太陽と遊ぼう

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 四月、家の桜はもう散っている。
 初仕事しっかりね、とリビングで両親に送り出された。
 今日の初出勤は一応ピンクベージュのスーツを着て、パンプスは低いもの。
 どうせどちらも向こうで替えるのだけれど。

「おう、奈々子。早い出勤だな」
 二世帯住宅の隣の玄関から出てきた兄も出勤のようで、スーツ姿で声をかけてきた。
「うん。早くに子供預けにくる親御さんもいるからね。保育園だから」
「なるほどな。幼稚園とは違うんだな。うちの奥さんはまだ寝てるよ。幼稚園のお迎えバスは9時過ぎだからさ」
 結構な身分だ。お兄ちゃんの朝食も用意してないってことだろう。
「じゃ、頑張れよ」
 義姉の見送りもなく白いミニバンで兄は安全に発進していった。
 着替えをいれた大きなバッグを助手席に置いて、奈々子もオレンジの小型車を発進させた。

 移動時間10分で勤務先である保育園に到着。
 車を降りて緊張しながら職員出入り口を開け「おはようございま」まで口にしたのだがその後は続かなかった。
 その挨拶も泣き喚き走り回る幼児を追い回す保育士たちの騒動に掻き消されていた。

「あら土谷先生、早かったですね!早速で申し訳ありませんけど、着替えてお出迎えお願いしますね!」
 やはりスーツもパンプスも全くの無意味だった。
 奈々子は慌てて更衣室に走った。

 園児のものとほぼデザインの変わらないスモックを被り、スルっと馴染んだスニーカーを履き、ダッシュでドアを開ける。
 続々と到着する園児を保護者から預かり、時々初めましての挨拶を交えながら逃げる園児を追い、見慣れない大人に悲鳴を上げたり無意味に纏わり付いてくる園児に一々戸惑い、朝の登園騒動がいつまでも終わらない。
 すごいな保育園。勤続していく自信がないぞ。とよろよろと門に手を着いた。

 そんな時、門の前にどっさりと資材を載せたトラックが荷台をガシャガシャ鳴らして停止した。
 それまではみな、徒歩、自転車、小型車で母親が小さな子供を連れてきて置いて行ったものだ。
 保育園の門の前には場違いな働くトラックが停まって、運転席側のドアを開けて降りてきたのは、作業着を着てサングラスをかけた非常に長身の男だった。
 園庭にいる保護者たちも子供たちも、見るからに荒っぽいトラックとそれに似合う悪そうな男に息を飲んでいた。
 そしてその巨大な男はトラックの助手席のドアを開け、両手で小さな子供を持ち上げて降ろし、門の横に佇む奈々子の前まで子供の手を引いて歩いてきた。

「……新しい先生ですか?」
 長身のサングラス男が低い掠れた声を発した。
 口を開けて巨大な男を呆然と眺めていた奈々子は、声をかけられ慌てておじぎをした。
「はい!はいそうです!土谷と言います!よろしくお願いします!」
「オレンジ組の健介です。よろしくお願いします」
 巨大な男は、子供の頭にポンと手を置いて言った。
「じゃあな。帰りも俺が迎えにくるから」
 子供が男を見上げて寂しそうな顔をした。
 子供はまだ声を発しない。
 男が子供の頭をクシャクシャとかきまわしてから踵をかえし、トラックに乗り込んでもう一度子供に右手を上げて合図して発進していった。
 園庭の保護者も子供もしーんとしたままそのトラックを見送っていた。


「健介、君?」
 いつまでもトラックの走り去った後を見詰める子供に、奈々子は声をかけた。すると子供が振り返った。
「パパはトラックの運転手さん?かっこいいね!」
 まずはおだててゴマをすって、子供を喜ばせよう。
 子供を味方につけ、子供の味方になる。それが保育士第一歩だ。
「いつもあのトラックでここにくるのかな?」
 奈々子はにっこり微笑んで話しかけているのだが、子供の表情が変わらない。
「オレンジ組だとお友達は、」
 子供の視線に合わせようと奈々子がしゃがんだと同時に子供が奈々子の後ろに走り去った。
「え?」
 奈々子はしゃがんだまま、子供の後姿を目で追った。

 結局子供の声を一度も聞かないまま、奈々子は健介君に走り去られた。
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