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『寸止め』
しおりを挟む「きゃ~~!!!」
リビングの壁に止まっている虫を目にした瞬間、自分でも驚くほど大きな声が出た。
私は昔から、虫という生物が大嫌いだ。
目に見えないような小さな虫であっても、それが虫だと認識した瞬間、全身に鳥肌が立つ。
ソファーで本を読んでいた夫の大和が、私の声に驚いて振り返ったのが、視界の端に映る。
植木鉢を中庭に出すために窓を開け閉めしていたせいか、いつの間にか部屋に虫が入り込んでしまったらしい。
「虫くらい何だ。騒ぐなよ。」
大和が、呆れ顔でこちらへ近づいてくる。
「や、大和さん・・・・!」
「静かにしろって。」
捕まえようと彼が壁に手を伸ばすと、こちらへ飛んできた。
虫というのはどうして苦手な人間のところへ、飛んでくるのだろう。
「キャッ!!あ・・・・!!」
「危ない!おい・・・大丈夫か?」
思い切り足が滑って、大和を押し倒すように転んだ私を、彼は逞しい腕でしっかりと抱き止めてくれた。
至近距離に彼の顔があって、驚く。
「や・・大和さん・・・っ!!」
「繭、お前って本当にそそっかしいな。」
(大和さんの胸板、すごい・・・!!・・腕も・・太くて・・男らしい・・・!)
「危なくて、放っておけない。」
太くて低い、男の声。
荒々しい欲望を秘めた、射るような視線。
(ダメ・・離れなきゃ・・・っ)
新婚初夜、彼の横暴な態度に感じた恐怖心が蘇る。
私たちは未だに、わだかまりを消化出来ていない。
「俺が・・・怖いか?」
「こ・・怖くなんか・・・」
強がりだった。
自分とは全く違う、雄という生き物。
力づくでねじ伏せられれば、敵うはずもない相手だ。
「安心しろよ。取って食ったりしない。」
「大和さん・・」
「お前の気持ちは、わかってるつもりだ。・・俺に触れられるのが、怖いんだろ?あの夜は、俺が悪かった。反省してる。」
大和の態度が少しずつ変わっていると、夫たちから聞いていた。
謝罪の言葉を紡ぐ彼に、以前のような横暴さは微塵も無い。
「お前を、物みたいに扱ったりして、悪かった。」
真正面からまじまじと彼の顔を見ると、それだけで鼓動が高鳴る。
眉と目の距離が近く力強い視線、整った鼻筋。
見つめられると、緊張で身体が硬直する。彼から、目が離せなくなる。
いつの間にか私の肩に止まっていた虫を、彼は手のひらでそっと包むと、窓を開けて外へ逃した。
「虫くらい、俺がいつでも退治してやる。」
窓を閉めながら、彼は私の目を見てそう言った。
ぶっきらぼうではあるけれど、彼なりの優しさが見てとれる。
「繭・・・俺は、」
私が怖がらないように、と彼が気遣っているのがわかった。
ゆっくりと手を伸ばし、私の髪に優しく触れる。
少しずつ近づいてくる、彼の唇。
あと数センチでお互いの唇が重なる、という距離で、彼は動きを止めた。
「お前が許してくれるまで、何もしない。約束するよ。」
(え・・・!え~~!ここまで近づいたのに・・・キス・・・しないの・・・・!?)
彼の唇を知りたいと、思ってしまった。
寸止めされて、焦らされたような気持ちになる。
至近距離で見る、彼の骨ばった大きな手のひら、腕、精悍な顔立ち、唇・・・。
見れば見るほど、男らしい彼の肉体。
彼に怯えていたことさえ忘れて、欲しい、と思ってしまう私は、なんと現金な女なのだろう。
(大和さんと・・・キス・・・・したい・・・・かも・・・・っ・・どうしよう・・・・)
寸止めされ、知ることが出来なかった彼の唇。
潔く身を引いて、ソファーに戻った大和の後ろ姿を見ながら、私は真っ赤な顔で立ち尽くしていた。
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