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IMM-028
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真人はスマホを手に持ち、自分の上司に電話をかけた。
『もしもし。朝からどうした?』
「すいません、今日会社休みます」
『は? 体調でも悪いのか?』
「いえ、絶好調です」
『なんだそれ、じゃあ会社来いよ』
「どうしても今日中にやらないといけない事がありまして。すいませんっ」
『いやだからって当日に――』
まだ何かを言われていたが、真人は構わず電話を切る。雪湖の機嫌を取るために一秒でも無駄には出来ない。
スポンジを手に取り水で流しただけの皿を綺麗に洗う。まずは掃除からだ。
上司から折り返しの電話が来ていたが、真人は無視してキッチンの掃除を始めた。しかし普段から雪湖が掃除をしているようで、手をつけるところはあまりなかった。
「むぅ……ならば部屋の掃除だ」
掃除機を手に取って真人はリビングの掃除をする。埃一つ落ちていない綺麗なリビングに掃除機をかけるとどんどん虚しい気持ちになってきた。
「普段気にしてなかったけど、こんなに綺麗に掃除してくれてたんだな」
雪湖の機嫌を取ろうと始めた掃除だったが、こちらが雪湖に感謝をしてしまっていた。
どれだけ不愛想に振舞おうとも。人の話を延々と聞かされ続けても。雪湖は二人の環境を気持ちよく保とうと頑張ってくれている。それが真人には堪らなく嬉しかった。
しかし、これだと結局雪湖の機嫌を取ることは出来ない。どうしたものかと真人は頭を捻る。
「あ」
声を漏らした真人は雪湖の部屋を見る。
雪湖と真人はそれぞれ自分の私室を持っていた。同棲生活を始める時に不動産に行った際、自分用の部屋が欲しいとどうしても雪湖が譲らなかったのだ。おかげで部屋探しは難航して、家賃も想定していたよりも随分高くなってしまった。
それでも、実際に住んでみたらプライベート空間は大事だと再認識させられた。ストレスが溜まり関係がギクシャクとした時、シェルターのように自室に籠ることができたからだ。
無論、真人の部屋も共有空間同様に雪湖が掃除をしてくれていたので綺麗なものだった。
「よし」
真人は雪湖の部屋の扉に手を掛ける。
いつも自分の部屋だけ綺麗にしてもらっているのもまた不公平だ。一緒に暮らしているのだから、自分だってしてあげなければいけない。こういう所に気が付かないのが自分の駄目なところだと思った。
「うえっ。ゲホッゲホッ」
扉を開けると同時に舞い上がる埃と紙の匂いに真人は咳き込んだ。
雪湖のことだからある程度は綺麗にされているものと思っていたが、部屋の中は物が錯乱していて足の踏み場もない。紙が散乱する床でかろうじて道のようになっている場所を歩いて辺りを見回す。
壁は一面本棚が置かれていて難しそうなタイトルの本がぎっちりと詰まっていた。リビングの光に照らされて埃が舞っているのが見える。窓は分厚いカーテンで閉じられていて、様子を見るにかなり長い期間換気をしていないようだった。
まさか雪湖の部屋がこんな状態になっているなんて想像もしてなかった。
とりあえず歩けるようにしようと床に散らばっている紙を拾い上げる。
「仕事の書類……か?」
内容を見てみると難しい漢字と専門用語が並んでいて、なんのことだかわからない。
『被検体に共通する症状と改善点』という文字を見るに、恐らく治験内容のレポートなのかもしれない。
「でも、これが全部そうなのか?」
床に散らばっているA4用紙サイズの紙を見ても数百枚はあるだろう。その上机の上にはその倍はありそうな書類が山になっている。
一緒に机に乗せてしまうと分けるのが面倒だろうと集めた用紙を床に一まとめに置いてから、真人は机に向かった。
「なになに? 『IMM細胞の活性化と既存の細胞における競合について』? IMM細胞ってなんだ?」
机に置かれていた書類に目を通すが、やはり内容は理解できない。
いくつか目を通してみると、机の上に置かれたレポートはどれもこれも、IMM細胞なるものについて書かれているようだった。
「『現状では既存のIMMが元から活動している細胞をがん細胞のように侵食してしまい、いずれは身体機能を停止してしまう。免疫機能が異変を察知してIMM細胞を駆除しようとする動きがみられるが、まるで細胞自身が意思を持っているように免疫細胞から隠れ、擬態までして隠れようとするのも確認できた。また、白血球に見つかり駆除された個体がいたが、白血球に取り込まれた個体は白血球そのものを侵食して自身の分身へと変えてしまう。切断されても切り離された双方が快復して個別の活動を始めるのも確認できた。これはプラナリアと非常に似た性質である。以上の結果からIMMと既存細胞の共存は不可能であり、IMMを抑制すれば増殖機能も低下してしまう為、不老不死と呼べる状態とはとても呼べなくなってしまい――』」
真人はレポート読むのを止める。
不老不死……?
不老不死って不死身とか、死んでも生き返るとか、そういう不老不死のことか?
いったい雪湖は、何をしているんだ?
真人の心臓が早くなる。
現実離れしたレポートの内容に、何か良くない予感を感じていた。
「『――ハツカネズミを使用した初めての動物実験を成功させてから60余年。第二の成功例は未だ0。管理されている成功体から血液サンプルを抜き取り検体を検証するが失敗例との違いは見られない。差異がわからない以上、何度人体実験を繰り返しても改善は見られないと思われる』」
「『IMMを投入して3年目の被検体が死んだ。他と比べて安定していたIMM細胞が急に増殖を始めて健全な細胞をすべて侵食してしまったのが原因だ。IMM細胞に侵された細胞は本来の機能を止めて増殖、分裂のみを行う。がん細胞と類似したこの機能をなんとかしなければ実用化には程遠いだろう。しかし、明確な改善策はまだ見つからない』」
「なんだよ、これ……」
地面がなくなってしまったような感覚を覚えて真人は崩れ落ちた。
不老不死。
60年生きるネズミ。
人体実験。
まるでリアリティを感じない内容がレポート一面に広がっている。しかし詳細な内容に嫌でも現実感を帯びさせてくる。
これが創作作品なら手を叩いて称賛するところだ。しかし、雪湖がそんな事をする時間がないのは重々承知している。
頭が混乱していた。
これが真実だとしたら、とんでもない事件だ。
そして、雪湖はそれに加担している。もしもこれが公になれば雪湖が捕まってしまうのは間違いないだろう。
法律には明るくないが、レポートを見るに何度も人を使って実験を繰り返し、殺している様子だった。一度捕まればまず出てくることはないだろう。
「雪湖……お前はいったい、何をしてるんだ……」
レポートを机に戻す真人の手は震えていた。
『もしもし。朝からどうした?』
「すいません、今日会社休みます」
『は? 体調でも悪いのか?』
「いえ、絶好調です」
『なんだそれ、じゃあ会社来いよ』
「どうしても今日中にやらないといけない事がありまして。すいませんっ」
『いやだからって当日に――』
まだ何かを言われていたが、真人は構わず電話を切る。雪湖の機嫌を取るために一秒でも無駄には出来ない。
スポンジを手に取り水で流しただけの皿を綺麗に洗う。まずは掃除からだ。
上司から折り返しの電話が来ていたが、真人は無視してキッチンの掃除を始めた。しかし普段から雪湖が掃除をしているようで、手をつけるところはあまりなかった。
「むぅ……ならば部屋の掃除だ」
掃除機を手に取って真人はリビングの掃除をする。埃一つ落ちていない綺麗なリビングに掃除機をかけるとどんどん虚しい気持ちになってきた。
「普段気にしてなかったけど、こんなに綺麗に掃除してくれてたんだな」
雪湖の機嫌を取ろうと始めた掃除だったが、こちらが雪湖に感謝をしてしまっていた。
どれだけ不愛想に振舞おうとも。人の話を延々と聞かされ続けても。雪湖は二人の環境を気持ちよく保とうと頑張ってくれている。それが真人には堪らなく嬉しかった。
しかし、これだと結局雪湖の機嫌を取ることは出来ない。どうしたものかと真人は頭を捻る。
「あ」
声を漏らした真人は雪湖の部屋を見る。
雪湖と真人はそれぞれ自分の私室を持っていた。同棲生活を始める時に不動産に行った際、自分用の部屋が欲しいとどうしても雪湖が譲らなかったのだ。おかげで部屋探しは難航して、家賃も想定していたよりも随分高くなってしまった。
それでも、実際に住んでみたらプライベート空間は大事だと再認識させられた。ストレスが溜まり関係がギクシャクとした時、シェルターのように自室に籠ることができたからだ。
無論、真人の部屋も共有空間同様に雪湖が掃除をしてくれていたので綺麗なものだった。
「よし」
真人は雪湖の部屋の扉に手を掛ける。
いつも自分の部屋だけ綺麗にしてもらっているのもまた不公平だ。一緒に暮らしているのだから、自分だってしてあげなければいけない。こういう所に気が付かないのが自分の駄目なところだと思った。
「うえっ。ゲホッゲホッ」
扉を開けると同時に舞い上がる埃と紙の匂いに真人は咳き込んだ。
雪湖のことだからある程度は綺麗にされているものと思っていたが、部屋の中は物が錯乱していて足の踏み場もない。紙が散乱する床でかろうじて道のようになっている場所を歩いて辺りを見回す。
壁は一面本棚が置かれていて難しそうなタイトルの本がぎっちりと詰まっていた。リビングの光に照らされて埃が舞っているのが見える。窓は分厚いカーテンで閉じられていて、様子を見るにかなり長い期間換気をしていないようだった。
まさか雪湖の部屋がこんな状態になっているなんて想像もしてなかった。
とりあえず歩けるようにしようと床に散らばっている紙を拾い上げる。
「仕事の書類……か?」
内容を見てみると難しい漢字と専門用語が並んでいて、なんのことだかわからない。
『被検体に共通する症状と改善点』という文字を見るに、恐らく治験内容のレポートなのかもしれない。
「でも、これが全部そうなのか?」
床に散らばっているA4用紙サイズの紙を見ても数百枚はあるだろう。その上机の上にはその倍はありそうな書類が山になっている。
一緒に机に乗せてしまうと分けるのが面倒だろうと集めた用紙を床に一まとめに置いてから、真人は机に向かった。
「なになに? 『IMM細胞の活性化と既存の細胞における競合について』? IMM細胞ってなんだ?」
机に置かれていた書類に目を通すが、やはり内容は理解できない。
いくつか目を通してみると、机の上に置かれたレポートはどれもこれも、IMM細胞なるものについて書かれているようだった。
「『現状では既存のIMMが元から活動している細胞をがん細胞のように侵食してしまい、いずれは身体機能を停止してしまう。免疫機能が異変を察知してIMM細胞を駆除しようとする動きがみられるが、まるで細胞自身が意思を持っているように免疫細胞から隠れ、擬態までして隠れようとするのも確認できた。また、白血球に見つかり駆除された個体がいたが、白血球に取り込まれた個体は白血球そのものを侵食して自身の分身へと変えてしまう。切断されても切り離された双方が快復して個別の活動を始めるのも確認できた。これはプラナリアと非常に似た性質である。以上の結果からIMMと既存細胞の共存は不可能であり、IMMを抑制すれば増殖機能も低下してしまう為、不老不死と呼べる状態とはとても呼べなくなってしまい――』」
真人はレポート読むのを止める。
不老不死……?
不老不死って不死身とか、死んでも生き返るとか、そういう不老不死のことか?
いったい雪湖は、何をしているんだ?
真人の心臓が早くなる。
現実離れしたレポートの内容に、何か良くない予感を感じていた。
「『――ハツカネズミを使用した初めての動物実験を成功させてから60余年。第二の成功例は未だ0。管理されている成功体から血液サンプルを抜き取り検体を検証するが失敗例との違いは見られない。差異がわからない以上、何度人体実験を繰り返しても改善は見られないと思われる』」
「『IMMを投入して3年目の被検体が死んだ。他と比べて安定していたIMM細胞が急に増殖を始めて健全な細胞をすべて侵食してしまったのが原因だ。IMM細胞に侵された細胞は本来の機能を止めて増殖、分裂のみを行う。がん細胞と類似したこの機能をなんとかしなければ実用化には程遠いだろう。しかし、明確な改善策はまだ見つからない』」
「なんだよ、これ……」
地面がなくなってしまったような感覚を覚えて真人は崩れ落ちた。
不老不死。
60年生きるネズミ。
人体実験。
まるでリアリティを感じない内容がレポート一面に広がっている。しかし詳細な内容に嫌でも現実感を帯びさせてくる。
これが創作作品なら手を叩いて称賛するところだ。しかし、雪湖がそんな事をする時間がないのは重々承知している。
頭が混乱していた。
これが真実だとしたら、とんでもない事件だ。
そして、雪湖はそれに加担している。もしもこれが公になれば雪湖が捕まってしまうのは間違いないだろう。
法律には明るくないが、レポートを見るに何度も人を使って実験を繰り返し、殺している様子だった。一度捕まればまず出てくることはないだろう。
「雪湖……お前はいったい、何をしてるんだ……」
レポートを机に戻す真人の手は震えていた。
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