DJウコンちゃん

Pero

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DJウコンちゃん ⑥

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        六

 午前十一時を過ぎてようやく僕は心斎橋の事務所に出勤した。

 自分の席に着くと、「ちょっと福地君」と伊野支店長に隣の応接室に連れて行かれた。

「まあ座れや」と支店長は笑いながら手で示し、僕は怒られるのを覚悟してゆっくりと腰をおろした。

「遅刻と連絡が遅かったことは別にかまへんねん。君もまだ若いし、誰でも若いときはそんなもんや」

「はい」

「そやけどな、君の彼女と思うけど、ビルの前に立ってたんや。何とも言えん悲しそうな顔をしてな」

「はい」

「ちょうど、出勤途中に駅を出たところで田中と会うてな、一緒にビルに入ろうとしたら、その彼女JBKの会社の方でしょうか?って訊いてきたんや」

「そうなんですか、すみません」

「それでな、そうですけどって返事したら、福地が昨夜帰ってこなかったものですから、ここで待っているんですと言うんや。はは~んと思ったが、ともかく出勤したら連絡するように伝えますと言うたんや」

「すみません」

「そしたら彼女、お願いします言うて自分の会社へ行ったから、君な、電話してあげなアカンで」

 僕は伊野支店長にお礼を言い、深く頭を下げて席に戻った。

 昼休みの時間になって、明子の会社に電話をかけた。
 交換手が彼女の部署につなぐと、昼休憩にも行かずに待っていたかのように明子が出た。

「ゴメン、許してくれないやろうね。何も言わずに帰らなかったんだから」

「今日は帰ってくるの?」

「帰るよ、帰っていいのだったら」

「それやったら許す。晩御飯作っとくから」

 それだけの会話で「じゃ」とお互いに言い合って電話を切った。

 電話を切ったあと、山から流れ落ちて海に注ぐ川には本流と支流があるが、明子はやっぱり本流なんだと、バカみたいな思いが頭に浮かび、「僕はどうかしてる」と思った。

 午後からは仕事に集中することで余計な思いを振り落としたかったが、やっぱり明子に昨夜はどこにいたかをうまく嘘をつけないと思うと憂鬱な気分はずっと続いた。

 そうこうしているうちに午後三時を過ぎて、この日は月曜日だったのでウコンちゃんが書類を集めるためにやって来た。

 つい五、六時間前まで一緒にいた彼女が、「こんにちは~。お疲れ様です~」と言いながら事務所に入ってきたとき、たった一日一緒に過ごしただけなのに、彼女はもう僕には特別な存在のように思えた。
 それが川に例えたとして、本流ではなく支流であったとしてもだ。

 田中係長から先週後半の分の書類を受け取ったあと、ウコンちゃんは僕の横に来て「ご機嫌いかが~」と言うのだった。

「ご機嫌?複雑だな」と僕は咄嗟に返事した。

「なんばしよったと?」

「えっ?」

「違う、どうしたの?」

「どうもしとらんけん。いや、何にもないよ」

 同僚の太田が、僕とウコンちゃんの会話を聞いて不思議そうな顔をしていた。

 ともかくこの日は仕事を定時で終えてアパートへ真っ直ぐ帰った。

 JR東海道線のT駅からアパートまでの道が、これから処刑場へ連れていかれるような絶望的な気分とは大げさとしても、裁判にかけられる被告のような気持ちだった。

 部屋に入ると明子はキッチンに立って料理を作っていた。
 弟は小さなテーブルの前に座って本を読んでいた。

 気まずいながらも「ただいま」と言うしかなかった。

「おかえり、もう少し待って、今すぐできるから」

 明子は一昨日までと特に変わった態度を見せず、少し笑って言うのだった。

「兄貴、どこに行ってたと?明子さんと駅の改札口のところで、最終電車まで待っとったのに」

「亮ちゃん、ええのよ、もうええからご飯食べよう。アンタも早う着替えて座って」

 明子はテーブルに鶏の唐揚げとサラダなどを並べはじめた。

 僕は二日間着続けて汗臭くなったシャツとヨレヨレのズボンを脱ぎ、「ゴメン、床屋に行くというのは嘘や、それは謝る。京都に住んどる大学のときの友達の家を訪ねて、ちょっと帰れんようになってしもうた」

「フーン、急に行くことになったとね?」

 弟はご飯を食べはじめながら不満そうに言った。

「急やったけん、仕方なか」と僕は返事して、テーブルの前に座った。


 明子も横に座り「まあいろいろあるんやろ、あとでゆっくりと聞くから。さあ、食べよう、今日は疲れたわ」と明るく言うので、ともかくは救われた気持ちになった。

 明子は食事中も昨夜のことには触れず、大学の下見を終えた弟が明日佐賀に帰ることになったから、「こいさん」という饅頭を両親への大阪土産にと買ってきたことや、来年の受験の際は、またここに泊まればいいなどとアドバイスをしたり、穏やかな表情だった。

 晩御飯を食べ終えてから、弟が「駅前の本屋を覗いてから銭湯へ行く」と言って出かけた。

 おそらく僕と明子が話をするふたりだけの時間を作ろうとした気遣いに違いなかった。

 僕はお茶を啜りながら明子の言葉を待った。
 だが、明子は何も言わずにアイロンをかけはじめた。

 居たたまれない気持ちを断ち切りたいため、「怒ってないのか?」と僕から切り出した。

「友達のところに泊まったんやろ?」

「そうや」

「ほんなら、別に怒ることはないよ」

「最終電車まで、ずっと駅で待ってくれたんか?」

「そうや」

「悪かったよ、本当に。謝るけん」

「弟さんに謝ってやって。私のこと、ずっと心配してくれたから」

 明子はそう言って「ウチらもお風呂行こうか」とアイロン台を片付けて支度をはじめた。

 翌朝、三人一緒にアパートを出た。

 高速バスで九州に向かう弟とは大阪駅で別れ、地下鉄御堂筋線の本町駅で明子は降り、僕は心斎橋駅で大勢のサラリーマンやOL等とともに地上へ出て、普段と変わりのない日常がまたはじまった。

 そしてその夜、今度は明子がアパートに帰ってこなかった。

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