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最終章 悪意と希望

第7話 天災の大蛇

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 ――その時蛇が動き出した。

 まるでこの瞬間を待っていたように。

 忍ばせていた尾を蝶に振り落とし締め上げ頭からパクリと噛みつく。

 蝶は抵抗ていこうするようにバタバタと羽をバタつかせ黒い炎を纏っていたが蛇に締められて徐々じょじょに動かなくなっていった。


 ジュウっという音が辺りに響き蛇の中に蝶が収まっていく。

 あまりのことに動けずにいた俺を、蛇はゆっくりと振り返った。
 対の目が爛々らんらんと輝いている。


「……っ」

 まるでこちらをあざ笑っているかのようだ。
 蛇はぺろりと舌なめずりをした後、おもむろに口を開いた。

『ふはは、久しぶりの馳走ちそう楽しませてもらったよ。ここまで待った甲斐かいがあったなぁ』

 地の底から響いてくるかのような底冷えのする声だった。
 老人のようにしわがれている超えかと思えば少女のような声に変わり、コロコロと定まらない。
 まるで正体がないかのようだった。

『しかしやはり食いではあまりないのぉ。所詮しょせんはこの程度の悪意か……興ざめじゃな』

「……お前は仲間の誕生を待っていたのではないのか」

『ふはっ! まさか』

 蛇は愉快そうな声を上げて笑う。

『儂はただ己の力を一番効率よく回復させようと機会を伺っていたに過ぎん。同胞どうほうなどただの餌よ。……まあ前菜くらいにはなったか。精霊共を呼び寄せるだけではなかなか回復に至らんかったからな、女には感謝してやらんでもない』

 蛇は少しふくれた腹を尻尾でなでる。
 立ち上っていた黒い炎が蛇を包むと小さな体があっという間に人間大になった。


 力を回復したということだろう。
 こいつにとってはあの息がつまりそうなほどの悪意もつまみ程度の存在のようだ。


褒美ほうびに貴様の知る声にしてやろう』

 蛇は赤い瞳を楽し気に細めると子供の声でそう言い放つ。

 まだ声変わりもしていない幼い男の子の声。
 その声には聞き覚えがあった。

 呪いの発作ほっさで亡くなった……



 ――弟の



「……き、さま。まさか……」

 嫌な予感に思わず声が漏れた。
 体の芯が冷えていくのを感じる。


『ふふ、うれしかろう? 我が腹の中に収まった者どもの記憶はあるからの、正真正銘しょうしんしょうめい貴様の弟の声よ。他の血筋の者どもも、己が血を分けた兄弟の声でささやいてやるとすぐに涙していたなぁ』

 手が震えだす。
 昔から頻繁ひんぱんに頭の中で亡くなった兄弟の声を聞いていた。


 それは決まって一人だけ生き残った自分を責めるもの。
 助けてやれなかった自責じせきの念から聞こえてくる幻聴げんちょうだと思い込もうとしてたものだ。

 だが幻聴などではなかったというのか。

『憎き男の子孫など根絶やしにしてやるつもりだったが貴様たち血族はしぶとくてのぉ。仕方がなしにこうして声を使ってやったらすぐに心を壊して……そこからは早かったのぉ。はは! 自分の大切な存在からの罵詈雑言ばりぞうごんはさすがにきつかったようだな』

「……」

 蛇は弟の声のままいやらしく笑う。
 やはり弟の声ではあるが、そこには隠しようもない悪意がにじみ出ていた。


 あれは、弟の言葉ではない。


「それは……他の兄弟達にもやったのか?」

『あぁ、もちろん。おかげで早い回収だっただろう? ……おっと』

 俺はおもむろに剣を振り払った。
 激しい憎悪が俺を突き動かす。


「……外道が」

 自分だけが受けるならまだよかった。
 だが何に変えても守りたかった兄弟たちにまでそんな重荷を背負わせていいただなんて誰が思うだろう。

 こいつだけは許せない。

 怒りで頭が爆発しそうだった。
 視界が赤く染まる。


 そのまま切りかかるが、ひらりと素早くかわされてしまった。
 怒りで動きが単調になってしまっているのだろう。

 頭では分かっているのに、体は感情のままに動いてしまう。
 放った剣は虚しく空を切り裂いた。


『ははは! そんな剣では当たらぬぞ!』

 蛇は俺が怒れば怒るほど楽し気に目を細めた。
 反撃しようとすればすぐにでもできるだろうに、それをしないで怒りを煽るような言葉を投げかけてくる。

 これが天災と呼ばれ恐れられた悪意の塊なのかと、どこか冷え切った頭で思った。

『忘れてはおらぬか? 儂は貴様についておる。故に……』

「ぐっ!?」

 見えない何かで締め上げられた体が悲鳴を上げる。
 呪いの発作ほっさのように重たく体にのしかかった。

 カラン

 腕に力が入らずに剣を落としてしまった。
 そのすきを見逃さず尻尾で薙ぎ払われる。

「ごほっ!」

 壁にぶつかりみしりと嫌な音が聞こえた。

 ヒューヒューと口から洩れる呼吸音がおかしい。

 恐らく肋骨ろっこつが何本かいったのだろう。

 ごぶっと口にたまったものを吐き出せばそれはやはり血の塊だった。


(たった一撃食らっただけで……)

 剣は蛇の下にあり、自分は満身創痍まんしんそうい
 蛇は消えるどころか大きくなってしまった。


「……はは」


 乾いた笑いが出てくる。

 フラリアを助けたいと飛び出してきたくせに、自分の呪いにやられて死ぬことになりそうだ。

(結局、俺は何も守れない)

 巻き込んでばかりで、知られるのが怖くてごまかして。

「悲しませてばかりだな、俺は」

 結局天災と言われた大蛇を相手に手も足も出ない。

 意気込みだけ立派で何もできないあの頃のままだ。


『ほう? 心が折れたか。つまらぬなぁ。まあいい、もう終わらせるとしようか』


 蛇がゆるやかに俺に巻き付いてくる。
 右腕だけは辛うじて巻き付きから外せたが徐々に締め上げる力が強くされていく。

 メキメキときしむ音がした。
 息が、できない。

 このまま締められ続けられれば窒息ちっそく死は免れないだろう。


 ――俺は



 脳裏のうりにフラリアの顔がよぎった。

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