒になっていた。
真人は地図を見て、目を丸くした。
「この病院。駅……間違いない。ここに書かれてるのはこの町だ」
レポートに書かれていた日付は3年前。雪湖が急に同棲を提案してここに住み始めたタイミングと同じだった。
もしかして雪湖は、この報告書を見て自分と住む事にしたのだろうか。同棲生活をきっかけにこの町に住み、こいつを探しに。
「…………」
もしもそうだとしたら、雪湖は俺の事なんて――。
そこまで考えて真人は思考を止めた。最後まで考えてしまうと自分の中で何かが終わってしまう気がしてしまった。
確かに雪湖の対応は冷たいもので、一般的な恋人とは違ったものだったと思う。しかし時折見せる優しさは、彼女の眼差しはとても偽物に見えなかった。
それを確かめる為にも、雪湖を見つけなければいけない。
「少なくとも、雪湖はまだ町にいるはずだ」
レポートを見て真人はそう結論付けた。
研究内容が煮詰まっているのはレポートを見ればすぐにわかる。そんな研究員からすれば028はまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸に見えるはずだ。
他のレポートを見ても028が見つかったという記述は見当たない。となれば研究に携わる雪湖もまだこいつを探しているはず。
真人は地図が載ったレポート用紙を手に取り、外に出る支度を始めた。
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