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DJウコンちゃん ②
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二
約束の日曜日、前日から僕の弟が大学の下見に佐賀から出てきてアパートに泊まっていた。
アパートの狭い四畳半の部屋に明子と弟と僕の三人が、ひとつの布団で文字どおり川の字になって寝た。梅雨明け宣言がされた暑い七月だったからまだよかったが、冬だとしたら風邪を引くだろう無茶な三人寝だった。
それくらい僕と明子は親密だったし、弟も明子とはすでに義姉弟みたいな感覚だったようだ。
約束の日曜日、僕は明子と弟に「ちょっと床屋に行ってくる」と言ってアパートを出た。
休日に明子と弟を残して出かけることに、もっと真っ当な理由があった気がするが、僕はグズグズと当日の朝まで悩み続けた結果、「床屋に行く」なんていう、まったくあと先を考えないことを不意に言ってしまったのだ。
仕事中はウコンちゃんのことばかり気になっていたとしても、アパートに帰れば小さな卓袱台にちょこんと並べられた明子の可愛らしい手料理を見ると、ウコンちゃんとの約束なんて絶対に破るべきだと思いつつ、仕事に出ればウコンちゃん、帰れば明子といったこころの移り変わりに、優柔不断にも断る機会を逸してしまった。
男の風上にもおけないと自分を嫌悪したりもするが、約束の日はやってきた。しかも朝からバカ陽気。
午前十一時の約束の時刻よりも少し早く、阪神百貨店の地下にある阪神電車の梅田駅改札口近くに僕は立った。
デートの待ち合わせなんて本当に久しぶりで、こころが妙にときめいたが、それよりもこれがデートと呼べるのだろうかと、やや理性的な思考に入っているうちに視界にウコンちゃんが飛び込んできた。
「来たんだ~」
いきなりウコンちゃんは言った。
「来たんだ~はないんじゃないか?約束してたんだし」
地下の売り場に入って、奥にあるエレベータ乗り場の方へ肩を並べて歩いた。
彼女と並んで歩くのも、もちろん初めてのことだ。小柄な僕の首のあたりにウコンちゃんの目が位置していることが意外に思えた。
普段は僕が座った状態で彼女が立った位置で言葉を交わすものだから、ウコンちゃんの身長のことはこれまで気にとめなかったのだ。
「ウコンちゃん、今日は背が縮んだみたいだね」
「どういうこと?」
「いつも僕を見下ろしている感じだけど、並んで歩くと僕より低い」
僕は意識的に笑って言った。
「そりゃそうよ。仕事中はハイヒール履いているんだから」
ウコンちゃんは「フンッ」といった顔をして、背丈のことでムキになった感じがした。
ちょうど開いたエレベータに乗り込むと、休日のお昼前ということもあって、乗っていた人のほとんどが八階のレストランフロアで降りた。
「福地君は何を食べたい?」
ウコンちゃんはプライベートな日でも僕を君呼ばわりした。
「食べたいとリクエストしたものをご馳走してくれるの?」
「もちろんじゃない、私が誘ったんだから」
僕はウコンちゃんの目を覗き込むように見た。
「何よ?」
「その先輩風をビューって吹かすウコンちゃん、いいな。いや、ウコン先輩、割り勘にしましょう」
しかし返事もなく、素知らぬ顔をして歩くウコンちゃん。そのあとを追うように続く僕。
結局、いくつかの店のメニューを見て回ったあと、ハンバーグが食べたいという僕のリクエストから、ステーキレストランへ落ち着いた。
「ステーキでもいいのよ、たいして値段は変わらないんだから」
「ハンバーグが食べたいんだ、本当に」
実のところデパートのレストランなんて初めてなので、あまり居心地が良いとは言えなかった。でも目の前には憧れのウコンちゃんが座っており、彼女を見ているだけでこころに爽やかな風が漂ってきた感覚になった。
明子のことが少し気になったが、このときは深く考えなかった。ゆっくりと食事をしながら、お互いの故郷のことや大阪に出てきてからのことを交互に喋った。
「田舎がダムに沈んでしまうんだ。小学校も中学校も、みんな湖の底に消えるって残酷だ」
「うちは菊池川の近くで農業よ。もう有明に注ぎよるところ。うちんちは家族や親せきが食べる分だけしか作ってないけんね」
「注ぎよるところって、菊池川の河口近くってこと?」
「そうそう、もう有明海たい」
「田舎、たまに帰るんか?」
「あんたは?」
「帰らんな。帰るといろいろと変わってしもうとるやろから、それ見るんが辛かやけんな」
「なんでんかんでん変わっていくっち」
自然と故郷の言葉が混じってくるのは、佐賀と熊本といっても、ウコンちゃんの玉名は福岡との県境にあるし、僕の田舎も福岡に近いから似たような言葉だからだ。
「ウチに来る?」
レストランを出て、大阪駅方向にかかる大きな歩道橋の上で、急にウコンちゃんは言った。
「尼崎に住んでるのよ。園田の駅からバスに乗るんだけど。福地くん、誰か待っている人がいるの?」
ウコンちゃんの誘いを断れなかった。僕はすでにウコンちゃんの世界へ飛び込んでしまったような気がした。
何時間床屋で髪を刈ってもらっているんだろうって、明子は思っているかなと一瞬だけ後頭部を掠めたが、僕はウコンちゃんと肩を並べて阪急電車に乗った。
約束の日曜日、前日から僕の弟が大学の下見に佐賀から出てきてアパートに泊まっていた。
アパートの狭い四畳半の部屋に明子と弟と僕の三人が、ひとつの布団で文字どおり川の字になって寝た。梅雨明け宣言がされた暑い七月だったからまだよかったが、冬だとしたら風邪を引くだろう無茶な三人寝だった。
それくらい僕と明子は親密だったし、弟も明子とはすでに義姉弟みたいな感覚だったようだ。
約束の日曜日、僕は明子と弟に「ちょっと床屋に行ってくる」と言ってアパートを出た。
休日に明子と弟を残して出かけることに、もっと真っ当な理由があった気がするが、僕はグズグズと当日の朝まで悩み続けた結果、「床屋に行く」なんていう、まったくあと先を考えないことを不意に言ってしまったのだ。
仕事中はウコンちゃんのことばかり気になっていたとしても、アパートに帰れば小さな卓袱台にちょこんと並べられた明子の可愛らしい手料理を見ると、ウコンちゃんとの約束なんて絶対に破るべきだと思いつつ、仕事に出ればウコンちゃん、帰れば明子といったこころの移り変わりに、優柔不断にも断る機会を逸してしまった。
男の風上にもおけないと自分を嫌悪したりもするが、約束の日はやってきた。しかも朝からバカ陽気。
午前十一時の約束の時刻よりも少し早く、阪神百貨店の地下にある阪神電車の梅田駅改札口近くに僕は立った。
デートの待ち合わせなんて本当に久しぶりで、こころが妙にときめいたが、それよりもこれがデートと呼べるのだろうかと、やや理性的な思考に入っているうちに視界にウコンちゃんが飛び込んできた。
「来たんだ~」
いきなりウコンちゃんは言った。
「来たんだ~はないんじゃないか?約束してたんだし」
地下の売り場に入って、奥にあるエレベータ乗り場の方へ肩を並べて歩いた。
彼女と並んで歩くのも、もちろん初めてのことだ。小柄な僕の首のあたりにウコンちゃんの目が位置していることが意外に思えた。
普段は僕が座った状態で彼女が立った位置で言葉を交わすものだから、ウコンちゃんの身長のことはこれまで気にとめなかったのだ。
「ウコンちゃん、今日は背が縮んだみたいだね」
「どういうこと?」
「いつも僕を見下ろしている感じだけど、並んで歩くと僕より低い」
僕は意識的に笑って言った。
「そりゃそうよ。仕事中はハイヒール履いているんだから」
ウコンちゃんは「フンッ」といった顔をして、背丈のことでムキになった感じがした。
ちょうど開いたエレベータに乗り込むと、休日のお昼前ということもあって、乗っていた人のほとんどが八階のレストランフロアで降りた。
「福地君は何を食べたい?」
ウコンちゃんはプライベートな日でも僕を君呼ばわりした。
「食べたいとリクエストしたものをご馳走してくれるの?」
「もちろんじゃない、私が誘ったんだから」
僕はウコンちゃんの目を覗き込むように見た。
「何よ?」
「その先輩風をビューって吹かすウコンちゃん、いいな。いや、ウコン先輩、割り勘にしましょう」
しかし返事もなく、素知らぬ顔をして歩くウコンちゃん。そのあとを追うように続く僕。
結局、いくつかの店のメニューを見て回ったあと、ハンバーグが食べたいという僕のリクエストから、ステーキレストランへ落ち着いた。
「ステーキでもいいのよ、たいして値段は変わらないんだから」
「ハンバーグが食べたいんだ、本当に」
実のところデパートのレストランなんて初めてなので、あまり居心地が良いとは言えなかった。でも目の前には憧れのウコンちゃんが座っており、彼女を見ているだけでこころに爽やかな風が漂ってきた感覚になった。
明子のことが少し気になったが、このときは深く考えなかった。ゆっくりと食事をしながら、お互いの故郷のことや大阪に出てきてからのことを交互に喋った。
「田舎がダムに沈んでしまうんだ。小学校も中学校も、みんな湖の底に消えるって残酷だ」
「うちは菊池川の近くで農業よ。もう有明に注ぎよるところ。うちんちは家族や親せきが食べる分だけしか作ってないけんね」
「注ぎよるところって、菊池川の河口近くってこと?」
「そうそう、もう有明海たい」
「田舎、たまに帰るんか?」
「あんたは?」
「帰らんな。帰るといろいろと変わってしもうとるやろから、それ見るんが辛かやけんな」
「なんでんかんでん変わっていくっち」
自然と故郷の言葉が混じってくるのは、佐賀と熊本といっても、ウコンちゃんの玉名は福岡との県境にあるし、僕の田舎も福岡に近いから似たような言葉だからだ。
「ウチに来る?」
レストランを出て、大阪駅方向にかかる大きな歩道橋の上で、急にウコンちゃんは言った。
「尼崎に住んでるのよ。園田の駅からバスに乗るんだけど。福地くん、誰か待っている人がいるの?」
ウコンちゃんの誘いを断れなかった。僕はすでにウコンちゃんの世界へ飛び込んでしまったような気がした。
何時間床屋で髪を刈ってもらっているんだろうって、明子は思っているかなと一瞬だけ後頭部を掠めたが、僕はウコンちゃんと肩を並べて阪急電車に乗った。
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