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第三章 受け継がれるメロディ

本当にほしいもの

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 長いようで短かった同居生活も、今夜限りとなった。
 後は、親娘の直接対決を残すのみ。

 夕方、華撫を連れて、小久保さんの会社前へ。

 ビルの隙間から吹いた生暖かい風が、頬をかすめていく。
 夏も終わりだと言うのに、未だ容赦ない日差しがオレたちに降り注ぐ。

 何をやっているんだろうと、オレの脳に冷静さが蘇ってきた。きっと暑さのせいだ。

「覚悟はいいか?」
 植木の側に身を潜め、華撫に呼びかけた。

「ええ」と華撫は答えたが、顔が強ばっている。

「ビビるな。相手だって人間だ」

「分かってるわよ。けど、いざとなると緊張するわね」

「来た!」

 小久保さんが、会社から出てきた。丸々と太っていて、少し頼りない。が、優しそうな雰囲気を持つ。奥さんに見せてもらったスマホの画像より、実物の方がいい人そうだ。

 小久保さんが、歩道へ歩いて行く。深歌のいる店に向かうのだろう。

「ついて行こう」
 オレ達も後に続く。

「どうだ? 悪い人ではなさそうだが」
「パパと全然違う」

 そういうが、華撫は別に幻滅している様子はない。

「あの人が、ママが好きになった人」
 複雑な感情が、華撫の顔に浮かぶ。まだ心の整理が付いていないのか。

「やっぱ嫌なのか? お袋さんに裏切られた気分か?」
 華撫は首をブンブンと振った。

「あたしはママを応援するために、ママとケンカするの」




 小綺麗なシティホテルに、小久保さんが入っていく。

 中には既に、深歌が座っていた。ゆったりとした上着に、落ち着いた色のスカートである。よく見るスーツ姿じゃない。奥の席でコーヒーに口を付ける。それだけで絵になりそうだ。いつものキャリアウーマン然とした風格は消し去り、女の一面を覗かせている。


「ほんとうに、ママなの?」
 華撫は、いつもと違う深歌の様子に、困惑していた。


 深歌は小久保さんを見つけて、笑顔で手を上げる。

 小久保さんも、微笑んで深歌の元へ。


「気になるか?」

「ママのあんな顔、初めて見た」
 不思議なモノを観察するかのように、華撫は呟いた。

 二人は何かを話している。きっと将来のプランを考えているのだろう。

「よし、行こうか」
「ええ」

 意を決して、二人の元へ向かう。

「やっと来たわね、華撫。それと、博巳?」

 声をかけられたが、華撫は一目散に、小久保さんの元へスタスタと歩いて行った。

 あり雪を見守るために、オレは一歩引く。

 小久保さんの顔を見るや、華撫は深く腰を折る。 

「ごめんなさい!」
 父親になろうとしている男に、華撫が最初にかけた言葉は、謝罪だった。

「すいません、小久保さん。稲垣の奥さんから事情は聞いています」
 華撫の背後から、オレはかいつまんで事情を説明する。

「あたし、パパが、高林健が好きなの。あなたよりずっと」

 深歌はやはり、華撫の言葉に眉をひそめた。
 

「ママはあなたを愛しているわ。だけどあたしは無理なの。あなたの友達になら、あたしにだってなれると思うの。でも、父とは呼べない。一緒には暮らせないの」

 ハッキリと、華撫は告げた。

「いいかげんにしなさい! これから一緒に住む人になんて事を!」
 深歌が、華撫に掴みかかる。 

「黙ってろ!」
 オレは、深歌を押さえた。

「離してよ、博巳。この子ったら!」

「いいから聞け。華撫はな、新しい父親を嫌っているんじゃない。お前の幸せを願っているんだ」

「言っている意味が、よく分からないわ」
 深歌が、困惑気味の表情をオレに向けてくる。

「別に、華撫は深歌に恋人が出来ること自体は、反対していないんだ」

 本当に小久保さんが嫌いなら、「自分が義務教育を終えるまで、同居を先延ばしにしてくれないか」と告げるだけでいい。

 こいつの迷いは、もっと深いところにある。


「華撫は、前を向こうとしている深歌にとって、自分が邪魔だと思ってる。せっかくできた二人の時間を、自分のせいで壊したくないんだよ」

「そうだったの、華撫?」

 華撫は、深歌の問いかけに答えない。
 が、眼差しが回答になっていた。

「だから私は、ちゃんとこの方を紹介して――」
 深歌はなおも、小久保さんとの同居を進めてくる。

 だが、違うんだ。華撫がほしいのは、それじゃない。

「分かってないじゃんか。華撫はもうお前に母親らしいことなんて求めてないんだよ。一人の人間として生きて欲しいんだ。わがままに、自由な深歌に」

「そんな。私はこの子の母親よ。放棄するなんてできないわ」


 あーもう。


「華撫は自立したいんだよ。華撫だって一人前に考えたんだ。分かってやってくれ」

 健の忘れ形見である自分がいれば、深歌は必ず健を思い出してしまうに違いない。

 それでは、小久保さんとの恋愛に目を向けられなくなる。

 遠慮が積み重なって、いつか関係が壊れてしまうのでは。それが、華撫には耐えられなかった。

 ならば、いっそ自分から離れていくべきだと、華撫は考えたのだ。

 ようやく、深歌が席に座る。だが、目に力がない。

「ママが新しいパパを好きになったって言われたとき、あたしね、ホッとしたの」

 話の意図が掴めないのか、深歌が首をかしげた。
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