11 / 12
第8話 癒し系主婦が、始めて包丁を握った日
しおりを挟む
温室育ちのお嬢様だ。箱入り娘として、何不自由なく育てられた。
大学の文学部で今の夫と知り合い、親が決めた婚約者を捨ててこの街へ。
けれど文章への愛が捨てきれず、ライターを副業にした。
「この副業はね、お料理の練習も兼ねてたの。小説だと、どんなにおいしそうなお料理が出てきても、イメージしかできないでしょ? だから視覚化できる実用的なお仕事を探して、ムリヤリ練習したんだぁ」
毎週届く食材を、強引に料理する。
そうして、若き頃の多喜子さんは、料理の腕を磨いたのだ。
夫に喜んでもらうため。
「最初は変なお料理作って、困らせたなー。何だったと思う?」
「なんだろう? フォアグラとか?」
元お嬢様だったら、ありえそうだ。
「クマさんの手」
カレーを盛大に吹き出す。
多喜子さんが包丁で、クマの手と格闘する姿を想像するだけでもう笑いが止まらない。
「ヤバいウケル」
「煮込みにするらしくて、画像見るとおいしそうだったの! でも、ダメだった。これは作れないやーって悟って」
なんとか作れたが、イメージしていた味とかけ離れていた。
「そうして無難なお料理からやり直して、今に至ります」
素人のアレンジ料理は、食えた物ではない。
その言葉は、多喜子さんの自戒によるモノだった。
癒やし系主婦の意外な過去を知り、葉那はますます惚れ直してしまう。
「すっごい。かなわないや」
だからこそ、好きなのだが。
「それだけ、自立したかったの。誰の手も借りず、二人でさ、幸せになりたかったんだよね」
多喜子さんが、二杯目のカレーを平らげる。
「けどさ、葉那ちゃんが現れて、ああ、わたしって一人ぼっちじゃないんだって思えた。すごく救われた」
「私が、多喜子さんを助けていた?」
「はじめてわたしたちがこの街に来たとき、すぐに駆けつけてくれたよね?」
「ああ、迷ってたっぽいから、道案内をしましたね?」
下校中、同じ所をウロウロしている車を発見し、道を教えたのである。
それが、多喜子さんとの出会い。
「そうそう! それでピンときたんだ! あなたとは、仲良くなれるって!」
若い夫婦は、人目を避けて生活しようと考えていたのだとか。
が、葉那と出会って、そんな気持ちを改めたと。
「葉那ちゃんを見てるとさ、世界はなにも、わたしたち二人だけで回ってるんじゃない。意地を張らなくていいんだって、やっと気づいた。ありがとう、葉那ちゃん。わたし、ようやくさ、人の助けを借りられるよ」
多喜子さんから贈られる、感謝の言葉を、葉那は素直に飲み込めずにいた。
水という形で、感情が頬を伝う。
「どうしたの、葉那ちゃん?」
「いえ、その。うれしくて」
「わたし、あそこまで人に頼ったの、葉那ちゃんくらいだよ。なんか、甘えちゃって悪いなーって思ってたの。それで、愛想を尽かされたのかなって思ってたから」
「とんでもありません。いつでも頼ってください!」
胸にドンと手を当てて、葉那が席を立つ。
「ありがと、葉那ちゃん。さ、食べよっか」
「まだ食べるんですか?」
一杯目だけでも結構、腹がいっぱいだが。
多喜子さんのスマホが鳴る。
「あ、ゴメン電話……お母さん!?」
心臓が締め付けられる気持ちになった。
こんな所まで探し当てたんだ。
「どうしてここが……いいからニュースを見ろですって? 何を言って」
多喜子さんが、電話の相手と軽く言い争いをしている。
あまり居心地のいい風景ではなかった。
葉那は断りを入れて、テレビの電源を入れる。
痩せこけた長身の男が、警察に連行されている映像だった。
「あ、この人」
この男が、多喜子さんの元婚約者だったらしい。
大学の文学部で今の夫と知り合い、親が決めた婚約者を捨ててこの街へ。
けれど文章への愛が捨てきれず、ライターを副業にした。
「この副業はね、お料理の練習も兼ねてたの。小説だと、どんなにおいしそうなお料理が出てきても、イメージしかできないでしょ? だから視覚化できる実用的なお仕事を探して、ムリヤリ練習したんだぁ」
毎週届く食材を、強引に料理する。
そうして、若き頃の多喜子さんは、料理の腕を磨いたのだ。
夫に喜んでもらうため。
「最初は変なお料理作って、困らせたなー。何だったと思う?」
「なんだろう? フォアグラとか?」
元お嬢様だったら、ありえそうだ。
「クマさんの手」
カレーを盛大に吹き出す。
多喜子さんが包丁で、クマの手と格闘する姿を想像するだけでもう笑いが止まらない。
「ヤバいウケル」
「煮込みにするらしくて、画像見るとおいしそうだったの! でも、ダメだった。これは作れないやーって悟って」
なんとか作れたが、イメージしていた味とかけ離れていた。
「そうして無難なお料理からやり直して、今に至ります」
素人のアレンジ料理は、食えた物ではない。
その言葉は、多喜子さんの自戒によるモノだった。
癒やし系主婦の意外な過去を知り、葉那はますます惚れ直してしまう。
「すっごい。かなわないや」
だからこそ、好きなのだが。
「それだけ、自立したかったの。誰の手も借りず、二人でさ、幸せになりたかったんだよね」
多喜子さんが、二杯目のカレーを平らげる。
「けどさ、葉那ちゃんが現れて、ああ、わたしって一人ぼっちじゃないんだって思えた。すごく救われた」
「私が、多喜子さんを助けていた?」
「はじめてわたしたちがこの街に来たとき、すぐに駆けつけてくれたよね?」
「ああ、迷ってたっぽいから、道案内をしましたね?」
下校中、同じ所をウロウロしている車を発見し、道を教えたのである。
それが、多喜子さんとの出会い。
「そうそう! それでピンときたんだ! あなたとは、仲良くなれるって!」
若い夫婦は、人目を避けて生活しようと考えていたのだとか。
が、葉那と出会って、そんな気持ちを改めたと。
「葉那ちゃんを見てるとさ、世界はなにも、わたしたち二人だけで回ってるんじゃない。意地を張らなくていいんだって、やっと気づいた。ありがとう、葉那ちゃん。わたし、ようやくさ、人の助けを借りられるよ」
多喜子さんから贈られる、感謝の言葉を、葉那は素直に飲み込めずにいた。
水という形で、感情が頬を伝う。
「どうしたの、葉那ちゃん?」
「いえ、その。うれしくて」
「わたし、あそこまで人に頼ったの、葉那ちゃんくらいだよ。なんか、甘えちゃって悪いなーって思ってたの。それで、愛想を尽かされたのかなって思ってたから」
「とんでもありません。いつでも頼ってください!」
胸にドンと手を当てて、葉那が席を立つ。
「ありがと、葉那ちゃん。さ、食べよっか」
「まだ食べるんですか?」
一杯目だけでも結構、腹がいっぱいだが。
多喜子さんのスマホが鳴る。
「あ、ゴメン電話……お母さん!?」
心臓が締め付けられる気持ちになった。
こんな所まで探し当てたんだ。
「どうしてここが……いいからニュースを見ろですって? 何を言って」
多喜子さんが、電話の相手と軽く言い争いをしている。
あまり居心地のいい風景ではなかった。
葉那は断りを入れて、テレビの電源を入れる。
痩せこけた長身の男が、警察に連行されている映像だった。
「あ、この人」
この男が、多喜子さんの元婚約者だったらしい。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』
コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ”
(全20話)の続編。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211
男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は?
そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。
格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる