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『愛を知らない男』
しおりを挟む彗は、完璧な男性だった。
人の心を捉えるのが、上手い。
彼を嫌いな人間なんて、この世には存在しないのではと本気で思うくらいに、私は数日で彼の虜になってしまった。
「繭さん、お腹空いてませんか?こんな時間ですけど、罪悪感の少ないデザートなら良いでしょう?」
夜遅くに帰宅した彼は、ひょっこりと人懐っこい笑顔で、私の部屋にやってきた。
糖質控えめのコーヒーゼリー。パティシエの夫、蘭に教えてもらって作ったのだという。
「ちょうどお腹空いてたんです、ありがとうございます。」
正式に夫婦になったとはいえ、まだ出会って数日。
まだ彼の手にさえ触れたことがない私は、夜に部屋で二人きりという状況にドキドキしてしまう。
「美味しいです・・!」
彼は、料理の腕も一流らしい。
食事の支度を手伝うと申し出た彗の手際の良さに、律や蘭が驚いていた。
煌大が欲しがっていたアトリエの机をDIYしたり、調子が悪かった洗濯機を直したり、本当に何でも出来る男だと、夫たちは絶賛している。
フットワークが軽く、細やかな気遣いが出来る彼に、私はその度に惚れ惚れしてしまった。
「彗さんって、何でも出来て、すごいですよね。何でも知ってるし・・・かっこいいです。」
「僕が?・・・嬉しいな。そんなふうに言われたのは、初めてです。」
意外だという表情で、こちらを見る彼の顔は、やはり美しい。
見つめられると、一気に鼓動が高鳴った。
「彗さんのこと、もっと知りたいです。」
大きな瞳に吸い込まれるように、見惚れてしまう。
一度目を合わせると最後、彼から目が離せなくなってしまうのだ。
「僕のことを、もっと知りたい?」
ふっと息を吐き出した彼は、試すように私を見る。
「僕は・・・元スパイです。自分のことを曝け出すのは、得意じゃない。」
彼の指が、私の頬に優しく触れた。
「あなたが僕の正体を・・暴いてくれますか?」
美しい、微笑み。
意味深な視線、含みのある声色。
彼の本心は完全に隠されていて、全く見えない。
彼が私に懇願しているようにも、私がただ揶揄われているようにも思える。
妻としてふさわしい女なのか、彼に試されているのかもしれない。
「何でも知っている・・ってあなたは言ってくれましたけど、僕は・・愛を知らないんです。」
「愛・・・?」
彼の指先が、ゆっくりと私の唇を撫でる。
「女性を愛したことが、ないんです。」
本当だろうか?
彼の言葉は、にわかには信じられなかった。
彼の本心は、いつも見えない。
「あなたが僕に、教えてくれますか?」
彼は私の手を取り、唇を優しく押し当てる。
全て見透かしているような、彼の視線。
私は身動き一つ出来ず、無心で彼の瞳を見つめ返していた。
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