DJウコンちゃん

Pero

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DJウコンちゃん ⑧

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       八

 園田駅で降りたとき、時刻はもう午後十時半を過ぎていた。
 ウコンちゃんの住む町への最終バスが、まるで僕を待っていたかのようにポツンと停まっていた。

 明子はどこに行ってしまったのか分からない。
 自分が犯したミステイクなのだから、明子が許してくれるまで普段の日常を送りながら、ジッとアパートで帰りを待つべきなのだが、寂しさに勝てなかった。

 昔からそうだ。

 両親や弟や妹と同じ屋根の下で暮らしていても、僕はフトした瞬間に猛烈な寂しさに襲われ、自転車に乗ってあてもなく彷徨い、友人の家を夜遅くに訪ねたりする妙な癖があった。

 寂しさに耐える力が自分にはゼロなのだと思った。

 そんなことを考えているとバスの発車ブザーが鳴り、ドアが閉まった。
 その音に僕は我に返った。

「自分はいったい何をしようとしているんだ?どうかしている」

 だが、夜のバスはためらいもなく暗闇を走り抜け、ウコンちゃんが住む町のバス停に静かに止まった。

 バスを降りて商店のないアーケードに入ると真っ暗闇で、眠りに入った家々からの寝息が暗闇に浮かんでいるような気がした。

 ウコンちゃんの家の前に立ってドアをコツコツと叩いてみた。
 だが、しばらく待っても応答がなかった。

 見上げると、二階のベッドのある部屋の電気も消えていた。
 こんな時刻だからもう寝てしまったのだろうか。

 ここまでやってきたのだから、少しだけ顔を見て「やあ、元気?」とだけ言って、それからT駅のアパートまで歩いて帰ろう。
 四時間も歩けば帰れるはずだ。

 僕はしばらくそんなことを考えていたが、そのあと入口の横にあるゴミ箱の上に足をかけて、壁を這っていた細い水道管になんとか掴まって上がった。

 そして以前は店舗だった部分の幅の狭い屋根に這い上がった。

 屋根の上の土埃で茶色に汚れた服の埃を払いながら立ち上がると、ようやく二階の窓のあたりに顔が届いた。
 窓の向こうにはウコンちゃんのベッドがある。

 窓をコツコツと軽く叩いてみた。

 まるでオリビアハッセーとレナードホワイティングの映画「ロミオとジュリエット」のワンシーンみたいだなと思ったとき、窓が少し開いてウコンちゃんの顔が見えた。

「こんばんは」と僕は言った。

「福地君、なんばしとるね?ちょっと待って、今すぐ玄関を開けるから気をつけてゆっくり降りて!」

 ウコンちゃんは大きな目をさらに大きくして驚いた。

「玄関、開けなくてよかよ。ここから入るけん、いいやろ」

 僕は窓をもう少し開けて、両手に精一杯の力をこめて自分の身体を引き上げた。
 思ったより簡単に窓に身体が乗っかり、そのまま部屋に滑らせた。

 途中で脱ぎ捨てた靴が店舗の屋根で跳ねて一階のゴミ箱の上に音を立てて落ちた。
 部屋の中に身体を入れると一回転してベッドに仰向けになった。

「馬鹿よ、福地君」

 そう言って、ウコンちゃんは僕の身体に覆いかぶさってきて、それから声をあげて泣きはじめた。

「ちょっと待って、服が汚れとるけん」

「そんなこと、どうでもよか。ウチ、嬉しか~」

 どうしようもなく馬鹿なことをしていると思いながらも、僕はウコンちゃんの震える身体をきつく抱いた。


 翌日、僕は一週間前の月曜日と同様に、ウコンちゃんと一緒に仕事に向かった。
 昨夜は彼女のベッドでずっと抱き合ったまま寝た。

 僕は明子がいなくなってしまった空虚を埋めるためにウコンちゃんを腕に抱いていたが、彼女はどんな気持ちで夜明けまでの時の刻みを感じていたのだろうと思うと、真夜中の窓からの訪問者なんて、平面な文字だとロマンチックと言えるのかも知れないが、単なる自分の意のままの行動に過ぎず、考えれば考えるほど恥ずかしく思うのであった。

 家を出てから、ウコンちゃんは僕の右腕を抱くようにして歩き、バスを待っている間も離そうとしなかった。

 真夜中の訪問者への強い信頼感が、腕を取るという彼女の行為に明らかに表れていた。
 それは嬉しくもあったが、同時に戸惑いに似た感覚をでもあった。

 園田駅で阪急神戸線に乗り、ウコンちゃんは西中島南方で下車し、僕は梅田まで出て地下鉄御堂筋線に乗るのだが、御堂筋線は西中島南方で連絡しているので一緒に降りた。

「どげんしたと?」

「ここからも御堂筋線、つながっとるばい。ちょっとまだ時間があるやろ。喫茶店に入ろうっちゃ」

 駅の近くの小さな喫茶店に入った。

 ウコンちゃんの信頼度が急速に上昇しているのは分かるが、僕だって彼女といる時間の心地よさを捨てられないだろうと思った。

「今日も昼から書類集めに来るっと?」

「うん、それがどげんしたの?」

「いや、また顔を見れるから、そう思っただけやけん」

 ウコンちゃんはコーヒーカップを持って、「フー」と二度ばかり冷ましてから一口だけ飲んだ。
 その仕草がすごく可愛くて、僕は自然と笑顔になった。

「何笑っとると?」

「笑っとらんよ、コーヒー飲みよる仕草が可愛いから」

「何よ、そんなこと言って。どうするん?」

「何が?」

「ウチらふたりのこれからのことよ」

「うん」

 僕は黙る。黙るしか術はなかった。

 今の自分の立場からどんな言葉をウコンちゃんに伝えたところで、それはおそらく彼女にとっては遠くの鳥のさえずりくらいにしか感じないだろうし、明子への培われた愛情とウコンちゃんへの気持ちとは別の種類のものであるのは分かっている。

 うまく自分の気持ちを伝える自信がないから黙るしかなかった。

「黙ってるってずるい」

「うん」

「彼女のこと、どうするんね?」

「ちゃんと考えるばい」

 私こともちゃんと考えて欲しいと、きっとウコンちゃんは言うだろうと思っていたが、意外にも返ってきた言葉は「約束しとるんなら守らんといけんよ」だった。

 確かに明子の父親から「娘をよろしくな」と、ヤクザの親分みたいなドスの利いた言い方をされたり、彼女の兄からも「結婚は慌てることはない。
 ちゃんとしたアパートに住んで、電話を引いて普通の生活ができるようになってからや」と前に言われたことがある。

 普通の生活とはどういう暮らしを指すのだろうと、天邪鬼な僕は言葉にこそ出さなかったが、「今でも普通の暮らしではないのか」とこころで反発したものだった。

 結婚の約束?

 考えてみれば結婚の約束なんかしていないと思った。
 付き合いを認めてくださいと明子の両親や兄などに伝えたことはあるが、結婚したいという意思は伝えていない。

「何考えとるん?」

「いや、いろいろとね。行こうか」

 ウコンちゃんと別れて地上を走っている地下鉄に乗り、ああ一週間がまたはじまったんだと思うと憂鬱になった。

 ともかく、しばらく明子から会社に電話がかかってくるのを待とうと思った。

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