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music.5 あんかけ焼きそば
しおりを挟む悔しいけれど、美雨音 三幸の才能は本物だ。
人をボロクソにこき下ろすだけの権利が、彼にはある。
陸はバイトの間中ずっと、三幸のことを考えていた。
彼と暮らす部屋のドアを開けると、心臓を鷲掴みされるような音に包まれた。
三幸の奏でるピアノ。
何度聞いてもその旋律の美しさに、驚いて身が縮み上がる。
彼の紡ぎ出す悲しい旋律。
ピアノってただの楽器じゃないんだ。
この部屋で彼のピアノを聴くたびにそう思った。
まるで武器みたいに乱暴に心を痛めつけられたり、
大自然のエネルギーみたいに身体の隅々まで癒されていったりする。
ピアノはただの楽器じゃない。
彼のピアノは聴いてるだけで、心にエネルギーを与えたり、奪ったりするから、とても素晴らしいものにも、恐ろしいものにも姿を変える。
こんな風に聴いている人間に影響を与えるような音楽が、自分にも生み出せるだろうか?
いつも自問自答する。
悲しい旋律が徐々に恐ろしく強大な悪のパワーに満ち満ちて行って、
愛のエネルギーに出会い、癒しへと塗り替えられていく。
彼の音楽には壮大な物語がいつもあった。
「おい、帰ってきたなら声かけろよ。」
突然プツリ、と音楽が途切れる。
三幸が眉間にシワを寄せて、こちらを睨んでいた。
「ご、ごめん。その曲、もう少し聴いていたくて。」
「こっちは誰かと一緒に暮らすことに慣れてねぇんだ。いきなり部屋に人が立っていたら気味悪いだろうが。」
彼の言うことも一理ある。
急に後ろに誰かが立ってたら確かに怖い。
それでも、最後まで聴いていたい。
この物語がどこへ辿り着くのか見届けたいと思わせる魅力が、彼のピアノにはあった。
とんでもなく広いリビングの一角にドンっと置かれた大きなピアノ。
グランドピアノがリビングにある家ってどんなだよ。
初めてこの部屋に来たとき、スケールの違いに驚いた。
彼は有名なピアニストで、作曲家で、プロデューサー。
俺とは住む世界が違う。
この部屋はメゾネットタイプで、一階はリビングとキッチン、二階には俺たちそれぞれの寝室と、楽器がたくさん置かれた部屋がある。
トイレとお風呂は一階にも二階にもある。こんなでかい家、TVでしか見たことがない。
本当にこんな家に住んでいる人間がいるんだな。そう思った。
「三幸って、いつから一人暮らししてんの?」
冷蔵庫を開けて、帰りにスーパーで仕入れてきた食材を詰め込む。
朝晩の二食、三幸にきちんと食事を作って栄養と摂らせること。
これも社長から言いつけられた、ここに住まわせてもらうための条件。
ばあちゃんが歩けなくなってからは、家事は俺がほとんどやっていたから、
料理にはそこそこ自信があった。
人生役に立たないことはない。なんでも経験。
ばあちゃんがよく言っていた言葉は本当だと思う。
「ずっと一人暮らし。」
「学校出てからってこと?」
彼の経歴は一通り調べた。
ネットで調べた情報では父親は有名なピアニスト、母親は有名なバイオリニスト、のサラブレットらしかった。
それ以外の記述は、何もない。学校やその後の経歴などは何も書かれていなかった。
「ずっとだよ。」
うるせえな、と一蹴されて、俺はそれ以上踏み込むことが出来なかった。
「今日の晩飯、あんかけ焼きそばにしようかなって思うんだけど、好き?」
誰にでも触れられたくない過去がある。
その気持ちが俺にはよくわかるから、めちゃくちゃ気になるけど、そっとしておくことにする。
「あんかけ焼きそば?あ~?食ったことねえわ。」
「え?!嘘だろ?!」
「いや、食ったことねえよ。そんなにメジャーな食いもんじゃねえだろ。」
ピアノから離れてリビング中央のソファーにどかっと腰掛けた三幸は、雑誌を手に取りながら後ろにあるキッチンを振り返る。
あんかけ焼きそばは、俺が一番好きな食べ物だった。
俺が小さい頃から、ばあちゃんがよく作ってくれたから。
「え、メジャーだよ。一週間に2、3回は食うくらい、メジャーな食べ物だよ!!あんかけ焼きそばがなかったら、俺はここまで成長できてないってくらい、重要なメニューだし!」
俺の熱弁に、三幸が急に破顔する。
「お前必死すぎ・・!そんなに好きか?あんかけ焼きそば。」
あはは、と声を上げて笑う彼の顔に、悔しいけれど俺は見惚れてしまった。
手に持っていたキャベツを台に落としてしまうくらいに、衝撃的な光景だった。
三幸がいつもの仏頂面からは想像も出来ないくらい、爽やかで綺麗な笑顔だったから。
「好き・・だよ。あんかけ焼きそば。つか、絶対三幸も好きになるって!俺のあんかけ焼きそば食ったら。」
ドキドキした。
こんな風に笑えるんだ。
いつもはめちゃくちゃイライラしてて、この世の全てを憎んでるみたいな表情をしているあいつが。
「じゃあ、お前のあんかけ焼きそばで俺を虜にしてみ?自分でハードルあげてるからな、お前。」
美雨音 三幸という男は、全く読めない男だった。
突然そんな笑顔見せられたら、びっくりするだろ。
俺はいつまでもおさまらない暴れ回る心臓の音を聞きながら、彼の後ろ姿を見つめていた。
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