岬ノ村の因習

第37話 地獄からの解放

「騙されたねえ、二重のフェイントだよーん」

　ミヒロは堤田の目を抉りながら満面の笑みを浮かべた。
　当の堤田はあまりの痛みに絶叫する。
　渾身の力でマイナスドライバーを振るい、ミヒロを滅多刺しにした。

「にひっ、にひひひっ」

　胴体に穴が開いてもミヒロは怯まない。
　両目に刺した親指を離すどころか、さらに奥まで突き込んでいく。
　堤田は甲高い声を上げて悶え苦しんだ。

「いぎいいいぃぃぃぃっ」

　堤田がミヒロを殴って押し退ける。
　彼の眼球は完全に潰れ、血の涙が流れ出していた。
　視力を失った堤田は狼狽しながら吠える。

「お前っ、どうしてくれんだ！　目が！　俺の目がああああああぁぁぁぁァァァッ！」

　堤田がマイナスドライバーを滅茶苦茶に振り回す。
　痛みを誤魔化すように怒鳴り、反撃を恐れて絶えず暴れていた。
　彼は勘と気配でなんとかミヒロを捉えようとしている。

　一方でミヒロは足音を消して歩いていた。
　まだ大きくふらついているものの、ゆっくりと堤田の背後へ回り込む。
　血に汚れたピエロメイクは色褪せない狂気で輝いていた。

　途中でミヒロは金属バットを拾う。
　折れた指のせいで難儀するも、どうにか無理やり握り込んだ。
　そして、忍び足で堤田に近寄ると、無防備な後頭部を殴り付けた。

　堤田が小さく呻いて倒れる。
　手足がガタガタと大きく痙攣していた。
　ミヒロは嬉々として金属バットを振り上げる。

「えいえーい、千本ノックだー」

　ミヒロは一定のテンポで殴り続ける。
　負傷した身体では満足な威力が出ずに手間取るが、昏倒した堤田は無抵抗なので問題なかった。
　彼女は歌いながら景気よく金属バットを振るう。

　そうして殴打を繰り返すこと数分。
　うつ伏せになった堤田は死んでいた。
　後頭部が何か所も凹み、顔の下には大きな血だまりができている。

　金属バットを落としたミヒロは自身の手を見る。
　執拗な殴打の反動で手が痺れていた。
　折れた指は皮がめくれている。

　続けてミヒロは身体の状態を確かめた。
　胴体はマイナスドライバーで穴だらけになり、頭部の出血は続いている。
　目まいや吐き気に加えて視界が霞む。
　耳もあまり聞こえていなかった。
　全身が痛みを通り越して寒気を訴えている。

「うんうん、絶好調だねえ」

　楽しげに頷いたミヒロは、椅子に拘束された平野の前に立つ。
　平野はうわ言を洩らしていた。

「う……ぁ、う……」

　虚ろな眼差しは、彼が未だに虚構に縋り付いていることを示している。
　耐え難い現実から逃れるため、都合の良い妄想で覆い隠そうとしていた。
　ミヒロは平野の頭を撫でて言う。

「別にいいじゃん。戻ってこなくてもさ」

　ミヒロは平野の拘束を腕だけ解いた。
　彼の手にナイフを握らせると、その上から自分の手で包み込む。
　そして、二人で握るナイフの刃を平野に近付けた。

「あたしね、平野クンをずっと壊したかったの。台無しにしたくて堪らなかった」

　平野は反応しない。
　迫る刃を見ず、どこか遠くをぼんやり眺めている。
　口元はあるかないかの薄笑いを浮かべていた。

「平和ボケした人の顔が絶望に歪む瞬間が最高でさ。ついイタズラしたくなるんだ。よく悪趣味って言われるけどやめられないよね」

　ミヒロが泣き笑いのような表情になる。
　しかしそれも一瞬のことで、すぐにヘラヘラとした雰囲気に戻った。
　彼女は目を細めて堤田の死体を一瞥する。

「君を横取りされた時は焦ったなぁ。まあ勝てたし結果オーライか」

　思考を自己完結させたミヒロは、さらにナイフを押す。
　刃が平野の首に触れようとしている。
　ミヒロは平野の耳に囁く。

「さて、ここからが本題」

　とうとうナイフが平野の首に触れた。
　切っ先が今にも皮膚を破りそうになる。
　そこで止めたミヒロは告げる。

「君は死んで私は生き残る」

　それを聞いても平野は動揺しなかった。
　ふにゃりとした微笑みを見せて大人しく座っている。
　ミヒロは気にせず囁き続けた。

「迷惑だよね、ごめん。でも決めたことだから」

　二人の握るナイフが動き始める。
　ミヒロの笑みが、だんだんと、深まっていく。

「この感覚……忘れないようにしないとね。二人だけの思い出だよ」

　ミヒロが平野に口付けをした。
　唇を離したミヒロは別れを告げる。

「じゃあね、バイバイ」

　ミヒロが手に力を込める。
　ナイフの切っ先が喉を突き破った。