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第十話 平和と秩序の守護者

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 そこは、穢れ無き『聖域』と呼ばれる空間にも似ていた。美しい装飾の施された硝子ガラスがはめ込まれた壁面が神秘的な雰囲気を生み出している。
 
 ただ、その淀みない空間にあって、幾つかの動く影があった。

「──司教様」

 真っ白なローブを深々と被った者が、跪く。

「例の男がこの街に侵入したとの報告がありました」

 声の先、空間の最奥にはやはり白の、だが跪く者とは違う煌びやかな衣をまとった男性。

 彼は、己の目前に描かれた巨大な壁画を見上げていた。

 純白の翼を持ち、笑みを浮かべた美しい女性。光を背に、世界に平和と秩序をもたらす慈愛の象徴。

《女神教》が信奉する《白き女神》の肖像画。信徒の祈りを受ける、偶像。

「既に聞き及んでいる。の反逆者か……騎士団はどうした」

 壁画の女神を臨む男──大司教は、威風のある壮年の男性だ。厳のある声が、澄み切った空気を震わせる。緊迫感のある空気の中で、報告に来た司祭の男は報告を続ける。

「早々に発見をしたようですが、成果は皆無。本山から来訪していた聖騎士一行が追跡に当たった様ですが、返り討ちにあった上で取り逃がしたようです」
「──仮にも、彼の反逆者はただの一人で支部を壊滅に追いやった者だ。いかに聖騎士であろうとも苦戦は必至だろうな」
「仰るとおりです」

 市井にいらぬ不安を与えない為に、モミジの反逆行動は報じられてはいるが、その内実は詳しく明かされていない。しかし、事の重大さは当然であり、大陸全土にある支部の司教達には例外なく仔細が報告されている。

「《始原の理器エルダーアーク》である《七剣八刀》を抜きにしても、コクエモミジの実力は測り知れん」

 司教であるこの男は、未だ見ぬ反逆者の能力を油断なく把握していた。

「奴は従来の騎士とは別格の強さ。魔導器を無しにしたとて、並みならぬ剣技を有する強者であったと実際に交戦した聖騎士が語っています」
「うむ……」

 彫りの深い顔に、更に深く溝が生まれた。

「奴は、教団の孤児院出身だったな?」
「十の頃に天涯孤独の所を保護されたとされていまが、それ以前の経歴は両親血縁関係諸々不透明です」

 珍しくないとは言えないが、特筆すべき過去では無い。孤児院に入る様な子供など、大概が同じような経歴だ。この世界は安定しているが、同時に大きな脅威を孕んでいる。

「ただ、聖騎士が悔しげにも認める実力を持ちながら、どうして中級と言う地位に甘んじていたのか。何故反逆などと言う大罪を企てたのか。現時点で奴の真意には届きません」
「我が神聖なる《女神教》に反旗を翻す以上、相応の覚悟を持っていると見て間違いない。同じく、覚悟に見合うだけの目的があるのだろう」

 何より、七剣八刀を奪うその事実の重さは、教団の歴史に触れた者ならば推し量るに難くない。あれは『単なる強力な魔導器』では無い。

「……幸いにも、本山から『聖騎士』が訪れているのだ。反逆者を討つのにこれほどの好機はそうないだろう」
「ですが、反逆者は聖騎士を苦にせず退けるほどの者です。同行している騎士たちも優秀ではありましょうが、彼らで反逆者やつに対抗できるでしょうか」
「貴殿の心配ももっともだ。だが他ならぬ『聖騎士』であるのならば、奴に対抗できる手段はあるはずだ」
「──ッ、まさか……〝アレ〟を授けるおつもりですかっ!?」

 司教の真意を悟り、司祭が驚きの声を発した。

「で、ですが、本山の許可も得ずにそのような決断を──」
「本山もコクエモミジの反逆に関しての重大性は理解しているはずだ。きっと、我らの行為を認めてくださるだろう」

 司教は《白き女神》の肖像画を見上げ、そして司祭に命じる。

「……──の完成を急がせろ。その為の時間稼ぎを、全力をもって成し遂げるのだ!」
 
 
 
 負傷したアズハスを連れて、ミラージュ達は一度支部に帰還した。魔晶細胞の活性化下にあれば大抵の負傷は完治するが、怪我の度合いが深ければそれだけ長い時間を要する。ミラージュ達の手持ちにも救急用の魔導器はあるが、打撲や切り傷を治す程度で深い裂傷を治癒できるほどの効果は持ち合わせていない。さらに加えるなら、効果の高い魔導器は使い手を選ぶ為、結局は支部の医療部署に向かうしかなかったのだ。

「……随分と騒がしいな」

 アズハスを医務室に連れて行ったあと、ミラージュ達は現段階での報告書を提出する為に事務室に訪れたのだが。

 今朝方に来た時には気が付かなかったが、支部の中はかなりの喧騒な雰囲気が漂っていた。もう夜分遅くになり始めた頃だと言うのに、怒声じみた声と人の行き交いが絶えまなく、忙しない空気に包まれていた。モミジの件で──と言うには、耳に聞こえる言葉の端々からは、それ関係の発言は聞こえてこない。

「何かあったんでしょうか?」
「何かがあったんだろうな」

 一見しても、どうやらこの忙しさは普通では無い。内部勤務の騎士達の表情は、どれもが焦燥が滲み出ている。嬉しい忙しさでは無さそうだ。

「この部署を統括している騎士に、報告書を提出するついでに話を聞こう。もしかしたら、我々にも協力できる事があるかも知れん」
「ですね」

 この部署を任されていた上級騎士は、窓際の執務室で山積みになった書類を睨めっこをしていた。ミラージュ達の姿を確認すると、手に持っていた書類を一旦机の上に戻した。

「ああ、お疲れ様。聖騎士殿は?」
「先程医務室にお連れしました。怪我自体は軽くありませんが命に別条はなく、魔導器の治療があれば一晩で治るでしょう」
「そうか。それはなによりだ」
「ところで、どうにも支部全体が騒がしいのですが、何かあったのですか?」
「え、ええ。まぁ。件の変死体の他にも……」

 歯切れの悪い上級騎士に、リィンが更に付け加えた。

「もしかしたら協力できる事があるかもしれませんし、お聞かせ願えませんか?」
「そんな、本部から出向している方に頼みごとなど」
「我々は確かに本部からの出向ですが、それ以前に『騎士』です」

 ミラージュとリィンの現在の任務は、聖騎士アズハスの補助だ。アズハスがどのような任務を請け負っているのか、詳しくは知らされていない。ただ、アズハスはこの支部のトップである司教から『ある物』を受け取る任を任されているのだけは聞かされている。

 しかし、現状ではその任務は先延ばしになるだろう。何故ならば、それよりも優先されるべき案件──反逆者コクエモミジがこの街に出現してしまったのだ。当分はこちらの追撃が最優先となる。

 かといって、騎士の本分をおろそかにするつもりも、二人にはなかった。

 封印騎士団の存在意義は『平和と秩序』であり、『無辜の民』の守護。そこに助けを求める者がいるのならば、騎士は迷わずその手を握り返すのが《封印騎士》の役割なのだ。

「直接何かが出来るかも分かりません。ですが、先入観のない我々だからこそ分かる事実もあるかもしれません。話だけでも聞かせてもらえませんか?」

 ミラージュとリィンの嘆願を聞き、上級騎士はしばらく考え込んでから口を開いた。

「……実は、ここしばらくのあいだに、市民の間に失踪者が続出しているのです」
「失踪者……ですか」
「ええ。届け出が出ているだけでも二十名近く。もしかしたらそれ以上の数が、この数カ月の間に行方を眩ませているのです」
「に、二十名以上の行方不明者?」
 
 リィンは事の重大さに驚いた。それが事実なら、大事件である。

「そのご様子ですと、失礼ながらあまり手掛かりが無いようですね」
「お恥ずかしいながら。行方不明者の身元を洗ってみても、共通点どころか、どの時点で失踪したのかすら特定できていない。あまり言いたくは無いのですが、彼らの生死も判別できない状況です」

 よくよく見れば、上級騎士の眼元には疲労濃い隈が刻んである。おそらく、ここしばらくまともな睡眠をとっていないのだろう。それほどまでに切羽詰まった状況なのだ。

「更にその上、噂に聞く反逆者まで現れる始末。正直、我々の処理能力の限界を超えています」
「そうですか……もし可能でしたら、失踪者のリストをこちらにも回していただけませんでしょうか。先程も言いましたが、直接捜査に参加できなくとも、新しい観点が生まれるかもしれません」
「……分かりました。後で写し用意させましょう。実の所、藁にも縋りたい状況ですので」
 
 そこから、この後に緊急の会議(無論、反逆者への対策内容で)の打ち合わせをしたところで、ミラージュ達は事務室を後にした。

「さて、現段階で我々が出来る事は無いな。アズハス殿が治療を終えるまで待つか」 

 気を抜けない状況に変わりないが、一区切りにミラージュは小さく肩の力を抜いた。

「あの、ミラージュさん」
「何だリィン」

 見れば、同僚の少女が気難しげな表情をしていた。

「じ、実は私。先ほどの上級騎士さんの話を聞いて、ちょっと気になる点があったんですけど」
「何か気が付いたのか?」
「気が付いたと言うかなんというか。ちょっとした違和感なんですが」
 
 リィンは〝違和感〟を覚えた内容を口にした。

「間違いないのか?」
「……正直自信はありません。ですけど、調べてみる価値はあると、私は思います」
モミジあいつのこともあるが、騎士としてこの案件は無視できない。我々にもできる限りを尽くすぞ」
「わかりました」
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