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第1話 手巻きとメガ盛り海鮮丼
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「葉那ちゃん、たすけてぇ」
米洲 葉那は、チャイムの音に反応した。
お隣の「天川 多喜子」さんからのヘルプとあらば、即参上だ。
米洲家の住む二階建ての賃貸マンションに、多喜子さんたちは最近に越してきた。
部屋は隣どおし、向こうが108号室、こちらが109号室だ。
多喜子さんとはすぐに打ち解け、雑談する仲である。
「どうしました?」
下校後着替えていないので、葉那の格好は中学のブレザーだ。
「ダンナさんが遅くなるんだってー。せっかくゴハン作ったのにー」
「献立は、なんですか?」
「手巻き寿司。もー。あの人誕生日だったのにー!」
手をぷるぷる振って、多喜子さんは悔しがる。
かわいい。
「だから、一緒に食べてくれない?」
「分かりましたから。一緒に食べましょう」
着替えるのでと断りを入れて、スウェットに着替えた。
我が家の両親は、いつも帰宅が遅い。
いつもは、スーパーの安売り弁当で済ませている。
さっきも、安売りの時間を狙ってスーパーに向かう予定だったのだ。
お隣で、はじめてご馳走になる。
こんなチャンスは、めったにないだろう。
あこがれていた、多喜子さんのお部屋に、ドキドキする。
ファンシーな部屋だ。
酢飯の香りさえ漂っていなければ。
本棚に詰まっているのは、大量の小説文庫である。
それも、学生を対象にした恋愛小説ばかり。
「ダンナとも、大学の文芸部で知り合ったんだぁ。わたしがチャチな恋愛小説の短編を書いて、ダンナだけが好きって言ってくれたの。もう小説はやめちゃったけど」
「素敵。私、読みたい」
「実家に置いてきちゃったよー。もう10年近くも前の話だよ」
それは残念だ。
「ささ、ごはんにしよ」
照れ隠しなのか、多喜子さんは食器を並べていく。
葉那も、箸を並べるのを手伝った。
「お飲み物は、なにがいいかな?」
「選んでいいですか?」
そんな言い訳にして、冷蔵庫の中を見せてもらう。
主婦の秘密を覗くみたいで、ドキドキした。
麦茶にコーラ。あと、無糖の炭酸がある。
コーナーに並ぶ調味料すら、愛おしい。
どうして自分は男で生まれなかったのだろう。
そんな中学生男子のような妄想を抱くが、すぐに冷める。
棚に、バースデーケーキが鎮座していたからだ。
彼女はもう人のもの。それを実感させるには、十分大きい。
茶色い液体が入ったプラスチック容器を取り出す。
「無難に麦茶で」
秘密を覗けて、もう胸がいっぱいだ。
これ以上冒険すると、多喜子さんの深みにはまってしまいそう。
すっかり、多喜子さんの魅力に絡め取られている。
多喜子さんの飲み物は日本酒だ。
「いただきます」
手を合わせて、海苔に酢飯と刺身を巻く。
別皿には、大量のツマがコンモリと盛られていた。
「もー。ダンナさん早く帰ってくるって言うから、大好物のツマと寒ブリを用意していたのにー」
「どれくらい食べるんでしょう」
「ツマ三:ごはん一の割合かな?」
お通じがよくなりそうだ。
「じゃあ、私が代わりに処理していきます」
マグロ赤身の上に、ツマを。
口に入れると、パリッといい音が鳴った。
「おいっしー」
「でしょー。割引品とは思えないおいしさよねー」
酢飯を褒めたのだが。
多喜子さんの手巻きは、飯が紅い。
紅いお酢を使っているのだろう。
サッパリしていて、酢が主張してこない。
「この酢飯、回転寿司で出てくるヤツと違いますね」
「赤シャリにしてみたの。甘くてまろやかでしょ。香りも強いの」
部屋に漂っていたのは、このシャリの香りか。
今度は、ツマと同時に寒ブリも挟む。
「あー。寒ブリおいしい」
肉厚に切られた寒ブリが、トロットロである。
「遠慮しないでねー。葉那ちゃんがよく食べるって、わたし知ってるから」
ならばと、葉那は手巻きをバクバクと頬張った。
「あら!」
急に多喜子さんが声を上げる。
気がつけば、海苔がなくなっていた。
刺身も酢飯も、大量に残っているのに。
「いけない。買いためてると思ったんだけど、別の料理で使っちゃってたの忘れてたー。あーん。これじゃあ、もう手巻きができなーい」
多喜子さんがシュンとなる。
「大丈夫です。丼かお茶碗ありますか?」
「これでよければ、どうぞー」
葉那は、貸してもらった丼に、酢飯を少量入れた。飯の上に、ツマをドカッと乗せて、かさ増しする。
寒ブリ、サーモン、マグロと刺身をこれでもかと積み重ねていく。
「イクラもどうぞ」
「待ってください。イクラはこうやって、と」
多喜子さんから受け取ったイクラを、しょうゆ皿へドボン。
潰さないようにかき混ぜて、味を馴染ませた。
最後に、しょうゆ漬けイクラを投下して、追いしょうゆを垂らせば。
「メガ盛り海鮮丼のできあがりです」
「わーあ。おいしそう」
記念撮影と、多喜子はスマホを構えた。
ニッと笑いながら、葉那はポーズを取る。
「じゃあ、いただきます」
うまいのは言うまでもない。
何より、葉那が食べている姿を見て多喜子が喜んでいるのがうれしい。
「ごちそうさまでした」
「ん? まだ、ケーキも残ってるよ?」
「さすがにそれはちょっと」
よそ様のバースデーケーキに手を出すほど、落ちぶれてはいない。
まだ、腹には入るけど。
食後、誘ってもらったお礼に、皿を共に洗う。
ダンナ分の取り置きを除けば、完食だ。
「お誘いありがとうございます。はーあ。お腹いっぱいになったら、眠くなってきちゃった。お邪魔しました」
葉那は帰り支度をはじめようとした。
「ちょっと休んでいって」
床の上に正座し、多喜子さんが膝をポンポンと叩く。
「おいでー」
そんなに両手を広げられてガマンできるほど、葉那は人間ができていない。
誘われるままに、膝の上に頭を置く。
快適だ。
「葉那ちゃんは甘えんぼさんねー」
多喜子さんが、葉那の頭を撫でた。
「でも、いいのかな。こんなに贅沢させてもらって」
「わたしこそ、ありがとうね。葉那ちゃん、ずっとスーパーのお弁当ばかり食べてたから、声をかけようかなって思ってて」
知られていたのか。
「誤解しないでね。可哀想だから誘ったんじゃないの。わたし、ここ最近ずっと一人でごはんを食べてて、寂しかったの。だからこれは、わたしのワガママ」
「そうだったんですね」
「葉那ちゃんがよく食べるってご家族に聞いていたから、うんとお腹いっぱい食べさせてみたいなって、思いついちゃったの」
多喜子さんの優しさに触れ、胸がいっぱいになる。
「これからも、いつでも食べに来てねー」
「ありがとう。多喜子さん」
このまま、好きな女性の膝の上で永眠してしまいたい。
夢の中に入る寸前で、スマホがブルッと鳴った。
「あ、親からだ。帰ってくるって」
「うちも、ダンナさんが帰ってくるわー」
今はまだ中学生だ。バイトすらできない。なんのお返しもできなかった。
大人になって稼げるようになったら、ちゃんとお返ししよう。
米洲 葉那は、チャイムの音に反応した。
お隣の「天川 多喜子」さんからのヘルプとあらば、即参上だ。
米洲家の住む二階建ての賃貸マンションに、多喜子さんたちは最近に越してきた。
部屋は隣どおし、向こうが108号室、こちらが109号室だ。
多喜子さんとはすぐに打ち解け、雑談する仲である。
「どうしました?」
下校後着替えていないので、葉那の格好は中学のブレザーだ。
「ダンナさんが遅くなるんだってー。せっかくゴハン作ったのにー」
「献立は、なんですか?」
「手巻き寿司。もー。あの人誕生日だったのにー!」
手をぷるぷる振って、多喜子さんは悔しがる。
かわいい。
「だから、一緒に食べてくれない?」
「分かりましたから。一緒に食べましょう」
着替えるのでと断りを入れて、スウェットに着替えた。
我が家の両親は、いつも帰宅が遅い。
いつもは、スーパーの安売り弁当で済ませている。
さっきも、安売りの時間を狙ってスーパーに向かう予定だったのだ。
お隣で、はじめてご馳走になる。
こんなチャンスは、めったにないだろう。
あこがれていた、多喜子さんのお部屋に、ドキドキする。
ファンシーな部屋だ。
酢飯の香りさえ漂っていなければ。
本棚に詰まっているのは、大量の小説文庫である。
それも、学生を対象にした恋愛小説ばかり。
「ダンナとも、大学の文芸部で知り合ったんだぁ。わたしがチャチな恋愛小説の短編を書いて、ダンナだけが好きって言ってくれたの。もう小説はやめちゃったけど」
「素敵。私、読みたい」
「実家に置いてきちゃったよー。もう10年近くも前の話だよ」
それは残念だ。
「ささ、ごはんにしよ」
照れ隠しなのか、多喜子さんは食器を並べていく。
葉那も、箸を並べるのを手伝った。
「お飲み物は、なにがいいかな?」
「選んでいいですか?」
そんな言い訳にして、冷蔵庫の中を見せてもらう。
主婦の秘密を覗くみたいで、ドキドキした。
麦茶にコーラ。あと、無糖の炭酸がある。
コーナーに並ぶ調味料すら、愛おしい。
どうして自分は男で生まれなかったのだろう。
そんな中学生男子のような妄想を抱くが、すぐに冷める。
棚に、バースデーケーキが鎮座していたからだ。
彼女はもう人のもの。それを実感させるには、十分大きい。
茶色い液体が入ったプラスチック容器を取り出す。
「無難に麦茶で」
秘密を覗けて、もう胸がいっぱいだ。
これ以上冒険すると、多喜子さんの深みにはまってしまいそう。
すっかり、多喜子さんの魅力に絡め取られている。
多喜子さんの飲み物は日本酒だ。
「いただきます」
手を合わせて、海苔に酢飯と刺身を巻く。
別皿には、大量のツマがコンモリと盛られていた。
「もー。ダンナさん早く帰ってくるって言うから、大好物のツマと寒ブリを用意していたのにー」
「どれくらい食べるんでしょう」
「ツマ三:ごはん一の割合かな?」
お通じがよくなりそうだ。
「じゃあ、私が代わりに処理していきます」
マグロ赤身の上に、ツマを。
口に入れると、パリッといい音が鳴った。
「おいっしー」
「でしょー。割引品とは思えないおいしさよねー」
酢飯を褒めたのだが。
多喜子さんの手巻きは、飯が紅い。
紅いお酢を使っているのだろう。
サッパリしていて、酢が主張してこない。
「この酢飯、回転寿司で出てくるヤツと違いますね」
「赤シャリにしてみたの。甘くてまろやかでしょ。香りも強いの」
部屋に漂っていたのは、このシャリの香りか。
今度は、ツマと同時に寒ブリも挟む。
「あー。寒ブリおいしい」
肉厚に切られた寒ブリが、トロットロである。
「遠慮しないでねー。葉那ちゃんがよく食べるって、わたし知ってるから」
ならばと、葉那は手巻きをバクバクと頬張った。
「あら!」
急に多喜子さんが声を上げる。
気がつけば、海苔がなくなっていた。
刺身も酢飯も、大量に残っているのに。
「いけない。買いためてると思ったんだけど、別の料理で使っちゃってたの忘れてたー。あーん。これじゃあ、もう手巻きができなーい」
多喜子さんがシュンとなる。
「大丈夫です。丼かお茶碗ありますか?」
「これでよければ、どうぞー」
葉那は、貸してもらった丼に、酢飯を少量入れた。飯の上に、ツマをドカッと乗せて、かさ増しする。
寒ブリ、サーモン、マグロと刺身をこれでもかと積み重ねていく。
「イクラもどうぞ」
「待ってください。イクラはこうやって、と」
多喜子さんから受け取ったイクラを、しょうゆ皿へドボン。
潰さないようにかき混ぜて、味を馴染ませた。
最後に、しょうゆ漬けイクラを投下して、追いしょうゆを垂らせば。
「メガ盛り海鮮丼のできあがりです」
「わーあ。おいしそう」
記念撮影と、多喜子はスマホを構えた。
ニッと笑いながら、葉那はポーズを取る。
「じゃあ、いただきます」
うまいのは言うまでもない。
何より、葉那が食べている姿を見て多喜子が喜んでいるのがうれしい。
「ごちそうさまでした」
「ん? まだ、ケーキも残ってるよ?」
「さすがにそれはちょっと」
よそ様のバースデーケーキに手を出すほど、落ちぶれてはいない。
まだ、腹には入るけど。
食後、誘ってもらったお礼に、皿を共に洗う。
ダンナ分の取り置きを除けば、完食だ。
「お誘いありがとうございます。はーあ。お腹いっぱいになったら、眠くなってきちゃった。お邪魔しました」
葉那は帰り支度をはじめようとした。
「ちょっと休んでいって」
床の上に正座し、多喜子さんが膝をポンポンと叩く。
「おいでー」
そんなに両手を広げられてガマンできるほど、葉那は人間ができていない。
誘われるままに、膝の上に頭を置く。
快適だ。
「葉那ちゃんは甘えんぼさんねー」
多喜子さんが、葉那の頭を撫でた。
「でも、いいのかな。こんなに贅沢させてもらって」
「わたしこそ、ありがとうね。葉那ちゃん、ずっとスーパーのお弁当ばかり食べてたから、声をかけようかなって思ってて」
知られていたのか。
「誤解しないでね。可哀想だから誘ったんじゃないの。わたし、ここ最近ずっと一人でごはんを食べてて、寂しかったの。だからこれは、わたしのワガママ」
「そうだったんですね」
「葉那ちゃんがよく食べるってご家族に聞いていたから、うんとお腹いっぱい食べさせてみたいなって、思いついちゃったの」
多喜子さんの優しさに触れ、胸がいっぱいになる。
「これからも、いつでも食べに来てねー」
「ありがとう。多喜子さん」
このまま、好きな女性の膝の上で永眠してしまいたい。
夢の中に入る寸前で、スマホがブルッと鳴った。
「あ、親からだ。帰ってくるって」
「うちも、ダンナさんが帰ってくるわー」
今はまだ中学生だ。バイトすらできない。なんのお返しもできなかった。
大人になって稼げるようになったら、ちゃんとお返ししよう。
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