雪解けの前に

FEEL

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Missing you

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 それから数日の間。咲季は毎日のように神社にやって来た。
 わざわざ俺に確認を取ってから参拝に銭を投げ入れて祈る毎日。別に神主でも家主でもないのだが律儀に挨拶する先に頷くまで先は頼み込んでくるからしぶしぶと頷く。そのまま祈りが終わるまで横で彼女を待って、雑談をするのが日課になっていた。

「泰三さん。お仕事は何をしていらっしゃるのですか?」
「どうした藪から棒に」
「だって、あれから毎日顔を合わせているんですもの。この時間は世間様ではお仕事をしている方が殆どなのに、泰三さんはずっと境内で空を眺めになってらっしゃるじゃないですか。どうやって生活を賄っているのか気になります」

 無知というのは恐ろしいものである。気になったとしても「貴方、昼間っから神社にいるけど何してるの?」と平気で聞けるのだから。かといって馬鹿正直に悪いことをして金を稼いでいるというのも抵抗があった。
 咲季の天真爛漫な姿を見ていると、俺みたいに脛に傷のある男の会話は知らない方がいいと、そう思えた。

「……定職はない。金がなくなったら働く。そんな感じだな」
「そう、自由でとても羨ましい」

 嫌味に満ちた言い方に聞こえるが、咲季には全くその気がないのはわかっている。その世間に疎いようなところも、毎日替わる着物の柄も。彼女の家柄の良さを窺える。そういうところに身を置く少女は、ありとあらゆる知識に技術、礼儀作法を叩きこまれる。だから俺の風来坊な生活を本気で羨ましいのだと伝わって来た。

「お前の事情は知らないが、それでもここに来るくらいの自由はあるんだろ。その時間を参拝なんてものに充てず、もっと有意義に使ったらどうなんだ?」
「ええ? 私は時間を無駄にしているとお思いですか?」
「そこまでは言わんが……お前くらいの女子なら買い物をしたり友人とお茶をするほうが何倍も楽しだろうと思っただけだ」
「だからそうしてるんですよ?」
「あん?」
「ここには、私の友人がいらっしゃいますから。残念ながらお茶は出ませんが」

 咲季は笑みを浮かべたまま、こちらを見て首を傾ける。覗き込むような姿勢で見られて顔全体が熱くなるのを感じて、急いで顔を背けた。

「悪かったな、茶も出さずに」
「ふふ、冗談ですよ」
「……次は用意しておく」
「え――はいっ」

 咲季との交流は泰三の人生にとって一番癒される時間だった。彼女と話している間は空を見なくても心を落ち着ける事が出来る。そんな自分に戸惑いを抱えつつも、一ヶ月が過ぎても泰三は咲季との親交を深めていた。だが、それだけの時間が経っても、彼女は自分が何者なのか。どこの家のものなのか。そういう話はまだしたことがなかった。
 泰三も気にはなっていたが、自分から聞き出すことはしない。地位ある人間はありとあらゆる人間から恨みを買いやすい。それに悪党が弱みになる娘息子を捕まえて身代金を要求する可能性だってある。そんなリスクのある話題を興味本位で聞き出すのは礼節に欠けると考えていた。
 だけど、話せば話すほど確信を持てる。咲季は間違いなく令嬢だ。どこの誰かはわからないが、彼女を捕まえて金銭を要求すれば途方もない額を一瞬で手に入れる事が出来るかもしれない。だからこそ自分の身分を言わないよう、きつく躾られているのだろう。
 そう考えつつも他愛無い話を続けていると、咲季がおもむろに話題を振ってきた。

「気にならないんですか? 私の事が」
「なんだ気になるって。もしかして女として見て欲しいのか?」

 軽口で返してみたが返事がない。少しだけ憂いを帯びた表情で、上目遣いにこちらの顔を覗いていた。

「別に知る必要はないだろう。お前はお前だ。それ以上でも以下でもない」
「でも、私は嫌です。泰三さんに隠し事をするのは……」
「なぜ」
「なぜ? だって泰三さんは私の友達です。私はそう思ってます。だから友達に隠し事をするなんて、卑怯に感じてしまって……」
「ますますわからん。友達に隠し事をするのが卑怯な行為なのか」
「卑怯ではないですか。都合の悪い部分を隠して上面だけで仲良くするだなんて。それじゃあ相手を都合よく利用しているのと同じですっ!」
「‘日本国民’の考えそうなことだな。そうだな……それじゃあ仮にだが、俺がお前の親を殺したとしよう」
「え、いったい何を?」
「いいから、ただの戯れだ。で、お前はそれを伝えられず俺と仲良く過ごしていた。それを卑怯だと思うのか? 馬鹿正直にお前の親を殺したのは俺だけど友達だから正直に言っておく。と言われて納得して、友達のままでいられるのか?」
「それは……」
「確かに、親しい人間に隠し事を打ち明けるのは美徳だ。素晴らしい事だと思う。だが、打ち明けるには相手がいる。相手の気持ちがわからない以上、大事と思っている人間を傷つけるかもしれないのなら、黙っておくのもまた優しさなんじゃないか?」
「…………」
「あまり深く考える必要なねぇよ。大抵そういうのは言うべきタイミングが来る。そしたら話せばいい。タイミングが来ないまま死んでしまったら、それは言う必要のない事だったというだけだ」
「泰三さんはとても達観した考えを持っているのですね」
「爺臭いだけだ」

 ここまで生きていくのに泰三は汚いものを見過ぎていた。

 強盗。
 略奪。
 裏切り。
 そして、殺人。

 経済文明黎明期の闇に生きてきた泰三にはこうしたものは日常茶飯事であり、こんな出来事はとても人に胸を張って言えることではない。
 こうした汚い部分を隠して、泰三は咲季と関わっている。話をしながらその事にちくりと胸が痛んだ。

「言うべきタイミング、ですか。そうですね。それではその時が来るまで泰三さんには私のことを内緒にしておきましょう」
「本人に言うべきようなことか、それは」

 笑みを含みながら咲季に言う。
 可笑しな娘だ。
 どこか抜けているようで、時折聡明な顔を覗かせる彼女の表情に泰三は惹かれていた。彼女のまた同じように、こちらに好意を抱いてくれているのを感じていた。でもそれは境内でずっと空を見上げている泰三にだ。

 彼女に自分の汚いところを打ち明けたら、どんな表情を向けられるのだろうか。
 嫌悪か、恐怖か、それとも憎悪か。
 人を傷つけて日銭を稼ぐ。そんな人間にはどんな答えだって十分にありえる。こんな気持ちを咲季に打ち明けるタイミングなんて、本当に来る時があるのだろうか。

「名残惜しいですが、今日はそろそろおいとま致しますね」

 咲季は立ち上がり、泰三の前まで来ると深く会釈をした。

「なんだ。今日は随分早いじゃないか」

 いつもは太陽が赤くなるまでいるというのに――空を見上げると陽はまだ強く照っている。

「お父様から今日は早く帰るようにいいつかっているのです。何やら大事な仕事で帰れないようで、大事ないように家で大人しくしていろと言われていて」
「そうかい。それなら早く帰らないとな。仕事の邪魔をしてしまう」
「ええ。名残惜しいですが、そういうことですので……」

 もう一度会釈をした咲季はゆっくと境内を離れていく。
 本当に名残惜しいのか、こちらを何度も振り返り笑顔を見せる彼女は可愛いものだった。

 その日を境に、咲季は境内に来なくなった。
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