SECOND CRASH

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19・文乃

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 翌朝、すっきりと目覚めた。
 夕べまでが嘘みたいに体が楽になっている。
 頭が痛くなくて体が熱くなくて寒気もしなくて皮膚がビリビリもしない。
 治った。治ったみたい。

 そしてまた、自分の部屋で目覚めたことを不思議に思った。彼の部屋じゃない。
 そしてまた、彼に彼女がいて自分は浮気相手だったことを思い出す。
 目覚めて思い出すのは何度目だろう。何度思い出せばこれに慣れるんだろう。何度思い出せば泣かずに済むようになるのだろう。
 何も考えていないのにただ涙が零れる。彼のことも彼女のことも何も頭に浮かべていないのに涙だけが落ちる。

 こんなんじゃだめだ。
 とにかく涙を拭いて、熱いシャワーを浴びに行った。風邪をひいて寝込んでいたせいで何日も身体を流していない。シャンプーもソープもたくさん使って、一皮剥けるぐらいに熱いお湯で、全部全部洗い流した。

 すごーくすっきりしてタオルで拭いてほっとため息をついた後に、またつるりと涙が落ちた。
 いつまでこうなんだろう、と腹を立てながらタオルで乱暴にその涙を拭った。

 こんな状態でも大学には行かなきゃいけない。大きなマスクでもしていこう。伊達眼鏡でも掛けていこう。と部屋に戻り準備をしていると、ドアをノックされた。

「調子どう?朝ご飯持って来たよ」
 結衣ちゃんがお弁当を持って来てくれた。
「ありがと。でも全然食欲なくて。ご飯抜いて学校に行くつもりで、」
 わざわざ持って来てくれたのにごめんね、と続ける前に、結衣ちゃんに肩を押された。

「なーに言ってんのー?治り際が一番危ないんでしょー?今日も寝てなさい!」
 そう言いながらどんどん押してくる。
「え、でも、熱も下がって、」
「油断したらすぐ上がるんだから!」
 と、ベッドまで押されて座らされた。
「はいこれ食べて!野菜ジュースも飲んで!それと薬!」
「……はい」
「食べ終わったらただただ寝てること!スマホも読書も禁止!テレビぐらいならいいけど!」
「あ!スマホ!」
「禁止!どこにあるの?取り上げちゃうからね!」
「違うの、スマホ水に落としちゃって、修理に出さなきゃいけなくて、」
「え、どれ?」

 落とした当日にショップに持って行くつもりだったのにうっかり忘れて登校して、その後高熱を出してしばらく寝込んでいた。もう修復不可能かも知れない、とバッグの奥を探ると、濡れたハンカチに包まれて動かなくなったそれが出てきた。
「急いでスマホショップに行きたいのよ」
「あららびしょ濡れー。掃除もしなきゃだね。友達がショップにいるから頼んであげるよ」
「でも、」
「正規店に頼むと一週間掛かるよ?友達は修理できる人に直接頼むから一日で直ってくる。私も前頼んだことあるのよ」
「そうなの」
「ん。だから、寝てなさい!これ預かるね!」
 そう言って結衣ちゃんは出て行った。


 結局またベッドに逆戻り。
 スマホがないので家族にも友達にも連絡できないし、スマホがないので何か調べることもできない。そしてスマホがないのでヒマも潰せない。なんてスマホに依存した生活を送っているのだろう。
 そして、スマホがないので彼にも連絡できないし、彼からの連絡も受け取れない。

 夕べバイト先に来てくれたと言う。結衣ちゃんが追い返したと。
 どういうつもりで彼は来たのだろう。彼は私のことをどう思っていたのだろう。そもそもあの晩のことは。


 誰か女の人が来た。合鍵を持っていた。私を泥棒猫と言った。彼が出て行って帰ってこなかった。
 元々付き合っている彼女。私の方が浮気相手。両方に隠して上手く二股でやっていきたかった。ところが彼女の方が浮気相手がいることに気付いた。だから乗り込んできた。そして彼は彼女の元に戻った。

 これが結衣ちゃん説。
 なんて辻褄の合う論理的なストーリー。
 これ以外無い。


 私は、浮気相手だった。

 そんな人に見えなかった。そんな人に思えなかった。
 だって私が元彼と別れるのをずっと待っていてくれた。本命の彼女がいるのにそんな面倒なことする?
 でも、したんだ。そうとしか考えられない。

 だって、泥棒猫って言われた。

 その声を思い出して、涙が溢れた。


 泥棒猫なんて言葉、浴びせられるなんて。一方的にあんなこと言われるなんて。
 泥棒なんてしない。泥棒なんてしてない。泥棒なんて言われるなんて。

 涙が溢れて止まらない。
 泣き声が外に漏れないように布団を頭まで被った。
 ずっと泣き続けた。





 そのまま寝てしまったようで、気付いたのは昼過ぎだった。また目が腫れている。顔を洗おうと部屋を出ると、ドアにお弁当が下げられていた。中にメモが入っていて「お昼ご飯持って来たけど寝てるようだから置いて行くね!お大事に!結衣」
 お昼休みにもわざわざ来てくれたんだ。
 食欲は相変わらず全然ないけれど、結衣ちゃんの好意がありがたくて、無理にでも食べようと思い蓋を開けると、大ボリュームのカツ丼。元気な時でもこんなに食べたことない!って笑えてきた。笑っても涙が出た。でもこれは笑い涙だと思うことにする。

 頑張って頑張って食べたけど結局食べきれなくてため息をついてまたベッドに仰向けになる。
 お腹いっぱい幸せ、って口に出して言ったのにまた涙が落ちる。これは満腹涙と思うことにする。

 その後も時々勝手に涙が零れて、その度に適当に涙に命名した。

 彼は私の彼じゃなかった。
 それだけは確かだから、忘れるしかない。少しずつでも忘れていくしかない。
 泥棒猫じゃない。泥棒猫になんかならない。泥棒猫じゃない涙。そう命名して、ちょっと笑った。




 夜、バイト開けに結衣ちゃんが今度はピザをどっさり買って来てくれた。
 快気祝いとか言って、寮の他の友達も3人食べ物持ち寄って来てくれて、遅い時間にパーティみたいになった。

「元気出してよー!」
「忘れちゃいなよイケメンなんて!」
「イケメンだけどねー」
「医学部だけどねー」
「イケメンでも医学部でも誠実じゃないなら全然ダメ!」
「二股とか最低だし!」
「イケメンだから許されるとか思ってそうじゃない?」
「それ絶対!」
「でもコソコソ隠してたんだよねー。これからも上手いことごまかしてくるよ」
 結衣ちゃんがチキンを摘まんでそう言った。
「目を見詰めてしれっと嘘言ってくるから」
 例えばどう言ってくるのよ?と誰かが訊いた。
「そうだね。例えば、」
 結衣ちゃんが私に顔を向けた。

「この前の女は元カノ。高校時代の彼女。進学で遠距離になって自然消滅したつもりだった」
 結衣ちゃんが私の目を見詰めてそう言った。
「すっかり忘れてたんだ。だって元々そんなに好きな彼女じゃなかったし、君と付き合うようになってすっかり忘れてたぐらいさ」
 そして私の手を握ってさらに目を覗き込んできた。
「彼女とはきっぱり別れてきた。今は君のことしか好きじゃないんだ」
 私を真っ直ぐ見て真剣にそう訴えてきた。


「……って言われたら、文乃コロっと許しちゃうでしょ?」
 結衣ちゃんはそう言ってにやりと笑った。

 許しちゃう。私は多分許しちゃう。


「そんなミエミエの嘘で欺されないよー!」
「でもそんな目を真っ直ぐ見て嘘言えるー?」
「言えるでしょ平気で二股掛けるイケメンなんだから」
「それもそうか!」
「まぁ二股は確実なんだし、きっぱり跳ね返しなよ」
「そんな嘘つきのイケメン、すぐ次の女引っかけに行っちゃうと思うし」
 友人たちが笑い飛ばす。


 そうだったのか。
 私は嘘を見抜けない間抜けで甘ちゃんだった。
 そんな私の恋愛も失恋も、こんな笑い話だったんだ。


 嘘つきのイケメンに欺されたバカな私のこの半年。
 笑い飛ばせばいいんだ。



 あんなにドキドキして胸が熱くなったことも裏切られて悲しくて泣いたことも全部、笑い飛ばせばいいんだ。




 もうこれで吹っ切れそう。
 明日から学校に行く。
 明日はきっと朝起きても泣かない。
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