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第三章 もうひとりのキス変使い

挑発

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「八号も、最後の一口よ」

 ハンバーガーを支えていた串を持ち上げて、野生児のようにかけらへとかぶりつく。

「ごちそうさま」
 何事もなかったかのように、まにゃにゃは口元をナプキンで拭いた。

 口直しなのか、仕上げにもう一度舜さんとキスをする。実に悩ましい。

「タイムは?」
「五八分三秒。一時間以内にクリアだよ」
 ふー、とまにゃにゃは深呼吸した。

「さすがに九号は無理ね。お腹いっぱい」
 まにゃにゃは、妊婦さんばりに膨らんだお腹をさする。

 汗で身体に張り付いたTシャツが、激闘の凄まじさを物語っていた。


「で、やまとんの感想は?」
 特に敵意はなく、単に感想を聞きたい様子だ。

「あたし、全国のデカ盛りを攻略して回ってるんだけど、ここは中々の物だったわ。ちゃんと舌が飽きないように、さりげなく味にバリエーションも施してある。とはいえ、かなりのボリュームはあったわ。キス変してなかったら、タイムはこれ以上にかかったでしょうね」

 でもね、とまにゃにゃは加えた。

「実は、ここに来た理由はこれだけじゃないの。小柳由佳里、あたしと勝負してよ」
 まにゃにゃは由佳里を指差す。

「ここに、あたしと同レベルの大食いがいるって聞いてきたんだけど、まさかこんなもやしだったなんてね。恋人君も地味ね、なんか。舜きゅんと比べるまでもないわ」

 由佳里が拳を握った。

「悪いな、美佐男少年、こいつ、自分より強いやつがいるって聞いて気が立ってるんだ」

 まにゃにゃが僕らを罵る後ろで、舜さんが両手を合わせてずっと頭を下げている。

「だから思い知らせてやろうと思ったの。最強の大食いが誰なのか。どう、あたしの挑戦、受ける気はない?」
 まにゃにゃが、挑発的な視線を由佳里に送る。

「ない」と、由佳里は即答した。

「どうして? あたしを倒せば、一気に名前も上がるわよ。これだけ好き放題言われて、アンタ悔しくないの?」
 思わぬ返答に、相手は困惑しているようだ。


「大食いに競技性を求める人はいてもいいとは思うよ。でも、私はもっと楽しく食べたい。プレッシャーに押し潰されながら食べるなんて、私には無理」

 まにゃにゃは黙って聞いていたが、やがてフン、と鼻を鳴らす。


「ふーん。怖いんだ。彼氏のせいで負けるのが」
 僕に視線を送って、まにゃにゃが口元を緩ませた。



「キス変の発案者だって聞いたけど、ホントかしら? 発想は面白いけど、ただの苦し紛れで思いついたんじゃないの? キスから先もしてなさそう」

「なんですって⁉」
 由佳里がテーブルをバンと叩き、席を立つ。

「あんたも奥手っぽいわね。おっぱいだって控えめだし」

 由佳里が、自分の胸に手を当てて「うう」と唸った。

 僕はと言うと、実際その時はそうだったから、何も言い返せない。ましてや、キスから先なんて想像もつかなかった。

「あれ? じゃあアンタ達は、キス以上の事したんだ?」

「それは……」
 言葉に詰まって、由佳里がうつむいてしまう。

「ほら見なさい。プラトニックも良いけど、ちょっとはカレシを満足させてあげたらどうなの?」

「俺はまだキス以上なんかした事ないがね?」
 舜さんが話に水を差した。

「ちょ、舜きゅん、余計な事言わないで!」

「もういいだろ真奈、用件だけ伝えろっての」
 付き合いに慣れているのか、舜さんは冷静にまにゃにゃをなだめる。

「フン。そういう訳で、悔しかったら、アンタ達の方が強いって証明してみたら?」

「わかった。勝負しましょう」
 由佳里は、まにゃにゃの挑発に乗ってしまった。

「じゃあそういう訳だから。セッティングは、誰に頼めばいいかしら?」
「それなら、当店が引き受けるよ。ウチは公式試合の実行委員会にも顔が利くからね」

 小春オバちゃんが腕をまくる。

「秋山さんだっけ? じゃあ、後はよろしく。ごちそうさま」 
 ひらひらと手を振って、まにゃにゃはドアの向こうへと消えていった。

「悪いな、お二人さん。あいつ、強い奴見ると勝負したくなる性分でな」

 一人残された舜さんが、お勘定を払う。何も食べていないのに。「結構食費とか大変なんだよな」と、こぼす。

「でもよ、あいつに眼を付けられたって事は、見込みがあるって事なんだ。気を悪くしないでくれよな。じゃあ、試合会場で合おうぜ」
 そう言って、舜さんがまにゃにゃを車に乗せる。

 とんでもない事になった。由佳里が、プロと対決する事になってしまうなんて。




「何よ、あのデカパイ! アッタマ来た!」
 帰り道、由佳里は相当頭に来ているようだった。

 こんな感情的な由佳里は、始めて見た気がする。

「由佳里、勝てそう?」
「わかんない。でもさ、美佐男くんを侮辱されたのが一番許せない! だから勝とうね、絶対」

 その一言で、由佳里が怒っていたのは、僕をバカにされたからだったと気付いた。

 嬉しい反面、気を使われた情けなさが襲う。

「けど、彼女の言うとおりだよ。僕なんて何の取り柄もないし」

「そんな事ない! 美佐男くんは自分が思ってるより素敵だよ。でないと私も付き合おうなんて思わなかったもん」

 そう言われると、ちょっとだけ自信が付いた。

 とはいえ、まにゃにゃは強い。対策が必要だろう。
「どうするの、由佳里?」

「作戦会議しましょう。週末、私の家に来てね」
 由佳里はさりげなく、凄い事を言った。
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