サバイディー、南方上座部仏教国の夕陽

Pero

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サバイディー、南方上座部仏教国の夕陽 ⑤

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    第一章 2001年 春

 タイにはこれまで六十五回ほど訪れていますが、この旅行記の背景は2001年の春で、このときはまだ二度目の訪問でした。

 だから、いろんなものが目新しくて驚きの連続でした。当時は、現在とはネット環境がまったく違っていますので、ところどころ意外に感じられるかも知れません。

      五

 列車は八時三十分発じゃないのか?

 ノンカイ行きの列車のホームには数人の欧米人旅行者がいるほかはタイ人ばかりで、相変わらず日本人と思しき旅人は見当たらなかった。

 そんなことより列車の出発時刻だ。

 僕は万が一別のプラットホームに変更になっていて、列車が既に出発してしまっていたなら一日がもったいないので、心配になってホームの端に立っている駅員に「ノンカイ行きはこのホームでいいのですか?」と訊いてみた。

 年配の駅員は、「そうですよ」とそっけなく答えたが、「八時三十分はとっくに過ぎているんじゃないですか?」と言うと、「マイ・ペンライ」とニヤニヤしながら答えるのであった。 

 これがタイ名物「マイペンライ」だ。ラオスでは「ボー、ペニャン」と言うらしい。

 でも遅れるのなら駅のアナウンスで説明があってもよさそうなものじゃないかと思った。

 ところが、考えてみれば実際ホームでは何度かタイ語のアナウンスが聞こえたので、それが列車の遅れを伝えていたのかもしれないのだ。

 それにしても、タイ語のアナウンスが外国人旅行者に分かるはずもなく、せめて英語との二ヶ国語でアナウンスをしてほしいものだと思った。

 午後九時半近くになって、ようやくノンカイ行きの列車がホームにゆっくりと滑り込んできた。

 しばらくリネンサービスの人達が慌しく寝台車のシーツなどを運び込んでいたが、いよいよ乗車許可が下りたようでゾロゾロと乗り始めた。

 僕の座席は二等ファン寝台車の上段だったがまだベッドは作られておらず、重いバックパックを通路側に設置されている荷物置場に降ろして、下段の人と向かい合わせになった席に腰をおろした。

 窓から見えるホームでは、これから約十二時間ほどの旅のためにキヨスクで飲み物を買う人や、見送りの人など大勢の人が行き交っており、ザワザワと人の声が絶えなかった。

 そんな状況を経て、結局は定刻より一時間余り遅れて列車は出発した。

 列車はバンコク市内をゆっくりと走り出したが、寝台席の下段の人が僕の前の席になかなか来なかった。

 若い女性だったらいいのにという願いも空しく、いくつかの駅に停まったあと、僕の前の席にドッカと座ったのは、かなり年配のタイ人男性だった。

 相変わらず列車はあまりスピードを出さずに走った。

 開け放たれた窓の外のバンコクの街並みは、ところどころで賑やかなネオンで明るくなり、車のサーチライトで一瞬光ったりしながら次第に暗くなっていき、それに呼応して列車もスピードを速めるのであった。

 通路を挟んで向かい側の席には、タイ人と思われるお母さんと息子との親子が座っていた。
 息子は中学生くらいだろうか、僕と視線が合うと恥ずかしそうに微笑み、好感が持てた。

 この列車でお母さんの故郷に帰るのだろうか、仲の良い母子を見ていると離れて暮らしている自分の息子たちのことを思い起こした。

 デップリ太った女性が飲み物を売りに回ってきたので、ミネラルウオーターとジュースを買って飲んでいたら、ガッチリした体躯の乗務員がベッドメイクにやって来た。

 僕と向かいのタイ人の男性は立ち上がり、ベッドメイクが終わるまで乗務員の様子を眺めていた。

 ガシャーン、ガチャガチャ、パッパッと、乗務員は手慣れた動きであっという間に上段と下段のベッドメイクを完了した。

 バックパックを荷物置場の上段に移して、サンダルを脱いで上がってみると、きれいなシーツが敷かれていた。
 僕はすぐに横になった。

 上段のベッドから列車の天井までは六十センチ程だろうか、体を起こすとやっと座れるくらいの距離であった。
 通路側には、天井に取り付けられた扇風機が忙しく回っていた。

 それにしても暑い。

 横は壁だし反対側を向くと扇風機がカラコロ回っているが、列車内の熱気を掻き回しているだけで風は熱風に近く、みるみるうちに汗が滴り落ちてくる。

 下段ならまだ窓から風が入ってくるので多少は凌ぎやすいだろうが、上段では汗でベトベトになりながら寝なければいけない。

 でも、列車のベッドで汗まみれになって寝るのは、前年のベトナム旅行の際、ハノイから中国との国境の町・ラオカイへの夜行列車で灼熱コンパートメントを経験済みだ。

 あの時は板にゴザを敷いただけのベッドで、汗で背中とゴザがヌルヌルになりながら寝たものだ。
 それでも不快感は全くなかった。

 長年身体に染み付いて取り除けなかった灰汁(アク)が、汗とともに一気に対外に排出されたような感覚があったからだった。

 そんなことを考えながらも、やはり疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまい、明け方まで一度も目が覚めることがなかった。

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