大宗教家

ショー・ケン

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大宗教家

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 ある宗教家が山奥の寺のような建物にいた。その時代の有名人で、ある村の疫病に悩む小僧が彼に助けをこおうと訪れた。
“なるほど、わけはきいた、しかし人の命を救うことはかなわないかもしれない、ただ、人の心を救うことはできるだろう”
“ふむふむ”
 納得し小僧は暫く修行することに。するとその宗教家は、四六時中だれかの助けをして、助けることばかりを考えていることがわかった。
“なんと、こんな簡単なことだったのか”
 しかし、その宗教家のことば、しぐさ、どれもが人をひきつけた。そのため小僧はそんなことは真似できないかもしれないと落ち込んでいた。

 ある夜、眠れず建物をさまよっていたその時、ある部屋で声がするので盗み聞きすると、宗教家とおつきの女性が話しているのだった。
“あの小僧、いつになったらいなくなりますか”
“さあ、わからぬ、彼がいなくなったら、また一緒に不貞や色欲に溺れることもできよう、もう一つの辛抱じゃ”
“ええ”
 小僧はふつふつと怒りがわいてきたが、その続きをきいた。
“彼の前では私は何の見返りもなく助けたふりをする、だが、私は大宗教家だ、見返りがないはずがない、ことわってもことわっても、私の偽りの姿へ人々は感動するのだ”

 やがて翌日小僧は村をでた。隠したつもりだが、顔中に怒りはあふれていた。
宗教家は心の中でいった。
“私のようなものを許せるか、助ける意欲がわくかどこか、それが最後の分岐点だ、ああ、小僧よ、いずれ私をこえていくとよい、溺れるものはわらをもすがるが、藁にすがらぬ余裕を持つものが、救いのない現実を救いに変えるだろう”

 宗教家は、その年代には、立派な宗教家として有名になったが、その次の世代には“立派な宗教家をそだてた宗教家”として有名になったのだった。
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