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第十三話 御心
しおりを挟むセイナを抱き上げると、モミジは彼女の言う『教会』へと向かう。ただ、今回も屋根伝いに、というわけには行きそうになかった。
「あらら、さすがに目立ちすぎたかねこりゃぁ」
どうやら、モミジ出現の報はようやく街に浸透したようで、街の全域に警戒態勢が敷かれていた。地上を巡回する騎士はもちろん、民家の上を騎士が跳び回って監視の目を広めていた。セイナを助けた時の現れ方が伝わって、モミジが屋根上を移動していたのが分かったのだろう。
「……モミジ、何をしたの?」
モミジのつぶやきを聞き、彼が原因だと察したセイナが腕の中で眉をひそめる。
「ま、色々な」
「そう」
適当に誤魔化すと、セイナは興味を失ったのかそれ以上のことは聞かなかった。細かいことは気にしない方向で行くらしい。モミジとしても根掘り葉掘り聞かれるよりはありがたい。言って聞かせたところで余計な警戒心を産ませるだけだ。もっとも、これまでの様子を見る限り、事情を話したところで「そう」と一言だけで済ませてしまいそうな気配もあるが。
モミジも伊達に封印騎士団の追跡を振り切ってここまで来ているわけでは無い。セイナの目からしてみれば、モミジはさほど警戒せずに動いているように見えただろう。だがその裏では針の糸を通すような僅かな監視の隙間を掻い潜り、着実に歩を進めていく。
そして、特に問題もなく目的の『教会』にたどり着いた。
外観だけを見れば、今にも崩れ落ちてしまそうな古ぼけた建物だ。
「……間違いない。友達が消えた教会」
胸元のコートをつかんでいるセイナの手に、小さく力が入ったのをモミジは感じた。
「流石に正面から入るわけにはいかないから、二階の窓から行くぞ。しっかり捕まってな」
モミジは軽やかに跳躍し、人気のなさそうな窓から内部へと侵入する。
途端に、モミジの表情に険しさが混じった。
「随分とまぁ〝綺麗〟な空気だこと……」
「──? 綺麗なことはいいこと」
「程度ってのがあるんだよ、こういうのは」
僅かばかりの不純物すら浄化されたような澄み切った気配に、だがその渦中に身を置くモミジは居心地悪そうであった。
「セイナちゃん。嫌な気分とかするか?」
「ん?」
「今のところは大丈夫そうだな。何かあったらすぐに教えてくれ」
古ぼけた外観とは裏腹に、教会内部に埃っぽさがない。人の手によって管理されている証左だ。外観の古さは、人目を避けるためのカモフラージュなのだろう。
気配を殺しながら、二人は礼拝堂の二階部回廊に足を踏み入れた。
二階部の物陰から下を伺うと、すでに十数名の人間が祈りを捧げている。奥には司祭らしき教団の人間がおり、左手に本を持って礼拝者たちに語りかけていた。
「──やがて女神様は、自身の『剣』をもって悪しき邪神の躰を幾万にも粉砕し、戦いは終焉を迎えました。ですが、最後の一振りを持って力を使い果たした女神様は自身の持つ剣を残し、この世界を去りました。以後、世界は女神の祝福を受け、平和を享受しているのです」
それは、女神教に伝わる教えを説く司祭。女神教の信者ではないセイナも、この程度の話は聞いたことがあった。
「──ですが、世界は今、闇に包まれようとしています」
司祭が続けた〝その先〟に、セイナは首を傾げた。よくあるおとぎ話と同じく、『世界は平和になりました』で終わるはずの物語に続きがあったのだ。何気なくモミジへと視線を向けると、彼の表情は剣呑を秘めていた。
「砕け散った邪神の欠片は滅することなくこの世界に存在しています。それらはやがて力を取り戻し、いずれ邪神が蘇ることでしょう。再び世界が破壊と混迷に見舞われるのは間違いありません。矮小である我ら人間はこれに抗うことは、残念ながら叶わない」
未来に待ち受ける絶望を予見するかのような司祭の語りだった。
そして、司祭は本を閉じると大仰な仕草で両腕を広げた。
「今こそ、女神の再来を──魔を打ち払い、混沌を滅ぼす『聖剣』の誕生が望まれているのです。そしてそれには皆様方の祈りが必要なのです」
礼拝堂の再奥には、女神をかたどった像が鎮座していた。両手を組み、目を女神像に祈りを捧げる司祭。まさしく信徒の鏡とも呼べるようなその仕草だったが、モミジは唾棄するように呟いた。
「──これ以上聞いてたら、頭が痛くなりそうだな」
モミジは少女を腕に抱えたまま、礼拝堂の中に降り立った。
二階の回廊から飛び降りた黒ずくめの男に、通常なら場が騒然となりそうだったが、奇妙なことに誰もが驚きの声を発することがなかった。モミジとセイナを除く全ての人間が、絶えず祈りを捧げたままだった。
唯一、司祭だけが祈りの格好を崩すと、ゆっくりと目を開いた。
「──やはり来ましたか」
「俺が来ることが分かってたような口ぶりだな」
「そちらの少女を連れ去った者の特徴が報告されていましたので、もしやと思っていましたが」
司祭の視線を受けて、セイナがびくりと震えた。
「少女よ。その男から離れなさい。そのコクエモミジという男は、封印騎士団に反旗を翻し、女神様に刃を向ける大罪人です」
微笑む司祭は少女に向けて手を差し伸べた。
「安心なさい。我らが女神様は慈悲深いお方です。己の不徳を認め、贖罪をなさるのならば、きっと女神様はお許しになるでしょう。さぁ、こちらに来るのです。ともに女神の再臨を願い、『聖剣』の誕生を──」
「モミジ……なんかすごく気持ち悪い」
唐突に漏れ出たセイナの呟きに、司祭の表情が硬直した。見れば、セイナの顔色は蒼白となっており、小さく体を震わせていた。
モミジはセイナの耳元で「大丈夫だ」と小さく語りかける。それから司祭に向けて嘲笑うように言った。
「子供に随分と嫌われてるようだな、司祭様」
「──女神様の慈悲を愚弄するつもりか」
恥辱と怒りが混ざり合った感情を浮かべる司祭に、モミジはさらに畳み掛ける。
「人様の頭の中を弄るような真似が女神様の慈悲ってんなら、こっちから願い下げだっつの」
「なんだと?」
「俺が気付かないと思ってたのか? イカサマが過ぎるって事だ」
いつの間に具現していた《月読》の一本を放つ。咄嗟の事に動けない司祭の脇を横切ると、その切っ先が彼の背後に鎮座する女神像に突き立った。
刀身半ばまで食い込んだ剣を目に、司祭は憤りを見せた。
「き、貴様! 女神様の像になんという事を!?」
「俺としてはむしろ、女神様の像の中にこんなものを仕込んでた教団の人間に物申したいね」
《月読》の刀身がさらに食い込むとやがて像を貫通し、そこから発した亀裂が広がり女神像が崩壊した。
すると、砕けた像の中から、宝石を中心に埋め込まれた水晶玉のようなものが転がり出た。それを目にした司祭は慌てて手を伸ばそうとするも、彼の指が伸びるよりも早く、再度飛来した浮遊剣が水晶玉を弾き飛ばした。
宙を舞った水晶玉は、ちょうどモミジの手に収まった。同時に、セイナは己が感じていた不快感が消え去ったのを自覚した。
モミジの手の中にある水晶玉を目に、セイナが首を傾げる。彼女の疑問に答えるように、モミジが語る。
「洗脳系の《魔導器》だ。こいつは〝親機〟で、この街の他の教会にはこれの〝子機〟が埋め込まれた女神像があるんだろうさ」
「……洗脳?」
「──ッ」
司祭の表情に焦りが混じるも、モミジは構わずに続ける。
「ああ。日常生活では気づかないような微弱な洗脳波を〝子機〟から発し、ある一定まで洗脳が進むと、決められた時間に〝親機〟の元に向かうように仕向けてんだろう。 〝子機〟の洗脳波を一番強く受けるのは、教会の礼拝堂で祈りを捧げている時だろうな。だから、女神教の信者ばかりいなくなってたんだ」
──失踪事件の話を聞いた時、リィンが気づいたわずかな違和感。それは、失踪した人間の全てが《女神教》の信者であったことだ。それも、名簿に記載されるほど熱心な者たちばかり。封印騎士団の所属者はすべて女神教の信徒であり、だからこその見落としだった。
それを一目で見抜いたリィンの思考力は、モミジからしても驚歎に値する。
故に、彼女が真相に気づくよりも早く〝根〟を断つ必要があった。
「で、でたらめを言うな! その言い方では、まるで教団の人間が信者たちを洗脳しているように聞こえるではないか! それに、どうして貴様にそのような事がわかるのだ! それは、現在では再現不可能な、神代の時代から伝わる《魔導器》だぞ!」
取り繕うような司祭の言葉に、モミジは不敵に笑って見せた。
「俺ぁ《魔導器》の知識に関してはなかなかのもんだと自負してる。この程度の魔導器なら、手に取れる距離にあるなら中の構造を見抜くぐらい朝飯前だ」
簡単に信じられる事ではなかったが、ハッタリと簡単に切り捨てるには説得力がありすぎた。モミジの言葉が全て真実であるのを、司祭本人が一番理解していたからだ。
司祭の動揺具合満足がいったモミジは、次の瞬間には切れ味すら感じさせる鋭い視線で司祭を射抜いた。不可視の刃で貫かれたかのような寒気が体を貫き、司祭は息を飲んだ。
「人の救済を是とする組織が、人の心を弄んでどうするんだ」
──バキリ!
「おお、ワイルド……」
モミジは、一切の躊躇いなく、水晶の形をした魔導器を握りつぶした。決して柔ではない強度を誇っていたそれは、モミジの手によって内包されていた《魔晶石》ごと砕け散る。セイナは、一発芸を見たかのような気持ちで拍手を送った。
「な、なんという事を。それは、女神様の御心を広めるために下賜された、貴重な魔導器であったというのに……」
司祭が惜しむような声を発したが、モミジは気に留めなかった。実のところ、その魔導器は古の戦乱末期に開発されたとされ、現在にまで機能を保有したまま存在していた貴重な魔導器であった。モミジが持つ《七剣八刀》ほどでは無いが歴史的価値は計り知れない。そのことは、モミジも十分すぎるほど理解している。だが、人の心を操る道具など、いくら価値があろうとも破壊に躊躇する理由は無い。
「洗脳を〝御心〟と言い張るか。随分とご立派な宗教だな」
「女神様の教えを欠片も理解せぬ俄か信者たちに、真なる教えを説こうというのだ! 賞賛されるいわれはあっても、責められる道理は──」
「──その教えを説いた結果、いったいどれほどの人間を犠牲にした?」
怒気を発する司祭であったが、それをさらに上回る憤怒の気配に言葉を遮られた。物理的な圧力さえ感じられそうな怒りが場を支配する。
明確に向けられたわけではないが、セイナは思わずモミジから目を背けた。
「──?」
偶然にも目を向けた先は、このような状況であっても絶えず祈りを捧げている信者の一人であった。
モミジの言葉が正しければ、この場にいる信者の全ては〝洗脳〟されてこの場にいるのだろう。それにしたって、この場を支配する気配に触れたのならば、泣く子も黙るほどに正気を取り戻してもおかしくはなだろうに。
彼女の疑問は、次に目にした現実に混乱へと変じる。
──ボロリと、信者の顔が崩れた。
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