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♢『名残』(SIDE 吉住 純)

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~~~~登場人物~~~~


♢吉住 純(よしずみ じゅん)19歳

屋敷ゼミの大学生。屋敷教授が大好きでたまらない。
女の子にしか見えない小柄で可愛い男子。童顔で、色白。
肩まで長さのある髪は、毛先がくるりとカールした手入れの行き届いた艶髪。
女性に間違われることが多く、いつも取り巻きの男性がいるモテ男子。
校内でも有名な可愛い男子生徒。彼氏をとっかえひっかえしている。
屋敷教授に迫るも、いつもなかなか相手にしてもらえず、思い通りにならないことが珍しいため、躍起になって落とそうとする。


♢屋敷 比呂久(やしき ひろひさ) 文学部教授  45歳

有名な大学教授で、何冊も本を出版している。
出版社の女性担当者から言い寄られるほどのイケオジ。
細身の長身。フェロモン漂う大人の男。垂れ目、茶髪で緩やかなウエーブのかかった髪。
研究以外のほとんどのことには興味がない。


♢南川 梓(みなみかわ あずさ) 大学院生 24歳

男女ともにモテる人たらし。ふわふわと動きのある茶髪、クリっとした大きな目。可愛い系の顔で、明るく元気な性格。裏表のない、単純明快な性格、喜怒哀楽が激しく、ドジな一面もあり目が離せない。純粋で人を疑うことを知らない。素直で可愛いが、遥にだけは素直になれず口喧嘩ばかり。
幼い頃から本が好きな、文系男子。運動神経もよく、アウトドアも好きでアクティブ。
大学院で教授の助手をしながら、文学について学んでいる。




~~~~~~~~~~


♧『名残』(SIDE 吉住 純)





ずっと憧れていた。

教授のゼミに入りたくて、この大学を志望した。


屋敷 比呂久。


教授の全てが欲しいと思った。
それなのに。


彼には意中の相手がいた。


誰も気付いてないようだけれど、僕にはバレバレ。
屋敷教授は、南川 梓に惚れている。




馬鹿らしい。

あんな田舎っぽい童顔男のどこがいいんだ?

いつもニコニコ愛想を振りまいて、

誰に対しても優しく、無防備。

犬みたいに尻尾を振ってついてくる。

容姿だって、頭脳だって、平均点の、

特別秀でたものがない大学生。


あぁ、大学院生か。一応、僕より年上なんだっけ。




自慢じゃないけれど、
僕の人生は子どもの頃からずっと特別待遇だった。


容姿端麗。

女と間違われるほどスレンダーな身体つき、まつ毛が長く大きな瞳、薄いけれど形の良い唇。

それら全ては僕にとってただのコンプレックスだった。

小学生の頃までは、女の子と間違われることが、どんなに苦痛だったかわからない。


文武両道。

特に努力をしなくても、スポーツも勉強もなんでもできた。



「女の子みたい。」

「美少女アイドルでいけるよな。」

ーーーーー女みたいな容姿で悪いかよ、好きでこんな顔に生まれたんじゃない。


「頭が良い奴はいいよなぁ。」

「少しくらい運動神経が良いからって、調子に乗るなよな。」

ーーーーーこんな簡単なことができないなんて、ばっかじゃないの?



周りからの言葉は全て、耳障りに僕の神経を逆撫し、イラつかせた。

何をやっても羨ましがられ、持って生まれたものが違うからと妬まれる。


人なんて所詮、外見しか見ない。


中身が大事なんて偉そうに語りながら、実際は人間の内側なんて誰も見ようとはしない。

孤独でイライラした幼少期を過ごした僕に、ある日突然心境の変化が訪れた。



初めて恋をしたことがきっかけだった。






中学2年生の秋。
初めて人を好きになった。

同級生でも、先輩でも後輩でもなく、

僕が好きになったのは、15歳年上の男。


産休の女教師に代わって掛け持ちの担任になった、隣のクラスの教師だった。




「吉住、お前って結構そそっかしいよなぁ。」


のんびりとした口調で話すその教師は、今までのどの人間とも違い、僕の内側を見てくれた。

国語の教師。

穏やかで、怒ったところを見たことがない。
なのに、生徒から一目置かれている。
怒らせてはまずい人間、裏切ってはいけない人間として位置付けられている、そんな教師。


人は外見で判断されるものだと、そう思っていた僕にとって、

田中脩(たなか しゅう)というその教師は、異質な存在だった。


黒縁のメガネ、短いとも長いとも形容し難い中途半端な長さの髪、
ワイシャツの上にはいつも男子学生のような緩めの茶色いニットを着ていた。

のんびりした毒のなさそうな外見をしているのに、この男をなめてはいけない、怒らせてはいけないという、
本能的な緊張感を周囲に与えているように思えた。

中学生にもなると、クラスでやんちゃな発言をするバカが数人はいるものだけれど、
田中先生の前で彼らはいつもおとなしかった。

粋がって騒いでみても、いざ彼の前に立ち、一対一になると、沈黙してしまう。

黒縁メガネの奥の瞳はきっと笑っていない。笑ってるけど、笑ってないんだ。


人は、外見ではなく、人の中身を、本能的に察知してしまう。

そう実感した。初めての存在だった。


目が合うと、まるでナイフでも突きつけられているかのように、緊張して体がすくむ。

彼の存在感に飲まれているのだと、そう思った。





読書部という意味のわからない部活動の顧問をしている彼は、
図書館で静かに読書している部員たちを一周して眺めた後、早々に準備室に籠もっていつも静かに本を読んでいた

田中先生に近付きたい一心で、僕は読書部に入った。



「あんたのこと、もっと知りたい。」


放課後、田中先生に、率直にそう伝えた。

前置きも何も無い、直球の言葉。

憧れや好意というよりは、怖いもの見たさに近い感情だったと思う。


震える手をぎゅっと握りしめ、精一杯余裕のあるふりをしようとしたけれど、震えが声に出てしまった。


冬の乾燥した部屋。
古い校舎のストーブの音。
冬特有の、しんと静まりかえった、閉塞感。

まるで異空間にいるみたいだ。

先生と、僕だけの、二人だけの、切り取られた空間。


ストーブの上に乗せたやかんが、急かすようにカタカタと音を立てる。

少しずつ大きくなるヤカンの音に、僕はハッと目を覚ましたように視線を向けた。


先生の視線に耐えられなかった。

見つめ返す、彼の真っ直ぐな瞳。


本能的にまずいと、思った。恐怖にも似た感情と、敗北感が入り混じる。





「いいよ。」


しばしの沈黙の後、彼から返ってきた言葉の意味が、一瞬わからなかった。


「何が知りたい?」



意を決して一世一代の告白をした。

僕は、告白、のつもりだった。

愛の、告白。

もしくは服従の。





「何って、、」


拍子抜けして戸惑う僕に、


「じゃあ交換条件、」


彼は人差し指をこちらへ差し出して、含みのある笑みでこう言った。



「俺にも、お前の全部、見せてみて。」




僕はすぐに田中先生に夢中になった。


たまらなく気になる存在への感情は、勢いよく形を変えていく。

怖いもの見たさのような気持ちから、淡いけれど突如として暴力的に変化する強弱の激しい感情へと。


好きで、好きで、たまらなかった。

彼の一言一言が、どんなにありふれた言葉であっても

僕にとって深い意味を持ち、全てが嬉しかった。



彼の言葉は、詩のように繊細で謎めいていて、
その謎を暴いて欲しいと、僕に訴えかけているように思えた。

世界中でただ一人、彼にだけ注目していたかった。


彼は本当は、とても悪い男だったのかもしれない。

僕は弄ばれていたのかもしれない。

そうだったとしても、一向に構わなかった。


彼のおもちゃだとしても、一番のお気に入りとして、そばに置いて欲しかった。


それだけで、どんなに自分を誇らしく感じたか。




自分の価値は、相手で決まるのだと、そう思った。

自分にとって価値のある人間に、認められること、
特別に扱ってもらえること。


初めて感じた喜びだった。




「先生は、帰った後なにしてんの?」

田中先生は、謎の多い男だった。

生活感がまるでない。
学校を出たら、どこでどうしているのか、全く想像ができない。


「何もしてないよ。」

「どうして教師になったの?」

「成り行きってやつだな。」

「え、そこは普通、教育者になりたかった。とか、次の世代を育てたかったとか、熱血教師に憧れて、とか、言わない?普通。」

「人生ってそんな劇的なもんじゃないよ。」



ははは、と乾いた笑いで適当に返す、教師らしからぬ態度も、僕は大好きだった。

良いことばかりを並べ立てる嘘つきの大人より、ずっと良い。


正直で、生徒に対して取り繕ったり、
大人としての模範解答を明言したりということを、彼は一切しなかった。


生徒を思い通りにしようとして怒鳴ったり、社会のルールという大義名分によって制裁を与えたり、これが正しいという大人の都合による正義を振りかざしたり、普通の大人がやるような、教育にはまるで興味もなさそうだった。


当時の僕は、それが無責任のようにも、冷たく突き放されたようにも感じたけれど、
普通の大人、という枠にハマっていない彼の生き方が、彼らしさが、好きだった。



図書館の奥にある準備室は、たくさんの本と、本で埋め尽くされている机、
丸いす3つ、それに、長広いソファが一つ。

僕はいつもそのソファに腰掛け、先生は僕の隣で、ほとんど横になっているような体勢で本を読んでいた。

教師だってだらしない、ただの人間だからね。
咎めているわけでもないのに、彼は笑ってそう言った。

自虐なんかじゃなくて、ただありのままを表現している。そんな温度の言い方だった。




「純は名前の通り、純粋でいいね。」


純。

彼が、自分の名前を呼ぶたびに、

自分は特別なのだと証明されているような気持ちになった。


男か女かわからない見てくれの僕に、男か女かわからない名前。


大嫌いだった自分の名前が、急に特別な意味を持ったように思えた。



二人で過ごす、放課後のこの時間だけ、彼は僕を「純」と呼んだ。



「純粋なんて、言われたことない。」



どちらかというと自分は歪んでいて、あざとくて、小狡くて、嫌な人間だと思っていた。


容姿や、運動神経や、頭脳や、他の奴らとは違う、という上から目線の自負があったから。

そんな自分が大嫌いだった。思わず反論するような強い口調になる。



「純粋そのもの。」



クシャクシャと、先生の大きな手で頭を撫でまわされた。



「僕のこと純粋って思ってたら、大間違い。痛い目見るよ。」



「あって見たいもんだな。」



本に視線を戻し、まるでとり合わない先生に無性に腹が立って、気づくと

僕は先生に口付けていた。




ファーストキス。


初めての、キスだった。





「あ・・・」


そのキスに、なぜか自分が一番驚いて、赤面した。




「痛い目に、合わせてくれるんだろ?」




先生が僕の手をぐんと引いて、もう一度唇が重なった。




何が起きたのか分からなくて、僕は全身心臓になったみたいに、

ドキドキとうるさい鼓動の音に混乱していた。



「お返し。」



唇が離れると、なんでもないことのように、先生は笑いながらそう言った。



自分が犯してしまった罪が、先生からのキスで帳消しになった。


そんな気がした。



その日から、僕と先生は共犯者になったんだ。







先生は何を考えているのかまるでわからない男だった。

近づいてみても、距離が全く縮まらない。

キツネに化かされているような、掴み所のない男。



捉えようとして、じっと見つめても、その実態がどこにあるのかさえ、僕にはわからなかった。



普通の大人なら、僕がキスをしたことを、咎めたはずだ。

先生は僕が好きなんだろうか?


生徒にキスなんてされたら、普通は僕を自分から引き離そうと努力するだろう。

それが普通の大人だ。



僕の知っている「普通」の大人に、先生はまるで当てはまらなかった。

僕を咎めるでも、戒めるでもなく、先生は何もしなかった。何も変わらなかった。



僕の世界で一番強烈な存在なのに、
どこかへふいと居なくなってしまいそうな儚さが共存していて、
先生との時間は夢の中の出来事のように、いつも現実味がなかった。


どうしたら先生が僕の目の前に確かにいると証明できるだろう?なんて、バカなことを考えたりしていた。



「先生のこと、好きだ。」


ある日の放課後、いつもの準備室で僕はまた唐突に切り出した。



先生は一瞬だけ、本から視線を僕に移し、


「知ってる。」


そう言った。



そして何事もなかったかのように、読書を続けている。



僕は自分がまるで相手にされていないことに腹をたて、また先生に近づいた。



「生徒が告白してるのに、それだけ?」


「返事、したでしょ。」


「知ってる、って一言だけね。」


「好き、っていうのも一言だしね。」


「じゃあもっと言う!愛してる!先生のことが好きでたまらない!」




「知ってる。純のことは、全部ね。」


頭をポンポン、と撫でられた。





こういう時、先生はいつも満面の笑みで、

それこそ「純粋」という言葉がぴったりに思えるような笑顔で、僕を見る。



僕は赤面する以外、何の反論も出来なかった。


自分の邪心が恥ずかしくなるような、裏のない、心からの笑顔。


先生はいつも僕を夢中にさせておいてほったらかし。

僕は否応なしに自分自身と向き合う他なかった。




僕はどうして先生のことが好きなんだろう?


周りみたいにチヤホヤしてくれないし、僕を特別扱いはしてくれるけど、

僕と同じだけの気持ちを返してはくれない。


それでもそばにいることをよしとしてくれているし、いつも自由に発言させてくれる。


大人にとって都合の悪いことでも、自由に、僕が思うままに居ることを許してくれている。


咎めない。否定もしない。


僕は先生の前では、自分を取り繕うことなく、

虚勢をはって人を見下すような汚い気持ちを持たないで、普通でいられるんだ。



普通の、僕で。




僕は先生の前で、本当の自分でいられるということに気づいた。

それがどんなに自由で、素晴らしい瞬間なのか。


それを許してくれる相手がいることが、どれほど幸せなことなのか。





先生との時間は僕の卒業の日まで、続いた。


先生と過ごした時間が、僕の人生の中で、一番暖かくて素直な色をしていたことが、今も誇りだ。


あの瞬間は、誰にも奪うことができない。






僕は高校に入学してすぐに先生に会いに行った。

高校の制服姿を見せたかったから。


卒業して、元担任と元生徒という関係に変化したことで、僕は期待していた。


先生との関係が進展するかもしれないって。



僕は本当にただの純粋な子どもだった。






先生は僕たちの卒業と同時に、他校に転勤することが決まっていたらしい。


違う県の、違う学校。

まるで知らされていなかった。


僕と彼の関係は、あくまでも担任と生徒、というくくりで幕を閉じた。永遠に。



先生の連絡先さえ知らなかった。


そこに行けば会えると、そう思っていたから。


他の教師に聞けばどこの学校に行ったのか、知ることは出来ただろう。連絡することだって。


けれど、僕はそうしなかった。それが先生の、僕に対する答えだと思ったから。






なんとなく足が向いて、図書館の奥にある準備室に行ってしまった僕は深く後悔した。


二人の思い出がたくさん詰まった場所。


そこに先生が居なかったから。



涙が次から次へと溢れてきて、止まらなかった。

卒業式でも涙ひとつ出なかったのに。



先生のことが、たまらなく好きだった。


人生初めての失恋だった。






それから僕はまた、自分が自分でいられるという喜びを捨て去り、荒れた生活を送った。

先生からすんなりと卒業して、教えを大切に生きていけるほど、僕は強くなかった。


寂しくて、悔しくて、恨みがましい気持ちにさえなった。
結局、自分を受け入れてくれる人が存在するというのは、幻想だった。
あの時間は夢だったとさえ、思うようになっていった。




「純君、どうして、、私のことはどうでもいいの?」

僕は何人もの相手と関係を持つようになっていた。


「自分が僕の本命だとでも思ってた?」

ひどい言葉を平気で使った。



自分を裏切った誰かへの復讐のような気持ちで、人を傷つけていた。


容姿のおかげで、いつだって恋人に困ることはなかったし、
外見だけで僕を判断して、好きだと言ってくる連中には虫唾が走った。


僕の何が好きだって?


外見しか見ていないくせに。



傷つけてやりたい、という乱暴で歪んだ感情が僕の心を支配していた。

僕は純粋なんかじゃない。僕の心は醜い感情で満ちている。


これはきっと先生への復讐なんだ。







高校3年生になった僕は、進路に迷っていた。
正直将来なんてどうでもいいという気持ちだった。

人生なんてこの先もずっと、つまらないに決まっている。
そう思っていた。


塾で勧められた大学の紹介本を読んでいた時、
屋敷比呂久に出会った。


中学を卒業してからも、ずっと読書だけは好きで続けていた。

唯一、田中先生との繋がりを感じられる行為だったから。

本を読んでいる時、ふとそばに先生を感じることができたから。







屋敷比呂久。

文学の研究をしている彼の本を読んで、僕は彼のファンになった。

洗練された言葉選び、文の構成、物語のような創造性に溢れる世界観。

はるか昔の古びた文学さえも、彼が紡ぎ出す言葉の世界では、初めて目にするような新鮮な色が次々に生まれてくる。
純粋な気持ちで、彼を尊敬している自分に、驚いていた。


誰かを尊敬したり、憧れたり、近づきたいと思うことが、
また自分の身に起きたという事実に、純粋に驚いた。



彼は大学で文学部の教授をしながら、メディアにも多数出演している売れっ子だった。
彼の出版物は全て読み、志望校を彼の在籍する大学にした。

学力的には何の問題もなく、すんなりと志望校に受かった僕は、
倍率を物ともせず屋敷教授のゼミに入ることができた。


「屋敷先生、僕、先生に憧れてこの大学に来ました。」
言われ慣れている台詞なのだろう。


彼は驚くでも、恐縮するでもなく、なんの感情も感じられない言い方で、
「ありがとう。よろしく。」と儀礼的に言った。



屋敷教授の目が、田中先生に似ていることに、
僕はその瞬間に初めて気がついた。





僕は知らず知らずのうちに、田中先生を求めているのだと、そんな歪んだ解釈に打ちのめされて絶望してしまった。


手に入らないものにどうしようもなく焦がれる時、諦めきれない時、


どうやってその感情を処理すればいいのだろう?


全く見当がつかなかった。






「屋敷先生、僕の論文読んでもらえましたか。」

「あぁ、読んだよ。吉住、君は文章がうまいな。読みやすいし、難しい内容をわかりやすく説明することに長けている。」




僕は田中先生からしてもらえなかったことを、屋敷先生にしてもらおうとしているのだ。

僕を見て欲しい。

認めて欲しい。気に入って欲しい。求めて欲しい。






これはただの代行だ。そんな風に内省してみたけれど、自分のやるせなさを埋めることで僕はいつも精一杯だ。





「夏に新しい本を出版することになっているんだが、助手として手伝ってくれないか?」


屋敷先生は素っ気ないけれど、含みを持たせるような言い方が特徴的だ。



相手に気があるのではと、期待させてしまうような、独特の間。流し目。

意識してやっていることじゃないだけに、たちが悪い。


屋敷先生からこの言葉をもらった時、僕は達成感で胸がいっぱいになった。
自分が認められること、必要とされることが誇らしかった。


それなのに。



助手をするのは僕一人じゃないらしい。
それを聞いた時、僕は裏切られたような気持ちになって、他の助手たちを蹴落としてやろうと決意した。



どす黒い感情が、胸いっぱいに広がる。水に混ざったインクのように、黒くじわりと胸に波紋が広がっていく。



先生に必要とされているのは、僕一人だ。いつだって僕が一番。


そう思っていたかったんだ。







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