戻るべき場所

Pero

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戻るべき場所 ③

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       第三話
 
 僕と由美子は五歳の年齢差があったからか、喧嘩と呼べる諍いごとはほとんどなかった。

 ときには僕の考えや行為をえらそうに戒めようとしたが、彼女の助言を素直に聞き入れることによって軽い口論にさえならず、波風が立つことのない穏やかな日々が続いた。

    その年のお盆には僕の実家がある愛媛の今治へ由美子を連れて行った。

 両親は息子がようやく彼女を連れてきたことを喜び、普段気難しい親父はめずらしく上機嫌ではあったが、過激な言葉で僕をたしなめるのだった。

「由美子さんを泣かすようなことをしょったら、ワシが許さんがん、由美子さんも亮一がしょうたれたことしょったら、遠慮せんで連絡くれたらええで。こいつをぶち回してやるけんが」

 由美子は親父の言葉に一瞬だけ目を白黒させて驚いたが、そのあと苦笑いしながら、温かく迎えられたことにホッとしている様子が窺えた。

    大学進学で今治を出て以来、実家にはほとんど帰っていなかった僕は、両親が安心している様子を見て、ようやく一人前の男の仲間入りを果たしたような気分になった。

     由美子との関係は、言わば渋滞のない道路を赤信号に一度も引っかからずに順調に走っている感覚に似ており、僕は快適なドライブを楽しみ、変わらない青信号に安心しながら一直線に走り続けた。

 何のためらいも不安も感じることなく。

 僕は由美子の一挙手一投足が四六時中ずっと気になるくらい愛した。

 それが本当に愛と呼べるのか、そのころはよく分からなかったが、かたときさえも頭から由美子が消えなかった。

 僕は子供のころから人から愛されているという認識を持ったことがなく、逆に人を愛したこともなかったので、愛という特殊な感情の初心者に該当した。

 だから由美子をどのように愛してよいのかが分からないままに突き進んだ感情は、愛以外の他の感情がこころから隠れてしまうほどだった。

 僕は四六時中、由美子への愛という感情だけをこころに抱いて生きた。

 その愛情は目の前の信号が青であることだけを確認し、僕の車以外にたった一台の車さえも走っていない広い直線道路を突き進んだ感覚で、そこには交差点や三叉路などが入り込む余地はなく、逆にUターン禁止の標識が幻覚のように見えるほどだった。

 果てしなく続く由美子への直線道路を、ゴールが見えないまま何も考えずにひたむきに走り続けた。

 そんな由美子へ愛情は、一緒に暮らしはじめて四ヶ月ほどが経ったころから少しずつ歪(いびつ)な部分が表われはじめた。

 今思うと歪んだ愛情だと明らかに分かるのだが、そのころの僕は気がつかなかった。

 僕と由美子は毎朝一緒にアパートを出て、JR大阪環状線の桜ノ宮駅から外回りの電車に乗り、僕はふたつ目の大阪駅で、由美子はそこからさらにふたつ目の野田駅で下りた。

 僕の勤務先は大阪駅の近くにあり、由美子も駅近くに勤務先の宝石店があった。

    僕は仕事中も由美子のことが気になって、毎日のように彼女の勤務先へ電話をするようになった。

 僕のほうが早く帰宅した日には、由美子がどこで何をしているのかが心配で落ち着かず、彼女が帰ってくるまで、まるで母親の帰宅を待つ小学生のように、何もできず部屋でぼんやりとしていた。

「リョウ、毎日会社に電話をくれなくてもいいのよ。接客中のことが多いから、店の人が嫌な顔をするのよ」

「ごめん、控えるよ。仕事中に一度だけでもユミの声を聞かないと落ち着かないんだ。でも我慢する」

「いつもリョウのことを思っているから安心して。私、どこにも行かないよ」

「うん、分かった」

 でも僕は分かっていなかった。由美子の職場に電話はしなくなったが、彼女を誰にも渡したくない焦りから、早く子供を作ろうと考えた。

 ふたりの間に子供さえ産まれれば由美子は僕のものになるんだという短絡的で下卑た考えが、いつしかこころに蔓延っていたのだ。

 最初は僕の要求を喜んでいた由美子も、次第に鬱陶しそうな態度を見せるようになった。

 それにもかかわらず、僕は妊娠の可能性が高い日にあえて求めた。

 由美子は疲れを理由に、ときには僕の要求を拒絶し、そんなときは焦りから早く結婚しようと提案したが、彼女はそのたびに戸惑った表情をあからさまに見せながら、「もう少し待って」と静かに言うだけだった。

 自分の思うようにならなければ苛立つ由美子への気持ちは、はっきりと自己愛の裏返しのようなものに変わってしまっていた。

 そんな自分の厭らしさに気づくこころの余裕もないままその年は終わり、平成十年がやってきた。
 
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