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角さんにささげる詩(ウタ) ①
しおりを挟む第一話
関西の「興信所・探偵社」の業界では「知る人ぞ知る」という存在だった角善次郎さん。
角さんに関しては、在職中に複数の上司から何度も何度も言われた言葉がある。
「角さんは調査業界では知っている人は知っている、知らない人は知らない」
当たり前である。
イッパシの大人がこんなわけの分からない言葉を遣うものじゃない。
何度聞かされても、彼らの言おうとしている意味が私には伝わってこなかった。
要するに、「あまり知られていないが、知っている人は高い評価を与えている」ということを言いたかったのかも知れない。
私はその都度、「はあ、そうですか。じゃあいろいろ教えていただきます」とあやふやな返事をしたものだった。
結論からいうと、私が角さんの凄さを知るのには随分と時間がかかった。
その原因について今振り返れば、彼から調査に関する指導を具体的に受けたことがなかったからではないかと思うのだ。
角さんは私と同じ内偵担当だった。
内偵とは要するに個人信用調査や企業調査、所在調査などを担当する部署である。
彼の専門は企業調査と結婚調査だった。
私が入社した時彼は五十九才で、還暦を迎える少し前、風貌は作家の大江健三郎氏に酷似していた。
取材のあと、依頼人に渡す調査報告書を万年筆で書いているサマは、まるでベテラン作家を彷彿させた。
私がいた調査会社では定年は六十才だが、再雇用制度があり、嘱託の待遇で彼は六十九才を過ぎるまで内偵担当の調査員として従事した。
その年令を「じいさん」と呼ぶのは不適切かも知れないが、ひとり暮らしのためか、身なりをあまり構わないところがあり、また髪の毛も真っ白だったため、見た目は老人のようであった。
角さんは私生活についてはあまり多くを語らなかった。
社内にいる時は仕事以外の話をすることは殆どなかったが、時々部長らと仕事のあと食事を同席する機会があり、意外にも話題が豊富なことに驚いたものだ。
ひとり暮らしの角さんの家にお邪魔したのは、会社で不要になった事務机と椅子を彼の家に運んだ時が最初だった。
大阪市内の新幹線の高架近くに所在する角さんの家は、木造二階建のちょっと古い一戸建で、名義は親戚のものだと言っていた。
家賃などを支払わない代わりに、角さん宅の隣に親戚が所有しているという木造アパートの管理を頼まれていた。
要するに毎月の家賃集金と簡単な掃除である。
初めて角さんの家に上がった時に感じたことは、「寒々としたお宅だなあ」という感情だった。
生活臭が全くしなかったのだ。
住居は二階建だが、一階部分を主に暮らしの場としているようだった。
そこにはコタツが真ん中に置かれ、大きなテレビが隅にあり、数冊の本が無造作に散らばっていた。
さらに二階の二部屋を見せてもらった時は、あまりにも殺風景な部屋の雰囲気に驚いた。
高齢男性のひとり暮らしの部屋というものは、息遣いのない寒々としたものを感じさせるのだろうか。
このような居住空間に彼は長年暮らしていた。
角さんは婚姻歴がないわけではない。
兵庫県の日本海側に所在する小さな町で生まれ、戦前は学徒動員で学業を阻まれ、戦後は生きるために上の学校へは進まず大手化学会社に就職した。
生来が地味な性格で、読書や釣りを趣味とし、自由気侭な生き方を好んだようだが、親戚の勧めで見合いをして、特に好みのタイプではなかったが結婚してしまったと角さんは語っていた。
なぜ調査業界に入ったかに関しては明確には知らないが、もともと企業というものに興味があり、独身時代から自分が勤務していた化学会社の株を購入するなど、株式投資を行っていたところ、企業調査会社の求人を見て躊躇なく飛び込んだということである。
その時の年令が二十代後半と聞くので、私が調査会社に入った時、既に三十年もこの業界でメシを食っていたことになる。
だから複数の上司から、「角さんは調査業界では知っている人は知っている、知らない人は知らない」という言葉が出るのはごく自然なことだったのだ。
角さんの存在は、相変らずダーティーで胡散臭い「興信所・探偵社」の業界にあって、知名度の問題ではなく、彼と接触したことのある人は、おそらく皆が彼の調査手腕を確実に認めていたからである。
さて角さんは結婚後、妻との間に一男一女をもうけて、前述の住居で結婚生活を営んだ。
彼の奥さんはかなりやり手の看護婦さんで、私が聞いた時は某総合病院の婦長を務めているとのことだった。
やり手の看護婦長といえば、気が強くしっかり者と相場が決まっている。
交友関係も広く、おそらく社交的で口数も多い女性なのだろうということは想像に難くない。
反して角さんはどちらかといえば無口である。
仕事では取材などで抜群の行動力と話術を発揮するが、元来があまり自分から積極的に話しかけるタイプではない。
中高年の健康ハイキングなどアウトドアは毛嫌いしており、もっぱら読書や俳句を詠むのが好きなのだ。
そしてさらに決定的にいえることは、角さんの頑固さは半端ではなかった。
このような夫婦がうまく行くはずがない。
大昔の米ソ冷戦時代のように冷え切った夫婦関係が続いていたようだ。
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