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♡『信頼』(SIDE 渡里 優羽)
しおりを挟む「抱いて・・・・」
どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。
その言葉を受けた仁の顔を見て、僕は激しく後悔していた。
彼がとても困った顔をしていたから。
「お前以上に魅力のある奴なんかいない・・・」
そう言って、きつく抱きしめてくれた。
仁の言葉に期待してしまった。
彼は蛍君じゃなくて、僕を選んでくれるんじゃないかって。
浅ましい。
自分には恋人がいながら、
蛍君から仁を奪い取ろうとするなんて。
仁の気持ちを試した、自分の浅ましさに嫌気がさす。
拓也さんが水沢さんとキスする瞬間を目撃して、
ショックだったのは確かだ。
平常心を失っていた。
夜中に仁を呼び出して、困らせて、
一体僕は何がしたかったんだろう。
僕を抱きしめたまま眠る、仁の顔をぼんやり見ながら
眠れない夜を過ごした。
パワフルにドラムを叩く彼の逞しい腕。がっしりとした広い肩幅。
精悍な顔立ち。長い睫毛。
筋肉質の彼の腰に腕を回した。ギュッと力を入れて抱きしめ返す。
今は全て、蛍君のものだ。
そう思うとたまらなく切なくなった。
生まれて初めて恋人が出来て、幸せな時間をたくさん経験して、
拓也さんに夢中なはずなのに、どうしてこんな感情を抱いているんだろう。
それでもふと、僕は思うことがあった。
僕は、仁のことが好きなのかもしれない。
仁だったらきっとこうしてくれる、わかってくれる。
そんなふうに、無意識に拓也さんと仁を比べている自分がいた。
はっきりそう自覚するのが怖くて、考えないように蓋をした。
曖昧にして、保留にしてあった気持ち。
拓也さんのことは大好きだし、信頼している。
そう思っていたのに。
僕の信頼はいとも簡単に崩れ去った。
「本当に平気か?」
仁は過保護だから、いつだって僕の心配をしてくれる。
それがどんなに特別で、ありがたいことだったのか、今の僕にはよくわかる。
自分のことを大切に思って、駆けつけてくれる人のありがたさ。
昨夜の大雨は見る影もない。
穏やかな朝の光に包まれて、何かが吹っ切れたような、そんな気持ちになる。
ホテルを出た瞬間、僕は信じられないものを見た。
息を吸うのも忘れて、目の前の光景に圧倒される。
「拓也さん・・・・」
「優羽・・・・お前・・・」
拓也さんが、目の前に立っていた。
僕の後ろから建物のゲートをくぐって出てきた仁と、
拓也さんが顔を見合わせて、一気に緊張感が高まったのを肌で感じた。
「あの・・・これは。」
「・・優羽、こっちに来い。帰るぞ。」
拓也さんは仁と数秒見つめ合った後、僕に手を差し出した。
「え・・??」
非難の言葉に身構えていた僕は、拍子抜けしてしまう。
「・・・・・優羽、またな。」
仁はそう言うと、僕と拓也さんを残してその場を立ち去った。
拓也さんは怒るでも、問いただすでもなく、
僕の手を取って歩き出した。
しばらくの沈黙の後、僕は意を決して最初の一言を吐き出した。
「何も・・・聞かないんですか?」
「何もって?」
「あんな場所から出てきたのに・・・」
僕だったらきっと、何も言わずにその場を立ち去ってしまう。
昨日の夜みたいに。
「何か訳があったんだろ。優羽が浮気なんてするはずない。」
彼は本当に少しの疑いもない様子で、潔く言い切った。
「なんで・・・そんなことわかるんですか?」
「お前のことを、信じてるから。」
目の奥が急に熱くなってきて、僕は気づいたらポロポロと涙を流していた。
「優羽・・・どうした?」
立ち止まって僕を心配そうに覗き込む拓也さんを見たら、ますます涙が止まらなくなる。
相手を疑うことしかできなかった自分が、信頼されているなんて皮肉な話だ。
「優羽、お前に話したいことがあるんだ。」
彼の言葉は何の曇りもなく、潔いいつもの口調そのものだった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「昨日千里がこの部屋にきた。」
彼の部屋で温かいコーヒーを入れてもらう。
初めてこの部屋に来た時と同じシチュエーション。
あの時のドキドキした気持ちを、鮮明に思い出す。
随分遠いところまで来てしまったような、やるせない気持ちが心を覆った。
「・・・はい。」
「俺と付き合っていた頃から、変な男に付き纏われていて、そいつが部屋にきたから避難させて欲しいと言われて、部屋に入れた。」
朝礼で仕事の引き継ぎをしている時と変わらない、淡々とした口調。
「・・・はい。」
「入れるべきじゃなかった。今は優羽がいるのに、あいつを助けようなんてその判断自体が間違っていた。悪かった。」
「・・・どうして・・・黙っていればわからないことなのに、言うんですか?」
わからなかった。
拓也さんは昨夜僕がここに来たことを知らないはずだ。
水沢さんの口から、僕に知らされたら困るから、わざわざ言うんだろうか。
僕は人を信用することが出来ない。
今回のことで、それに気づいた。
夜中に駆けつけてきてくれた仁の気持ちでさえ、試すようなことをした。
今の僕は嫌悪感の塊だ。
「大事な人を傷つけるのが嫌だから。」
拓也さんは真っ直ぐに僕の目を見つめて、そう言った。
「大事な・・・人・・・」
「昨日、帰り際、千里にキスされた。それは俺の落ち度だ。・・もうあいつとは関わらないことに決めた。」
「拓也さん・・・」
「優羽、悪かった。」
拓也さんは結局、僕がどうして仁とラブホテルに居たのかについて、
問い質すことをしなかった。
自分の過ちだけを白状し、真正面から謝罪して、
大切なものを扱う優しい仕草で、僕を腕の中に包み込んだ。
どうしたら、そんな風に誰かを信頼することができるんだろう?
僕を信頼してくれている拓也さんの腕の中で、目を閉じる。
彼の心臓の音を聞きながら、
頭の中は、仁のことでいっぱいだった。
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