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自由を得たネズミ
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それが表情に出ていたのだろう。辰彦は俺の顔を見て、苦しそうな顔を浮かべた。
それから、辰彦は俺の髪を優しく指先で掬った。
その仕草に胸の痛みが増した。俺ではない何かを見ている気がしたからだ。
でも、辰彦の口から聞かされた真実は俺の心を揺さぶった。
辰彦は俺の髪に触れながら、静かに話し始めた。
辰彦は昔、俺の父と母と共に仕事を請け負う班を組んで、同じ任務に就いていたらしい。
それで俺の母である白菊に恋慕を抱いたのは自然な流れだった。
けれど、俺の父も同じく白菊を好きになっていた。
しかし、その時の白菊は友厚も辰彦も仕事仲間としか思っていなかったようで、どちらからの交際の申し込みも軽くいなしていた。
しかしある任務で三人は大きな失敗をしてしまう。
敵に囲まれて絶体絶命の状態に追い込まれた時、辰彦は二人を逃がすための囮になった。
辰彦にとっては二人は大切な仲間だったから、自分が犠牲になってでも生き延びてくれるなら構わないと思っていた。
そこで辰彦は背中を切られたが、瀕死になりながらもなんとか逃げることが出来た。
本当なら死んでもおかしくない傷で、半年ほどで起きれるように回復したのは奇跡だった。
そう。切られる場面を見た二人はあの状態で逃げ出せるとも、逃げ出せたとしても生きているとも思えなかったのだ。
それに友厚も白菊も大なり小なり怪我をしており、逃げるのがやっとだっただろう。
「生死の境から戻れた私も二人が生きているかどうか確認する余裕も無くて、ただ自分が生きる事に必死だった」
それほどの負傷だったので、もう前線で任務を熟すことも出来なくなり、情報を取り纏める裏方の仕事を受けるようになった。
だが、案外裏方仕事の方が自分に向いている事に気付いた。
そこで二人が所帯を持ち、子供が生まれたという話を聞いた。
だから一度だけ会いに行った。
「やっと立てるくらいになったお前は、人見知りして白菊に抱き着いてあまり顔を見せてくれなかったな。生きている白菊に会ったのはそれが最後だ」
辰彦は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そう、でしたか……」
俺はなんと言っていいのか分からず、言葉に詰まってしまった。
「白菊の死が辛くてね。葬式以降は足が遠退いて、先日友厚が来るまで思い出しもしなかったよ」
「俺……母上様に似ていますか?」
辰彦は愛おしい姿を思い出すかに、俺の顔を撫でた。
「そうだね。瞳が一番そっくりだ。鼻の形も似てるかな。うなじの黒子の位置も同じだよ」
辰彦は俺の頬や首筋に何度も触れた。
辰彦が母を想っていたのは本当なんだと胸が痛んだ。
けれど、それと同時に俺が辰彦の傍にいる理由が出来た気がした。
俺を撫でていた辰彦の手に自分の手を重ねて聞いた。
「母上様に似た俺を見るのが、嫌になりましたか?」
「そんなわけあるわけないだろう。下働きに紛れていたお前の容姿に一目惚れしたんだからな」
辰彦の言葉に俺は目を見開いた。
一目惚れをした下働きが実は忍び込んだ間者だと調べがついたため、何か機密情報を盗まれて逃げられる前に捕まえて監禁したという事らしい。
間者の口を割る以上に激しく凌辱しまったのは、殊の外俺を気に入ってしまったからだと言う。
「俺は、捨てられたんじゃなかったんですね」
「当たり前だ」
迷いのない返事に希望が見えた気がした。
「辰彦様。俺……男だけど、母上様に似てるなら……、俺を愛してくれませんか?」
「お前は身代わりにされて嫌じゃないのか?」
「身代わりでも、母上様ももう居ないんです。だから身代わりでもかまいません」
もし母が生きているのに身代わりにされたら、いつか愛に飢えて嫉妬で狂っていたかもしない。
だけど、母は既にこの世にいないから、身代わりにしたいほどの愛を注いでもらえるなら幸せだと思ってしまう。
「俺は辰彦様を愛してしまいました。お側に置いてくれませんか?」
「お前の愛は、身体の欲に引きずられた偽りかもしれないよ?」
「辰彦様じゃないと満足出来ない身体になってしまった俺が、他の誰かを愛せると思いますか?」
「ふっ、確かに無理そうだ」
辰彦は嬉しそうに笑った。その笑顔に胸が高鳴った。
「お前の気持ちは良く分かった。また逃げたいと言っても逃がしてあげないよ?」
「はい」
「私の側にいてくれるかい?……紫苑」
不意打ちに本名を呼ばれて息が止まるかと思った。
母上様が名付けてくれた名前。
キク科の花の名だと知って女みたいだと恥ずかしくて、物心ついた頃から紫狼と仮の名で名乗っていた。
その流れで、同じ発音の四郎という名も使っていたのだ。
だから、もう俺を『紫苑』と呼ぶのは今は父上くらいしかいなかった。
「名前……知ってたんですか?」
「ああ。白菊が教えてくれたのを思い出したんだ」
「そ、そうですか」
「紫苑と呼ばれるのは嫌かい?」
「だって女みたいじゃないですか」
俺は唇を尖らせて不満を訴えた。
すると辰彦は俺の顎を掴んで、自分の方を向かせた。
そして、そのまま口づけをした。
突然の出来事に俺は固まってしまった。
少ししてから辰彦は口を離すと、悪戯っぽく微笑んだ。
「私の女になるんじゃないのか?」
「そうですけど、それとこれとは違うっていうか」
「せっかく白菊が付けてくれた名だ。私は紫苑という名で呼びたいんだ。良いね?」
辰彦は有無を言わせない口調でそう言うから頷いてしまった。
「いい子だね、紫苑。私の紫苑。もう逃がさないよ」
その声音は甘くて優しくて、まるで毒のように染み込んできた。
それから、辰彦は俺の髪を優しく指先で掬った。
その仕草に胸の痛みが増した。俺ではない何かを見ている気がしたからだ。
でも、辰彦の口から聞かされた真実は俺の心を揺さぶった。
辰彦は俺の髪に触れながら、静かに話し始めた。
辰彦は昔、俺の父と母と共に仕事を請け負う班を組んで、同じ任務に就いていたらしい。
それで俺の母である白菊に恋慕を抱いたのは自然な流れだった。
けれど、俺の父も同じく白菊を好きになっていた。
しかし、その時の白菊は友厚も辰彦も仕事仲間としか思っていなかったようで、どちらからの交際の申し込みも軽くいなしていた。
しかしある任務で三人は大きな失敗をしてしまう。
敵に囲まれて絶体絶命の状態に追い込まれた時、辰彦は二人を逃がすための囮になった。
辰彦にとっては二人は大切な仲間だったから、自分が犠牲になってでも生き延びてくれるなら構わないと思っていた。
そこで辰彦は背中を切られたが、瀕死になりながらもなんとか逃げることが出来た。
本当なら死んでもおかしくない傷で、半年ほどで起きれるように回復したのは奇跡だった。
そう。切られる場面を見た二人はあの状態で逃げ出せるとも、逃げ出せたとしても生きているとも思えなかったのだ。
それに友厚も白菊も大なり小なり怪我をしており、逃げるのがやっとだっただろう。
「生死の境から戻れた私も二人が生きているかどうか確認する余裕も無くて、ただ自分が生きる事に必死だった」
それほどの負傷だったので、もう前線で任務を熟すことも出来なくなり、情報を取り纏める裏方の仕事を受けるようになった。
だが、案外裏方仕事の方が自分に向いている事に気付いた。
そこで二人が所帯を持ち、子供が生まれたという話を聞いた。
だから一度だけ会いに行った。
「やっと立てるくらいになったお前は、人見知りして白菊に抱き着いてあまり顔を見せてくれなかったな。生きている白菊に会ったのはそれが最後だ」
辰彦は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そう、でしたか……」
俺はなんと言っていいのか分からず、言葉に詰まってしまった。
「白菊の死が辛くてね。葬式以降は足が遠退いて、先日友厚が来るまで思い出しもしなかったよ」
「俺……母上様に似ていますか?」
辰彦は愛おしい姿を思い出すかに、俺の顔を撫でた。
「そうだね。瞳が一番そっくりだ。鼻の形も似てるかな。うなじの黒子の位置も同じだよ」
辰彦は俺の頬や首筋に何度も触れた。
辰彦が母を想っていたのは本当なんだと胸が痛んだ。
けれど、それと同時に俺が辰彦の傍にいる理由が出来た気がした。
俺を撫でていた辰彦の手に自分の手を重ねて聞いた。
「母上様に似た俺を見るのが、嫌になりましたか?」
「そんなわけあるわけないだろう。下働きに紛れていたお前の容姿に一目惚れしたんだからな」
辰彦の言葉に俺は目を見開いた。
一目惚れをした下働きが実は忍び込んだ間者だと調べがついたため、何か機密情報を盗まれて逃げられる前に捕まえて監禁したという事らしい。
間者の口を割る以上に激しく凌辱しまったのは、殊の外俺を気に入ってしまったからだと言う。
「俺は、捨てられたんじゃなかったんですね」
「当たり前だ」
迷いのない返事に希望が見えた気がした。
「辰彦様。俺……男だけど、母上様に似てるなら……、俺を愛してくれませんか?」
「お前は身代わりにされて嫌じゃないのか?」
「身代わりでも、母上様ももう居ないんです。だから身代わりでもかまいません」
もし母が生きているのに身代わりにされたら、いつか愛に飢えて嫉妬で狂っていたかもしない。
だけど、母は既にこの世にいないから、身代わりにしたいほどの愛を注いでもらえるなら幸せだと思ってしまう。
「俺は辰彦様を愛してしまいました。お側に置いてくれませんか?」
「お前の愛は、身体の欲に引きずられた偽りかもしれないよ?」
「辰彦様じゃないと満足出来ない身体になってしまった俺が、他の誰かを愛せると思いますか?」
「ふっ、確かに無理そうだ」
辰彦は嬉しそうに笑った。その笑顔に胸が高鳴った。
「お前の気持ちは良く分かった。また逃げたいと言っても逃がしてあげないよ?」
「はい」
「私の側にいてくれるかい?……紫苑」
不意打ちに本名を呼ばれて息が止まるかと思った。
母上様が名付けてくれた名前。
キク科の花の名だと知って女みたいだと恥ずかしくて、物心ついた頃から紫狼と仮の名で名乗っていた。
その流れで、同じ発音の四郎という名も使っていたのだ。
だから、もう俺を『紫苑』と呼ぶのは今は父上くらいしかいなかった。
「名前……知ってたんですか?」
「ああ。白菊が教えてくれたのを思い出したんだ」
「そ、そうですか」
「紫苑と呼ばれるのは嫌かい?」
「だって女みたいじゃないですか」
俺は唇を尖らせて不満を訴えた。
すると辰彦は俺の顎を掴んで、自分の方を向かせた。
そして、そのまま口づけをした。
突然の出来事に俺は固まってしまった。
少ししてから辰彦は口を離すと、悪戯っぽく微笑んだ。
「私の女になるんじゃないのか?」
「そうですけど、それとこれとは違うっていうか」
「せっかく白菊が付けてくれた名だ。私は紫苑という名で呼びたいんだ。良いね?」
辰彦は有無を言わせない口調でそう言うから頷いてしまった。
「いい子だね、紫苑。私の紫苑。もう逃がさないよ」
その声音は甘くて優しくて、まるで毒のように染み込んできた。
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